お隣の韓国が騒然としている。事の発端は、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領がさる12月3日、「非常戒厳」を宣布したことにある。
この「非常戒厳」は、韓国憲法77条1項に基づいたもので、次のように規定されている。
「大統領は戦時・事変またはこれに準ずる国家非常事態において、兵力をもって軍事上の必要に応じる、あるいは公共の安寧秩序を維持する必要がある時には、法律の定めに則り戒厳を宣布することができる。」
この規定を根拠に、尹大統領は「自由憲政秩序を守るために非常戒厳を宣布する」と述べたのである。
これを補足して、尹大統領はこうも述べている。
「いま大韓民国は直ちに崩壊してもおかしくないほどの風前のともしびの運命に直面している。北朝鮮共産勢力の脅威から自由大韓民国を守り、韓国国民の自由と幸福を略奪している破廉恥な従北反国家勢力を一挙に排除し、自由憲政秩序を守るために非常戒厳を宣布する。」
この報を聞いて、日本の政治家はどう思っただろうか。
野党の攻勢に手を焼いている少数与党・石破自民の右派議員なら、「うらやましい限りだ」と思ったかもしれない。
日本国憲法が韓国ばりの「非常戒厳」の宣布を許していたら、窮地の自民右派議員は「中国の脅威から自由日本を守るためだ」として、即刻この「非常戒厳」の大砲をぶっ放したかもしれない。
これとは逆に、立憲民主などの野党議員は、「こんな乱暴な大砲のような法令を許さないのが、日本の良いところだ。これこそ日本の民主主義が一歩進んでいる証拠だ」と思ったかもしれない。
どう思うにせよ、日本と韓国とでは決定的な相違がある。「北朝鮮」という脅威がリアルな脅威として身近に存在し、そのようなものとして重く感じられているかどうかの違いである。
尹大統領が野党を「破廉恥な従北反国家勢力」と呼んだとき、彼は「北の脅威」を身近に迫るリアルな脅威として感じていたに違いない。これは被害妄想でも何でもなく、「北朝鮮共産勢力の脅威から自由大韓民国を守る」ことを自らの使命とする、韓国大統領ならではの切羽詰まった感性である。
大統領のような政治指導者でなくても、同じ危機感を持った韓国国民は少なくなかっただろう。そういう国民は、尹大統領の「非常戒厳」宣布にいたく共感したに違いない。
しかしである。報道を見る限り、これに激しく憤り、強烈な反感を抱いた国民も少なくなかったようだ。
この反発の声に押されて、最大野党の「共に民主党」は尹大統領に対する弾劾訴追案を提出し、これに激しく対抗しようとした。
尹政権に対する反感の中心にあるのは、「国家権力を振りかざして国民を弾圧する、こういうやり方は昔の軍事政権と同じで、民主主義を否定するものだ」という思いだろう。「民主主義を守れ!」という声が、尹大統領に対抗して渦巻いている。
この声に押され、韓国の国会は先日12月14日、尹大統領の弾劾(だんがい)訴追案を3分の2以上の賛成で可決した。一部の与党議員も賛成票を投じたという。この議決によって尹氏の職務は停止され、今後、憲法裁判所が180日以内に、罷免(ひめん)が相当かどうかを判断することになる。
では、尹大統領の言い分と、野党「共に民主党」側の言い分と、そのどちらが正しいのか。
小此木政夫氏は、先日の朝日新聞で「尹大統領が『被害妄想』を膨らませて、『非常戒厳』を宣布した」と分析している(朝日新聞12月16日)。
むろん尹大統領は、小此木氏のようなこの見方に、猛然と異を唱えるだろう。尹大統領からすれば、「北の傀儡勢力」が民主主義を歪め、現状は「衆愚政治(ochlocracy)」に陥っている。尹大統領は、衆愚政治に陥った国政の現状を改め、真の民主主義を取り戻すためにこそ、非常戒厳によって「北の傀儡勢力」を一掃しなければならないと考えたのだ。
「民主主義を守れ!」
皮肉なことに、これはまた尹大統領の叫びでもある。
問題は、そうした尹大統領の見方が「被害妄想」かどうかである。
(つづく)
この「非常戒厳」は、韓国憲法77条1項に基づいたもので、次のように規定されている。
「大統領は戦時・事変またはこれに準ずる国家非常事態において、兵力をもって軍事上の必要に応じる、あるいは公共の安寧秩序を維持する必要がある時には、法律の定めに則り戒厳を宣布することができる。」
この規定を根拠に、尹大統領は「自由憲政秩序を守るために非常戒厳を宣布する」と述べたのである。
これを補足して、尹大統領はこうも述べている。
「いま大韓民国は直ちに崩壊してもおかしくないほどの風前のともしびの運命に直面している。北朝鮮共産勢力の脅威から自由大韓民国を守り、韓国国民の自由と幸福を略奪している破廉恥な従北反国家勢力を一挙に排除し、自由憲政秩序を守るために非常戒厳を宣布する。」
この報を聞いて、日本の政治家はどう思っただろうか。
野党の攻勢に手を焼いている少数与党・石破自民の右派議員なら、「うらやましい限りだ」と思ったかもしれない。
日本国憲法が韓国ばりの「非常戒厳」の宣布を許していたら、窮地の自民右派議員は「中国の脅威から自由日本を守るためだ」として、即刻この「非常戒厳」の大砲をぶっ放したかもしれない。
これとは逆に、立憲民主などの野党議員は、「こんな乱暴な大砲のような法令を許さないのが、日本の良いところだ。これこそ日本の民主主義が一歩進んでいる証拠だ」と思ったかもしれない。
どう思うにせよ、日本と韓国とでは決定的な相違がある。「北朝鮮」という脅威がリアルな脅威として身近に存在し、そのようなものとして重く感じられているかどうかの違いである。
尹大統領が野党を「破廉恥な従北反国家勢力」と呼んだとき、彼は「北の脅威」を身近に迫るリアルな脅威として感じていたに違いない。これは被害妄想でも何でもなく、「北朝鮮共産勢力の脅威から自由大韓民国を守る」ことを自らの使命とする、韓国大統領ならではの切羽詰まった感性である。
大統領のような政治指導者でなくても、同じ危機感を持った韓国国民は少なくなかっただろう。そういう国民は、尹大統領の「非常戒厳」宣布にいたく共感したに違いない。
しかしである。報道を見る限り、これに激しく憤り、強烈な反感を抱いた国民も少なくなかったようだ。
この反発の声に押されて、最大野党の「共に民主党」は尹大統領に対する弾劾訴追案を提出し、これに激しく対抗しようとした。
尹政権に対する反感の中心にあるのは、「国家権力を振りかざして国民を弾圧する、こういうやり方は昔の軍事政権と同じで、民主主義を否定するものだ」という思いだろう。「民主主義を守れ!」という声が、尹大統領に対抗して渦巻いている。
この声に押され、韓国の国会は先日12月14日、尹大統領の弾劾(だんがい)訴追案を3分の2以上の賛成で可決した。一部の与党議員も賛成票を投じたという。この議決によって尹氏の職務は停止され、今後、憲法裁判所が180日以内に、罷免(ひめん)が相当かどうかを判断することになる。
では、尹大統領の言い分と、野党「共に民主党」側の言い分と、そのどちらが正しいのか。
小此木政夫氏は、先日の朝日新聞で「尹大統領が『被害妄想』を膨らませて、『非常戒厳』を宣布した」と分析している(朝日新聞12月16日)。
むろん尹大統領は、小此木氏のようなこの見方に、猛然と異を唱えるだろう。尹大統領からすれば、「北の傀儡勢力」が民主主義を歪め、現状は「衆愚政治(ochlocracy)」に陥っている。尹大統領は、衆愚政治に陥った国政の現状を改め、真の民主主義を取り戻すためにこそ、非常戒厳によって「北の傀儡勢力」を一掃しなければならないと考えたのだ。
「民主主義を守れ!」
皮肉なことに、これはまた尹大統領の叫びでもある。
問題は、そうした尹大統領の見方が「被害妄想」かどうかである。
(つづく)