和貴の『 以 和 為 貴 』

馬鹿や阿呆で元々


 本来、「学ぶ」ということは、ひとり慎みて学ぶことだと思います。他人様にさらけ出すことでもないのです。古く"賢人"や"偉人"といわれるひとの多くがそうでありました。
 
 ですから、そうした観点から己を省みたとき、なんとも情けないことであります。

 ですが、わたしにはそんな"偉人"や"賢人"と呼ばれる方々のような、「学ぶ」ということの基礎のようなものがありません。そのようなことを考えているとふと疑問に感じたことがありました。それは何故、過去の"偉人"や"賢人"たちは「学」を深く深く追求されてこられたのか、ということであります。

 お金儲けのためでしょうか。それともなにかしら自分にとって得することがあったからでしょうか。それとも世に名を遺したかったからでしょうか。そんなことでは決してなかったはずでありますね。

 世のため人のためにという想いをもって深く「学」を追求されてこられたはずであります。それはまさに人間同士の争いが絶えない乱世の中であったりもしました。また江戸時代には大きな地震や災害が多発し、作物が育たず飢えで苦しむ人が絶えない世の中であったりもしました。現在でも世のため人のためにと、教師や医師や警察官や弁護士や消防士や政治家や官僚などを目指される若者も多いことと思います。

 ある先人がこんな風な言葉を遺されています。(わたしの記憶の中ではありますが)

 「世がまさに泰平ならば賢人は出ず、世がまさに乱れていれば賢人が輩出される。そのどちらが良いのかは分からぬが・・・」と。


 これまでの自分自身は、何不自由なく生きてきました。戦争も知らず、大きな災害に見舞われることもなく。ただただ戦後という時代を謳歌してきたわけであります。食べ物に困らず、着るものにも困らず、寝る場所にも困らず・・・。

 それは「学ぶ」姿勢が過去の"偉人"や"賢人"たちとは全く異なるということを意味するということでもあります。さらには、世のため人のために学ぶのか・・・それとも、失われたものを取り戻すために学ぶのか・・・この違いは大変大きいと思います。

 わたしの場合はおそらく後者の方でありましょう・・・。

 そして、それは決して賢人になりたいなどとは到底思わないことを意味し、逆に復古主義(←少数派)に反対し未来思考(←多数派)を重視する方々には嫌われますことは覚悟の上であります。《"険人"や"嫌人"扱いですね》

 賢人や偉人(経営者や政治家など)を目指すなら、なにごとも慎み学べばよいことでありますが、そうでない人は、たとえ嫌われようとも勇気をだして自身の想いをさらけ出していけば良いだけだとわたしは考えます。


 馬鹿や阿呆で元々、それがわたし自身の「学び」の基礎であります。

 

 御免・・・

 
 

 

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