まず筆者としては、現行憲法を破棄し、日本国民による自主憲法制定を願う立場であり、自民党であれ民進党であれ、国民に選ばれた政党が定める自主憲法草案であるならば、それが国会で承認されることにおいて、なんら否定するものではない。
仮に今国会で自民党憲法草案が承認され、施行されることになれば、大日本帝国憲法以来、実に126年ぶりの自主憲法制定と成りうる(自民党憲法改正草案を読んで)と思うのだが、とにもかくにも護憲を唱える者たちの抵抗があまりに強いために、戦後のGHQに押し付けられた憲法の下、多くの日本国民の主権が侵し続けられることとなる。
まず、これまでわが国において、成文憲法として3つの憲法が制定されてきた。ひとつが憲法十七条(604)、そして大日本帝国憲法(1890)、最後に現行の日本国憲法(1947)である。そして、このいずれも時局に伴うカタチで制定されてきた。当然のこととして国民の総意などというものはない。
すべて国民は、憲法制定ということについては、時の政権を信頼していたからこそ成し得た妙技といえよう。(現行憲法に至っては違う話しではあるが)
であるならば、選挙によって選ばれた政党が示す憲法改正案を否定してしまうということになれば、時局の変化に伴わない憲法を、後生一生背負って行かなければならなくなり、それは次世代を生きる子孫をも苦しめてしまうことにも繋がっていく。
それでも良いんだ!というのであれば筆者は別段それに異を唱えることもない。「お好きにどうぞ」である。
しかし選挙で選ばれ、政権政党の座につく議員ならば、そうはいかない。きちんとした説明をし、真実の時局を語り、多くの国民の理解を得なければならないはずである。メディアや大手新聞社は国民を代表する立場として真実のみを報道し、その判断を下す国民を信頼すべきであり、いちいち批評を論じ国民を誘導することは控えてほしいものである。
筆者は特に自民党を支持するつもりもない。だからといって民進党や共産党を支持することもない。自民党憲法草案だろうが民進党憲法草案だろうが、その中身なんてものはどうでもよく、とにもかくにも自主憲法を制定することに最大の意義があると考える。
外国に押し付けられた憲法如きで、おなじ日本人同士が左だ!右だ!で争うほどアホくさいものはなく、まずは自主憲法を土台として、あ~でもない!こ~でもない!を論じ合ってはじめて憲法改正であろうと思うのだが・・・。
( ご訪問、有難うございました。 )
↓↓モチベーション維持にご協力お願い致します。m(_ _)m
コメント一覧
ゆぅすけです。
尊徳
最近の「政治」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
- 現代語訳:十七条憲法(17)
- 雑記(142)
- 政治(87)
- 経済(56)
- 国防(24)
- 家族(18)
- 教育(31)
- 人権(32)
- 宗教(4)
- 時事(24)
- 特亜(22)
- 欧米(9)
- 海外(40)
- 科学(4)
- 通信・情報(36)
- 倫理・道徳(42)
- 和の心・聖徳太子(54)
- 國家・國民の在り方(40)
- N国党関連(30)
- 論語(180)
- 現代語訳:学而(17)
- 現代語訳:為政(24)
- 現代語訳:八佾(26)
- 現代語訳:里仁(26)
- 現代語訳:公冶長(28)
- 現代語訳:雍也(30)
- 現代語訳:述而(37)
- 現代語訳;泰伯(21)
- 現代語訳:子罕(30)
- 現代語訳:郷党(4)
- 現代語訳:先進(0)
- 道歌(0)
- 詩(17)
- お気に入り動画(20)
- お魚釣り(84)
バックナンバー
人気記事