朝日新聞 2021-5-6
【 所 感 】
紀元前300年ごろの周王朝時代の話しですが、秦国の宰相を務めた公孫鞅〔こうそんおう=商鞅〕という人物がおりました。公孫鞅は、宰相を任される前に、秦の孝公に謁見することがあり、その際、孝公に対して帝道を説いたのですが全く聞き入れられず、続けて王道を説いても聞き入れられず、最後に覇道を説くと孝公はたいそう喜びになって、公孫鞅を登用したのでした。
この話しを聞いた景監〔けいかん〕という人物は、不思議に思い公孫鞅に尋ねてみると、「王道を説いてみたところ、孝公は「それは遠い未来の夢だ。わしはそれを待ってはいられない」と言われた。だから覇道を説いたところ、孝公は大いに喜ばれたのだ。しかしながら、王者としての徳に至っては、殷・周の聖王の足元にも及ばない」と答えたのでした。
そののち公孫鞅は、新しい法令の制定を進め、刑罰や恩賞なども整え、秦国の律令体制をより強固にするために尽力するのでした。
新法令の発布後は、民はかなり苦しんだようですが、それもだんだんと慣れていき、新法令の批評をする者すらいなくなったのでした。(批判した民は辺境の地へ送られたからですが…。)
公孫鞅はこれ以降も、孝公のいう覇道を達成すべく尽力していたのですが、そのやり口があまりに強制的であったため、様々に憎まれるようになり、あるとき謀反の嫌疑をかけられてしまい、秦国を亡命せざるを得ない状況に追いやられてしまうのでした。
ところが、国境の関所の宿に泊まろうとしたとき、宿の主人に「商君(=公孫鞅のこと)の新法によって身分証明書のない者を泊めると同罪になります」と断られてしまい、公孫鞅は嘆息して「ああ、新法の弊はついに我が身にまで及んだか」と言ったのでした。
それでもなんとか魏国に逃げることはできたのですが、亡命先で乱を起こし、最後は殺されてしまい、屍は車裂の刑に処せられたのでした。
この松井市長の報道を読んでみて、ふと、公孫鞅のことが重なってしまい、少しだけ紹介してみたわけですが、まず、王道とはなんてあるのかをきちんと理解しながらも、己の利益だけを求め覇道へ進もうとしているあたり、松井市長と公孫鞅はかなり似ていると思えて仕方がないのです。
覇道であれ、王道であれ、まずは民からの絶大な信任があってこそ成立するものでありますから、マスク不着用と外飲みが新型ウィルスの蔓延にどういった関わり合いがあるのか、というきちんとしたデータを公表すべきでありましょう。
なにより新型ウィルスというものが、それほどまでに恐ろしいものであるのか否か、ということについても甚だ疑問も多い中にあって、マスク絶対着用と外飲み禁止による二次被害(こっちの方が被害は大きいのだが)を、どのように考えているのかも問うてみたいところです。
とにもかくにも、自らの死んだ後のことも考えながら、後世の人にも「素晴らしい」と称えてもらえれるような政策を実現していってほしいものです。
最後に、国民投票なるものを憲法に明記しなければならないということが、政治に携わる者にとっては如何に「恥」であるのかを思い知ってほしいところでもあるし、なによりこの国の政治が如何に「堕落」しているのかも思い知ってほしいところでもあります。