和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:118日目 夫子は聖者か 大宰我を知れるか


夫子は聖者か 大宰我を知れるか


「大宰(たいさい)、子貢に問うて曰(い)わく、夫子は聖者か。何ぞ其れ多能なるや。子貢 曰(い)わく、固(まこと)に天 之を縦(ゆる)して将に聖たらしめんとす。又 多能なり。子 之を聞きて曰(のたま)わく、大宰 我を知れるか。我 少(わか)かりしとき賤(いや)し。故(ゆえ)に鄙事(ひじ)に多能なり。君子は多からんや。多からざるなり。」


■その意味は?

大宰〔呉の総理大臣か〕が子貢に尋ねた。
『孔子(先生)は聖人なのでしょうか。なんという多能な方でありましょうか。』

子貢はそれに対して言った。
『もちろん天が生まれながらに聖人となることを許しているのです。しかも、その上に多能でもあられます。』

孔子(先生)はこれを聞かれて言われた。
『大宰は私をよく知っているものであろうか。私は若い頃、地位も低く貧しかったので、つまらないことがいちいちできるのだ。君子(教養人)は多能であることが必要であろうか。いや多能なことなどいらない。』

(「論語」一日一言より)

   
■感想

 "聖人" というものがどういった人たちのことをいうのか、私には計り知れないことではあるが、いずれ、後世の日本人たちにより、敗戦後の焼け野原と化した日本を、大復興させた多くの人々が、 "聖人" として歴史に刻みこまれることを切に願いたい。


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