和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:述而第七 〔35〕 奢なれば不孫、倹なれば固


論語を現代語訳してみました。



述而 第七

《原文》
子曰、奢則不孫、儉則固。與其不孫也、寧固。

《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、奢〔しゃ〕なれば則〔すなわ〕ち不孫〔ふそん〕、倹〔けん〕なれば則ち固〔こ〕。其〔そ〕の不孫ならんよりは、寧〔むし〕ろ固なれ。




《現代語訳》


孔先生はまた、次のようにも仰られました。


〈子路〔しろ〕よ、よいか。〉なにごとも出過ぎたマネをすれば信頼を損ない、謙遜〔けんそん〕し過ぎればこころが卑〔いや〕しいものと思われる。

〈とはいってもお主の場合、私からすれば〉信頼を損なうこともないから、寧〔むし〕ろ、少しばかり謙遜の心を意識した方がよいぞ、と。


〈つづく〉



《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。

この語訳の意味するところとしては、孔子の子路に対する、「お主はもっと、礼節を弁えないといけないよ」というふうにしてみました。

このことによって、誰彼に対しても、「〇〇であれ」「◇◇であれ」と強要するのではなく、ひとりひとり考えも人格も違うわけなんですから、師である孔子は、弟子のこうした人柄をきちんと理解し、その人物にとって適切なことばを述べることに配慮していたんだろうとも思われます。

そして、礼節を弁えることについては、八佾第三の『奚ぞ三家の堂に取らん』や学而第一の『礼を以て之を節せざれば』のなかなどで、孔子や有子などがこれまで多くを述べており、 "何事も行き過ぎはダメ"である" との教えとともに、「お主の場合は…」とする、「ひとりひとりの考えや人格に見合ったことばだけを述べるんだよ」との孔子の想いというものも感じ取ることができるのではないでしょうか。



※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考


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