論語を現代語訳してみました。
述而 第七
《原文》
子曰、若聖與仁、則吾豈敢。抑爲之不厭、誨人不倦、則可謂云爾已矣。公西華曰、正唯弟子不能學也。
《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、聖〔せい〕と仁〔じん〕との若(ごと)きとあらば、則〔すなわ)ち吾〔われ) 豈〔あに) 敢〔あ)えてせんや。抑ゞ〔そもそも) 之〔これ)を為〔な〕して厭〔いと〕わず、人〔ひと)に誨〔おし〕えて倦〔う〕まざれは、則ち云爾〔しかり〕と謂〔い〕う可〔べ〕きのみ、と。公西華〔こうせいか〕 曰〔い〕わく、正〔まさ〕に唯〔ただ〕 弟子〔ていし〕は学〔まな〕ぶこと能〔あた〕わざるのみ、と。
《現代語訳》
孔先生がまた、次のようにも仰られました。
〈知識人はわたしのことを、〉聖人や仁徳者だと評価しているようだが、とんでもないことであって、私のことを、どうして聖人や仁徳者と呼べようか。
しかし、聖人や仁徳者でありたい、と心の内にしながら学を修め、また、他者〔ひと〕との交わりのなかで多くを学び、そこから己自身の至らなさに気づき飽き足ることがなく、よって〈知識人がこんな私の行ないだけを知って〉、そのことだけをもって聖人や仁徳者と評価するのは、当然のことかも知れぬな、と。
この話を聞いていた公西赤さんが、嘆かれたようすで、次のように述べられました。
まさに我々多くの弟子たちは、そこまで深くを考えることもないままに、いまに至っているのでしょう、と。
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
この語句の意味するところとしては、 "知識人" となり果ててしまった弟子諸君らに対する孔子の気持ちとして訳してみました。
何より孔子は『難いかな、恒 有ること』のなかで「"聖人" や "善人" を、私が天命を心得てより以降、まったく見かけなくなってしまった」と述べていることからしても、それまで天命を知るに至るまでの過去の自分を振り返り、それまで数多くの人をみては「この人は聖人であり、この人は善人だ」などと論評を重ねてきた自分自身への傲慢さを嘆いており、それと同時に「私のことを "聖人" や "仁徳者" と評価するは知識人(傲慢な人)としては無理もない(=当然のこと)ことなのかもしれないな」と感じたのかもしません。(過去の孔子自身もまた、現在の弟子諸君らと同じなんだと…)
また、このことは、「しかし…」のくだりから、「よって…」のくだりまでの孔子の行ないだけをみて、聖人や仁徳者と評価することの愚かさを孔子は述べており、今回の語句を訳するにあたっては、本来の真理や道理を志し学ぶことの "意義" というものを、忘れてしまっている弟子が多かったのかな、とそんなふうにも感じられてきます。
また、そうしたなかで、孔子が苦悩する日々のなかにあっても、絶えず弟子たちに自身の背中を見せようと必死だった…、とする、何となくですが、そんな想いも感じられてきます。
ともかくは、何事も傲慢に陥ってはならないし、その人物を評価するのは自分自身ではなく、あくまでも "天のみである" ということです(=天命を授かりし者のみ)。
※ 関連ブログ 為んで厭わず、誨えて倦まず
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考