論語を現代語訳してみました。
述而 第七
《原文》
子温而厲。威而不猛。恭而安。
《翻訳》
子〔し〕は温〔なご〕やかにして厲〔はげ〕し。威〔い〕ありて猛〔たけ〕からず。恭〔つつし〕むあるも安〔やす〕し。
《現代語訳》
〈孔先生はさらに、次のように仰られました。〉
〈よいか。〉 人の上に立とうと思えば(=師や士を志す)、〈自他ともに、〉心和やかであっても、厳格〔げんかく〕さを失ってはならない。
そして、〈誰に対しても、〉威厳〔いげん〕があっても、猛々〔たけだけ〕しくしてはならない。
そのように慎み深くしておれば、〈いずれは〉この "師・孔丘" がどういった人物であるのかを、理解してもらえれるときもくるだろうて、と。
〈おわり〉
述而第七 おわり
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
これにて述而第七はおしまいとなりますが、最後に、なぜ後世の人々は孔丘のことを『孔子』と呼んで敬うのか、といったところを深く考えることで、この述而第七さいごの語句によって、その答えがみえてきます。
それは、ひとりの "人間" としての生き方もさることながら、孔子自身が "師" としての在り方をも追求し、多くの弟子を抱え苦悩する日々を送るなかで、老いてのちに得た、孔子なりの『天命』だったといえるのではないでしょうか。
今回、述而第七を自分なりに現代語訳することによって、これまで知り得なかった孔子の考え方の本質みたいなものを、いやしくも、垣間観れた気がします。
※ 関連ブログ 子、温にして厲し
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考
※ イラストは『かわいいフリー素材集 いらすとや』さんより