◇「国を憂う」ということは〔壱〕
覚醒書
混沌たる世界、暗雲立籠る皇國。自然科学におかされ地獄道に落ちし民族。これを救う道、一事に極む。これ大自然に沿いし無私の心なり。無私の心、真我に通ず。真我集へば破るる事なし。國の大事、すべて無私に始まる。ここに気付き行えばあとは康し。
一皇万民、天皇の許に真我が集う時、皇國毅然として興る。皇子皇民、一丸となり熱鉄玉を呑む勢いにて行えば世界万民を救う道をなすこと難くなし。我、神命により不生不滅の生我「建国の日」に魂魄(コンパク)となりて、民族の危機にあたるものなり。
あらあらし 空にこみとり大楠の 大御心を誰ぞ知る
かくせれば かくなるものと知りつつも やむにやまれぬ 大和魂
昭和四十四年二月十一日 江藤小三郎
【 所 感 】
如何なる理由があろうとも、「私心」を捨て、只一心に国家国民の繁栄を願うもの也。実に此の道は、如何に国難極まりし時であろうとも、如何に現実が無情の世であろうとも、自我を殺しただひたすらに耐え忍ぶが如くを知る也。
いつの日か、心の底から笑える日も来よう・・・。
(投稿主さんに感謝。)
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