為(まな)んで厭(いと)わず、誨(おし)えて倦(う)まず
「子 曰(のたま)わく、聖と仁との若(ごと)きは、則ち吾 豈(あに)敢(あえ)てせんや。抑々(そもそも)之を為んで厭わず、人を誨えて倦まずとは、則ち謂うべきのみ。」
■その意味は?
孔子(先生)が言われた。
『聖人とか仁者とかには、私は及びもつかないことだ。ただ私は、その境地を目指して学び、飽きることはない。また自分の体得したことを通じて人を教えて怠らない。こういうのが私だと言ってもらっても宜しかろう。』
(「論語」一日一言より)
■感想
どれだけ学ぼうとも、決して自分が親しむ過去の聖人や仁者と崇められる人たちに及ぶことはない。それはそれで、何を憂うことがあろうか。
この句を知り、道半ばで投げ捨ててしまうのではなく、単なる知識として学ぶことでもなく、学んだことを心掛けることが大事なんだと改めて感じさせられた。