和貴の『 以 和 為 貴 』

なぜ日本人は民主主義とういう呪縛から抜けれないのか?

ここでいう「民主主義」の観念は、あくまで欧米型民主主義という。


元来、わが国には民主主義という観念はなかった。

なかったというよりも、知らず知らずのうちに体現していたのである。

それは日本国民の「質」を探れば明らかになる。

そして、その明確な答えは、なぜわが国において、基督教が普及しなかったのか?

それを考えた時、自然と現在わが国における民主主義制度が如何に幼稚なものであるのかがわかる。



今から約400年前、ポルトガルから一人の宣教師が来日する。

教科書でお馴染みの、フランシスコ・ザビエルである。

彼の目的は、基督教の布教である。

南蛮品とよばれる西洋産の品々を、数多くわが国に紹介し、西洋文化の魅力をもって布教の土台を築きあげる。

そして大名家に懇願し、その領土内において布教活動の許可をもらい、小さな教会を建立する。

奇しくも当時のわが国は、まさに戦国乱世であり、大名たちが群雄割拠の戦いに明け暮れていた。

ザビエルは、これら大名たちに鉄砲の技術を伝えることにより、さらなる信頼を受けることになる。

特に織田信長は、鉄砲の技術を高く評価し、今までにない戦法を用いることで、大敵との戦に勝利していく。


話は変わって、大名家とは違い一般庶民の間ではどうだったのだろうか?

小さな教会には大勢の人が集まり、宣教師たちによる異國の文化を興味深々に聞き入っていた。

宣教師がイエス・キリストの話を切り出すと、庶民は一応に首を傾げるのである。

それはひとりイエス様を敬うという基督教の教義が、多神教を敬う人々にとってみれば、なんと幼稚なものなのかというのである。

宣教師たちが教義すれば、それに言葉を返す人たちがいる。

身分など関係なく、貧しい人たちまでもが宣教師に言葉を返すのである。

まるで逆に説法しているかのようにである。

その中のひとりがこんな問いかけをした。

「イエス様に懺悔すれば私自身は幸福になるが、懺悔してこなかった先祖たちはどうなるんだろうか?」

宣教師たちは困った。

聖書には、先祖を敬う教義はなかったからである。

個人の幸福だけをその教えとし、様々な国で布教は出来ても、わが国ではそれが通用しなかったのだ。

古来日本人の中には神道・仏教・儒教が根付いており、共に先人や先祖を敬うのものであった。

先人先祖なくして自分の幸福など有り得ないのだ。

そして宣教師たちは祖国へ帰ることになる。

わが国はこのとき、西洋列強による植民地支配を受けずに済んだのであるが、こうした業績が名も知らぬ先人たちのお陰であることを多くの現代人は知らない。


そして時は経ち、幕末・・・。

大陸から先住民族を追い払いアメリカ合衆国という国家を樹立していた白人たちは、次に太平洋に進出するため日本にやってきた。

黒船と共にやってきたペリーの来日である。

ペリーは布教活動でやってきたのではなく、開国を迫ってきたのだが、それ以降わが国の激動の時代が始まることになる。

この開国を巡り、日本は真っ二つに分かれ内紛が起き、やがては薩摩藩(現鹿児島県)・長州藩(現山口県)を主体とする朝廷側と、幕府側との戦い、戊辰戦争が勃発する。

戦いは朝廷側の勝利に終わり、徳川幕府は約260年の歴史に幕を終えることとなる。

その後明治天皇が御即位され、新政府は天皇を中心とした新しい国家体制を築くことを目指すことになるが、欧米列強による植民地支配を避けるため、富国強兵の名のもとに、新政府はその行政改革などを急いだ。

しかし国内部には、薩摩・長州藩が主体の行政改革を不服とするものたちも存在したが、その都度政策を転換し、なんとか中央集権国家への道筋を整えていったのである。

そんな中、永く禁教とされてきた基督教の布教も許され、広く西洋文化がわが国に流入することになる。

わが国における文明開花である。

ここにペリーが来航して以来、いやザビエルが来日して以来の、わが国における植民地支配への礎を作ってしまったのだが、やはり当時の欧米列強の圧倒的な軍事力や経済力の違いがある以上、日本を西洋化への道へと進めざるを得なかったのだと考えている。

しかしそんな考えとは裏腹に、わが国は僅か数十年で欧米列強と肩を並べるまでに成長し、日清・日露戦争では大国相手に勝利を収め、さらに勢いを増していくことになる。

過去の歴史において、宣教師を送り込んだ国の中で、白人支配を受けずにここまで成長する国などなかったのであるから欧米列強諸国は、さすがに驚嘆したことであろう。

確かに軍事面や経済面は、世界有数の国家となっていたが、文明開花の波は庶民の間でも変化がおきた。それは伝統的な文化や風潮までが西洋化の流れとと共に失われていくのである。

明治以前のわが国には、西洋哲学的な考えは皆無であった。

この西洋哲学の中には、主義思想が盛り込まれており、それまでの日本人にはあまり関心のなかった自由や平和や平等といったものが日本人の心を一変させていき、自由民権運動に代表されるような啓発活動が庶民を動かすようになる。

貧しいものや、身分差別(?)を受けていたものたち、特に新政府に不服をもっていた旧幕府勢力の庶民らが主流となり、全国各地で自由や平和や平等の権利を訴え始めだしたのである。

この時、民主主義と共産主義は争っていなかったのではないだろうか?という疑問がふと頭をよぎった。

民主主義と共産主義は相反するものと私たち現代人は根っこに焼きついてはいるが、当時は民主主義者も共産主義者も共に手を結んでいたと考えると、現在わが国における矛盾がまたひとつ解けるように思う。

明治前期から昭和初期のわが国の内状は、とにかくめまぐるしく、政府だけでなく国民の感情も、「今日の友は、明日の敵」といった状態だったように思う。

今日民主主義の人が、明日共産主義に・・・

そんな状態だったのではないだろうか?

どちらにしろ、明確にこの主義思想が正しいのだ!といえるものがなかったのであるから、それも止むなしだったはずである。

その後、共産主義者たちは世界各地で革命を起こし、独裁政治国家を樹立するようになる。

例としてはソビエト連邦や現在の中華人民共和国である。

大きな世界大戦の合間に、共産主義革命家たちは一億人とも言われる人々を無残にも殺してしまった。

世界の人々は恐怖を覚え、民主主義こそ正義!共産主義こそ悪!と謳うようになる。

しかし、ここでも疑問がある。

ドイツ・ナチス党総裁であるヒットラーを生み出したのは、民主主義だ。

当時ドイツの憲法は、民主主義憲法として定評の高かったワイマール憲法だ。

そうした民主主義憲法のもとに行われた選挙においてヒットラーが国民代表となっている。

あとは周知の通りだが・・・。

民主主義も共産主義も欠陥はある。

にもかかわらず、なぜに世界は民主主義を至上の産物として拝み倒すのか?

冒頭にもいったように、ここでいう民主主義とは、あくまで米国型民主主義なのである。

このワイマール憲法にもひとりひとりの自由の権利や社会保障の権利などが明記されている。

そして、その後の世界の民主主義憲法の雛形ともなっている。

欧米型民主主義とは、現在この世界各国が目指そうとする民主主義そのものなのだ。

当然としてわが国における民主主義もこの欧米型の民主主義と言えよう。

そしてまさに、民主主義こそ正義!と信じてやまない日本人が山のようにいてるのだ。

なぜか?(あ~長かった・・・)


途中話題が横道へ逸れてしまったが、忘れてならないのが、基督教の布教を許したことからそれは始まっている。

自由や平和や平等というそれまで日本人が知り得なかった言葉が流入し、それらを最良のものとし啓発活動をする者たちが現れる。

基督教徒はもちろんではあるが、貧しい人、身分差別?を受けている人、新政府の処遇に不服を抱いている者たちまでが一緒に活動するようになり、わが国における左翼思想のはじまりとなる。

そして米国との戦争に敗れたわが国においては、左翼勢力のものたちが戦後の要所要所に配属させられ、欧米型民主主義と、個人の幸福(自由・平和・平等)ばかりを望むものとが融合し、その呪縛からいつまでたっても抜けきれなくなってしまったのである。

こうして完全に米国の属国と化してしまった日本は、見えない奴隷として今尚、その財を搾取され続けているのである。

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