和貴の『 以 和 為 貴 』

親鸞上人と聖徳太子

私にとっての先祖代々の繋がりであります「浄土真宗」。

その開祖ともいうべき親鸞上人(実際にはそのお弟子さん)と、上人が最も崇敬されたという聖徳太子のお話。



33歳の時、母親に一本のDVDを勧められました。
それは親鸞上人の生涯を描いたものでしたが、その時の感情としては正直、「浄土真宗の広報用ビデオかぁ」ぐらいにしか思っておらず、当時の仏教における常識を悉く翻し、越後の國へと流罪の身に遭いながらも自らの信念・理念を貫く生き様は感動すら覚えました。

ですが、そんな親鸞上人の人生など、当時、自分自身には必要ないものと感じとったのでしょう、その後はまたいつものように金にまみれ、欲に溺れる日々を送ることになります。

それから数年が経ち、「和ヲ以テ貴シト為ス」という言葉を知ることになります。

反省や感謝というものは、分かっていてもなかなか実行することが出来ません。真の反省や感謝というものはどういうものなのか?
そして「和」を貴し生きるというのはどういうものなのか?

ここで私が言いたいことは、聖徳太子も親鸞上人も、自分と同じ、凡人に過ぎないということです。

凡人ならば欲もあったはずであり、仏教で言うところの「三毒(貪・瞋・癡)」ということになります。

この三毒こそは「和」を貴ぶわが国にとってはまさに"邪気"でありました。

親鸞上人は特にこの三毒にお悩みになっていたのでないかと思われ、その答えを聖徳太子から授かることになったと解釈しております。

 人は得てして、自分の保身のために思考することがありますが、それは俗世に生きる身ならば致し方なしと考えた上人は、僧の身でありながら、婚姻してしまうのであります。

それまで仏門をくぐった者は生涯、女人との関係を一切断つというそれまでの常識を覆したのでした。

仏を神格化し、信仰心ばかりではこの世は平和にならないと悟った親鸞上人は、聖徳太子の言う万民みな凡人という言葉を唯一救いの道だと悟ることになります。

人間ならば誰もが三毒から放たれることはありませんが、そうした三毒に侵された心は反省することで浄化できるのです。

聖徳太子も親鸞上人も凡人であったこと・・・。
その上で「和」を重んじ生きる・・・。
そうしたことで、真の反省や感謝の心が宿り、思いやりや真心が生じる・・・。

聖徳太子が定められた憲法十七条も、親鸞上人が定められた教えも、人間が人間らしく生きるためにとても有難いものだったのです。

凡人がゆえに、「和」を重んじ生きることが後の世の平和へと繋がり、愛する者たちが幸せに暮らすことができるのです。

私はたまたま先祖代々の教えが浄土真宗だったに過ぎません。

これが天台宗ならそれに従い、真言宗ならそれに従うのみです。

しかし、この国の礎である「和」の精神なくしては、互いに罵り合うことしか出来ず、やがては醜い争いへと発展してしまうでしょう。

浄土真宗の人たちは私のことを「自力している」というのかも知れません。

しかし、親鸞上人が何ゆえ聖徳太子を崇敬されていたのか?

親鸞上人だけではありません。

空海上人も最澄上人も日蓮上人も法然上人も、それぞれが聖徳太子を崇敬されておりました。

真の平和(大調和)とは、仏の教えだけでは成し得ないと悟った聖徳太子は、古来日本の「和」の精神を仏法に融合させようとしました。
それが日本の仏教であり、親鸞上人は純粋な心で、その教えとされたのだと思います。

これはあくまで、私個人の考えではありますが、聖徳太子が何ゆえ、死後千年以上過ぎたにも関わらず、お札にも例えられるように、日本の顔として現在の世にも、語り継がれてきたのか?

自力といってしまえば自力かも知れません。
しかしそれは、あまりに保身のためでしか物事を見ていないと言っても言い過ぎではありません。

現代の世が大平の世ならば、私は何も考えず、ただ先祖代々の教えに従うだけであります。

しかし、暗雲立ち込めるわが国の未来を考えた時、親鸞上人と聖徳太子との関係を考えることは、日本の未来を考える原点ではないかと感じました。

私は、先祖代々が浄土真宗であり、そして先祖代々が日本人であります。

そして私如きはただの凡人であり、日々三毒に侵されている身に過ぎず、日々反省させて頂き感謝の念を奉じる・・・。

「和」を貴ぶ心とは、まさに反省や感謝の念があって初めてその身に宿ることを、聖徳太子や親鸞上人から教えられたように思います。

 まこと、有難いことであります。

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