【世界動向】 未来志向と温故知新とのちがい ②
■ 習政権下における "総括" の意味は
前回ブログでは、先進国と途上国(主にシナ中共)における経済発展の違いみたいなものを、私見としてではあるが少し纏めてみた。
その中でも、習近平政権下におけるシナ中共の経済政策について、「先進諸国もそれを見習うべき」、という旨を偉そうに論じてみたわけであるが、いわゆる先進国と呼ばれる国々の中でも、唯一、見習うことができる国というのは、わが国・日本だけ、であることを指摘しておきたい。
そこで、習政権下における経済政策の中身(本質)というものをしっかりと理解する必要があるわけで、何より、これまでのシナ中共政府が行ってきた経済政策のなかで、引き継ぐべきものは引き継ぎ、改めるべきものは改めるといった、 "総括" がきちんと為された結果が、現在のシナ中共であり、今後しばらくはシナ中国政府が世界をリードしていくであろうことは、 "避けがたい現実" として受け入れなければならない、と強く感じるところである。
余談ではあるが、 "総括" という文言を見て違和感を覚える人も少なくないと思われるわけだが、かつて、『あさま山荘事件』を引き起こした連合赤軍派の若者たちが、内輪揉めを起こした際に、 「総括だ!」といって次々に仲間たちを殺してしまったことで、当時を知る日本人たちにとっては、 "過激な思想" の象徴のように思われがちになっているわけであり、しかし、その文言自体は決して悪い意味を含んでいるわけではないことを、まずは伝えておこうかなと思う。
では、習政権下においてどのような "総括" が為されてきたのか、少しばかり考えてみようかと思う。
① 旧ソ連時代及び、これまでのシナ中共政権などの共産主義体制に対する総括
共産主義体制に対する "総括" 、これは今までずっと、国内外、様々な知識人たちが指摘してきたことだと思われるが、しかし、それはあくまで共産主義体制を肯定や否定する立場からの論調が多く、本来あるべき人民目線からの論調というものが極めて少ないのではないか、と感じられる。
また或る者は、個人主義や放任主義的な思考に囚われ、自分とは意見が合わない者たちを排除、粛清することこそが、 "正しい総括だ" とする過激な論調を云う知識人たちもある。
結局のところ先進国特有の、「共産主義(独裁政治)は覇権国家であり民主主義はバラ色国家だ」という幼稚で単純な思考ばかりが先行し、本質部分である経世済民という概念がいつも置き去りにされてきた、と考えることもできるわけで、自由資本経済という音色だけは美しいだけの経済政策、すなわち共産党員のための経済政策であったり、金融資本家のための経済政策であったり、また自由放任主義的な者たちへの経済政策であったりと、こうしたことが長く続いたことで、史上稀にみるような汚職超大国に陥ったことに対する "総括" が習政権下において実施された、と考える方がより自然だと思うのであり、まさに、シナ国内においての『盛者必衰の理』があらわされようとしているのではないか、と感じて仕方がない。
もちろん、こうした習政権のやり方に異を唱え、反発する勢力もあるわけだが、そこは共産主義体制という独裁国家としての利を活かすことで封じ込めに成功。さらには、近年の自国第一主義的な政権が世界各国で誕生していく過程が後押しし、他国や他の団体からの圧力や干渉といったものが鳴りを潜めるようにも繋がった。
しかしながら、米国の指導者が変わったと同時に起こったミャンマーでの所謂、軍事クーデターではあるが、シナメディアは「クーデターではなく大規模な内閣改造」という旨を全世界に伝えたことからも伺えるように、習政権下における "総括" というのは大規模な経済改革を意味していると考える。
つづく・・・