ゆぅすけです。
7月も今日で最後、明日からは8月です。まさに夏真っ盛りですね。
読者の皆様、そしてご訪問くださった皆様、熱中症などには十分に気をつけてくださいね。
わたし自身は、参院選・都知事選とこの7月は選挙ではじまり、選挙で終わったという感じで、やはりこの国の将来を考えたとき、どうしても無関心ではおれず、いろいろと世間様に物申してまいりました。
そんな中、バングラデシュでのテロ、相模原での大量殺人という悲惨な事件も起こってしまいました。世界的には、英国のEU離脱決定による影響、南沙諸島での支那に対する国際裁判の結果、トルコでのクーデターなど、国内外問わず、なにかと考えさせらることが多かったように思います。
このように、世が混乱の渦に巻き込まれていこうとするとき、ふと思うのがその巻き添えになりたくないということでしょう。英国によるEU離脱決定も、米国大統領選におけるトランプ氏の共和党代表としての選出も、そうした思いが各国民のもとにあったのではないでしょうか。
そしてわが国も、そうした方向へと向かおうとしているように思います。
ナショナリズムとグローバリズム、いずれも善いものと悪いものとがあります。民主主義と社会主義もそうですね。いずれかが絶対に正しいなんてことはありませんよね。
ですがどうしてでしょうか、いずれかが正しいんだ!的な風潮ができてしまいます。
これまで西欧諸国民は永きにわたり、ナショナリズムとグローバリズム、そして民主主義と社会主義という思想に翻弄されつづけ、変革をことごとく繰り返してきました。
結果、暴力革命や戦争で多くの血が流され、家族は分断され、土地を追われつづけてきたのです。
ルソーやマルクスといった西洋哲学者は、残念ながらそうした西欧の歴史しか知りませんでした。もし、当時の日本を知っていたならばどうなっていたでしょう。
皇室と国民とがたがいに尊重しながら国家を形成できること、そこにはナショナリズムもグローバリズム、民主主義も社会主義もありません。
あるのは、"和のこころ"ただひとつであります。
日本語には諸外国の言語では訳せない単語が山ほどあります。思いやりや真心、家族やおもてなし、侘びさびや感謝などなど・・・
そしてなにより、善いものは善い、悪いものは悪い、というその判断力はときの為政者だけでなく、武士や農民や商人分け隔てなく大人も子どもも優れていたように思います。
でなければ、2600年以上もの歴史を刻むことなど不可能であります。
"和のこころ"とは、単に人々が争うこともなく、平和に過ごすということではありません。さきほども述べましたような、
一つ、人々が思いやりや真心に満ち溢れ (不正がない)
一つ、天・地に感謝し (欲張らない)
一つ、先祖を想い (利己的にならない)
一つ、将来世代に繋いでいくこと (義務を果たす)
であり、仁・礼・信・義・智はひとの上にたつものの心得であります。
こうしたことを無視しつづけ、西欧の真似ごとばかりでは、いずれ国家の危機を迎えることになるでしょう。国家だけではありません。家族との繋がり、地域の繋がりがまずは危機的状況に陥ることになります。
"和のこころ"、まだまだ奥の深~いものではありますが、日本人としては、それを旨としてこれからを歩んでいきたいものであります。