ラヂオ惑星モルファス

死を意識する

亡くなった老母の弔問に何人かのお弟子さんがお見えになります。
老母も最期は認知症が亢進し最低限の生活も難しくなったので特養にお世話になりましたが、90歳までは気を張って、自宅での茶道教授を続けていましたか、90を超えた頃からかなり怪しくなっていたようです。
お弟子さん達からも、母親の状態やお互いのことなど、私には伝わらないように気配りをしながら話していますが、どっこい、男ではありますが、老女の会話など筒抜けに分かってしまいます。
でも、そうして古くからのお弟子さんが集まってくださると、4〜50年前の姿に戻るようで楽しいひととき。遺骨の前で賑やかに話していれば、私とそこそこ疎遠な面もあった老母も喜ぶでしょう〜と勝手に思っていました。
お弟子さん達も90歳を迎えた方もおり、死ぬ時はどうなったの?ねえ、私は怖いよ!
とおっしゃる。

皆さんならどう答えますか?
お弟子さんと言っても、母親に近い高齢だし私が高校生の頃からお世話になっていた奥様から、どうしよう死にたくないよ、と言われたら。
哲学者でも宗教家でもない私は、小さくなってしまった老女にうまく話すことができませんでした。

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コメント一覧

yzm22822
@hanakonoantena20220612 はなこ様 ありがとうございます。
 母親は、ある意味では「何も考えていない」タイプの人でした。先のことよりも今の今、自分自身が感じていることを中心に生きていましたから、その意味では本当に幸せな人生だったと思います。認知症になり、辛かった過去も不安な未来もなくなりましたから、そうした傾向は一段と進んでいました。人はこうして「今だけを生き」て、幸せに亡くなっていくのかもしれません。
それでも、「お葬式用」と書かれた茶封筒を見つけたのですが、写真がたくさん入っていました。勿論その中でも一番自然に笑っていた写真を飾りました。
hanakonoantena20220612
こんにちは。はなこです。

平均寿命を超えてもなお生への執着が強い人は幸せなんではないでしょうか?

若い頃に結核を患ったと言う義母は、晩年肺の疾患に苦しみ呼吸が困難だったので(現代医学では根治のしようがない)、早く死んで楽になりたいと言うのが口癖でした。周りがどんなに励ましてもどうしようもない。

義母にとって死は現生の苦しみから解放されることなんだと思うと、やりきれませんでした。

一方、若い頃は家族に対して強権的だったと言う義父は最晩年認知症を患い、常に穏やかな笑みを絶やさない好好爺になりました。お世話になった施設の職員からも慕われたそうです。

人生の終わりは人それぞれで、他人にあれこれ評価されるものではないなと思っています。それぞれの生も死も尊いものだと思いたいです。
yzm22822
@cforever1 クリン様 ありがとうございます。
年を重ねると「死」は自然に身近になってきますし、自分のこととしても自然体で受け入れて行けるようになってきますが、人によってはそれでもなお、「死」そのものが恐怖だという方も多いですね。私の父は「まだいろんなことがしたい・・・死にたくない」と思いながら他界しました。死を受け止めるのは自分自身しかいないようです。
cforever1
「眠るようにいきましたよ。さいごはたいていみなさん、そういうかんじになるみたいですね、高齢だと・・」とお答えするのが良いのかもしれませんね🐻(でも死にたくないという訴えだとそれはもう言いようが・・)クリンより🍀🍀
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