老母も最期は認知症が亢進し最低限の生活も難しくなったので特養にお世話になりましたが、90歳までは気を張って、自宅での茶道教授を続けていましたか、90を超えた頃からかなり怪しくなっていたようです。
お弟子さん達からも、母親の状態やお互いのことなど、私には伝わらないように気配りをしながら話していますが、どっこい、男ではありますが、老女の会話など筒抜けに分かってしまいます。
でも、そうして古くからのお弟子さんが集まってくださると、4〜50年前の姿に戻るようで楽しいひととき。遺骨の前で賑やかに話していれば、私とそこそこ疎遠な面もあった老母も喜ぶでしょう〜と勝手に思っていました。
お弟子さん達も90歳を迎えた方もおり、死ぬ時はどうなったの?ねえ、私は怖いよ!
とおっしゃる。
皆さんならどう答えますか?
お弟子さんと言っても、母親に近い高齢だし私が高校生の頃からお世話になっていた奥様から、どうしよう死にたくないよ、と言われたら。
哲学者でも宗教家でもない私は、小さくなってしまった老女にうまく話すことができませんでした。