ラヂオ惑星モルファス

今月の句会から(8月)



地域の句会は、公民館が使えるので通常通り開催できています。
ちょっと遠方で集まることになっている、かつての職場の先輩の句会は、近在から一時間程度電車に揺られて来る方ばかりなので、通信手段による句会になっています。
よく、俳句は「座の文学」だ、という言葉を聞きますが、人々が集まって「文学」(文芸)を語っている・・・なんて卑猥ではありませんか?自らの芸術的感興を文字にして、それを人と語り合う・・・?創作は自慰みたいなもの・・・と思っているので少し気持ち悪いのですが。まあ、それはそれで、自分で蓋をすればいいだけですし。

で、そのためでもないのですが、一周で消えてしまう句会での批評も、自分の俳句を発展させるためであれば、どのように生かしていくかを考えて工夫する必要もあるかな?と考えて句会の「会報」を編集することにしました。
やってみると、自分の勉強材料にしている、という感じもします。まあ、年寄りたちの公民館句会ですから、この中から何らかの「賞」を頂いて句集を発行し・・・なんて方は現れないと思いますが、しっかり勉強してみればまた新しい世界も広がるような気がします。

メンバーの方から選を頂いた句をひとつ。兼題は「手」でした。

手触りの荒い残暑や疫病の日   正治

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

惑星モルファス
俳句への取り組み方
知青さま、ありがとうございます。
おっしゃる通りですね。今回上げた句は私の出来損ないで、句会に提出してから間違いや不十分な点に気づいたり、主宰から話を聞きたかったものです。
句会のメンバーからは何の指摘ももらえず、主宰からは「疫」の一字では(えやみ)とは読まないしフリガナはやめるように、と言われました。
座の在り様にもかかわりますが、充実した議論にもならなかったのです。あ、「荒い」は「粗い」じゃない?と言ってくれる人もなく・・・それで、まあ少し疑問を持った次第です。
知青
私は、
俳句についての考え方、接しかたとして
2通りあると思っています。
ひとつは、
座の文芸として
みんなで侃侃諤諤やって楽しむやり方。
もう一つは、
俳句を文学としての域まで高める程に
孤独にも耐えて
自分なりの芸術を作り上げるやり方。
人生は短し、芸術は長し
ですが・・・
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「俳句」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事