ラヂオ惑星モルファス

俳句から・・・テロを考える

『名はさくら大量無差別殺人罪』『かの国のかの夏を行く英雄は』(ブログから無断で引用させて頂きました。申し訳ありません。)

昨年、12月24日、シナプスの活動が衰えてしまった私ごときには、到底作れない俳句を詠まれるし、知性溢れるブログに対しても大変尊敬している熊本の「知青の丘」さんの俳句を拝見し、どう読み取れば良いのか・・・当時の私は立ち止まってしまいました。

つい最近の出来事ですが、5月28日に日本赤軍の重信房子が刑期満了で釈放されました。副題に テロを考えて・・・としたのは、重信房子の釈放のニュースが大きく取り上げていたからであり、改めてテルアビブ事件のこと・・・現在もパレスチナゲリラに守られて生きている岡本公三、テルアビブ・ロッド空港で死んだ、奥平剛士、安田安之を考えたからでもあります。

 

1968年頃からの数年間、高校生であり大学生であった私は、当時の多くの若者同様、ベトナム戦争や自民党政権による日米安保条約の改定、大学を取り巻く様々な「保守的」な流れなどの閉塞感を、爆発的な力で何とかならないかと感じていました。しかし、歌にもあるように、就職が決まり髪の毛をきちんと整え、長かった髭も剃って卒業して行く先輩も沢山いました。一番仲の良かった・・・文学の面でも思想的にも尊敬していた・・・S君が、大学を封鎖した威力業務妨害や器物損壊で懲役1年・執行猶予3年の判決を受け、牛乳屋になるから・・・と言って大学を去りました。一方、強烈なアジテーションで近寄りがたかった先輩(名前は忘れました)は、多分機動隊が導入される直前に「封鎖」から出たのでしょう、勿論逮捕もされず『資本主義の牙城』(証券取引所?)に就職したとの噂でした。とても頭の良い回転の速い先輩でしたから・・・

結局、こうして多くの若者は「肩をそびやかし、ポケットに手を突っ込んで」巷に紛れていったのですが、本当に純粋に、真剣に『革命』を考え可能性を信じた者もいたのでした。そうはいっても、近親憎悪的なセクトの分裂や対立の中で暴力的な事柄はどんどん増え、大学の授業の中で「おまえが生きていること自体許せねえ」と本気で暴力を振るい合った同級生。学部の学生室で「気に入らねえから、煙草は奴の顔で消すんだ」などという会話も普通にありました。こんな、愚かでつまらない行為が『革命』などとどう繋がるのか・・・『革命』にのめり込む人たちはますます閉鎖的なセクトに中に閉じこもり、それ以外の人を信用しなくなり・・・当然、初期の頃のオープンでリベラルな議論など全く消えてしまいましたし、自由などと言う甘い言葉などで生きていける環境でもなくなったのです。

日本赤軍はテルアビブ事件の後に正式に発足しています。元々は共産主義者同盟赤軍派の流れだと思いますが、全く何の関わりのない私には分かりません。日本赤軍やテルアビブ事件、重信房子などについてはウィキペディアにアウトラインが載っていますのでそちらをご覧ください。

さて、テルアビブ事件は私にとっても大変衝撃的な事件でした。第一印象は「なぜ、直接日本の政治状況(利害関係)には関わりの薄いパレスチナ問題で、それまで聞いたこともないような過激な武装組織の手先になって、軍事的には空軍基地などに比べて意味の薄い空港で、しかも着いたばかりの民間人の巡礼者を無差別に殺すことに何の意味があるのか?パレスチナの解放闘争とは全く無縁のことであり、しかも襲撃後は自爆という『特攻隊』めいた(日本的な)やり方に世界が共感するとでも思うのか。」というものでした。

詳しいテロの歴史は分かりませんが、テルアビブ事件以前のテロと言えば、基本的には、政治的に対立する勢力を排除する(或いは、植民地支配に抵抗する)などの政治的な目的で、軍事的には圧倒的に不利な側(対等な戦争が行えないほど軍事力の差がある)が、有利な側・支配している側などの鍵となる人物や象徴的に重要である人物などの殺害などを行い、そのことによって政治体制の転覆を企図するものだと思います。

ところが、テルアビブ事件は軍事的・政治的に意味の薄い民間空港の旅客ターミナルへの攻撃を、「無差別に」「無抵抗の民間人を・・・子供なども含め」「人質に取るのではなく、ただひたすらに殺戮を行い」「殺戮が終わったら自爆した」というそれまでのテロにはなかった行為だったと思います。

これによりこれまでのテロから大きく変質して「無抵抗の人々を、無差別に殺戮することによって、社会的な不安や、人々の相互不信感を助長し、政治体制を不安定化させる。」ことが、テロ行為・・・特にイスラム過激派の・・・大きな潮流となってしまいました。しかも、それまで本来は「自殺」をタブーとしてきたイスラム教徒に、例えば「シオニスト達を追い落とすための殉教」であるから「自爆テロ」も許される・・・というような流れも作ってしまいました。

つまり、テルアビブ事件とは、それまでの常識的なテロ(例えば、安重根の伊藤博文に対するテロ、ガリブロ・プリンツィプによるオーストリア帝国のフェルディナンド大公に対するテロなど)の概念を覆すものであり、まさに単なる人殺しに政治的・宗教的メッセージを乗せようとするもので、近年のアメリカ各地(特に学校)で起こっている乱射殺人事件とさほどの違いはないように思います。岡本公三は、今でもPFLPからは『英雄』扱いらしいですね。でも事件当時、かれはイスラムの何たるかも全く知らなかったようです。「世界同時革命」という幻想にのみ依拠していたようですが・・・やはり、あの事件を起こした時、単なる人殺し以上の存在ではなかったように感じます。『革命』とはそんなもんじゃない、と思うのですが。


さて、私は花鳥諷詠を金科玉条とする者ではないし、所属する句会では異端の様です。でも、心を奪われるのは加藤楸邨、山口誓子、そして恩師の西嶋あさ子といった俳人の句です。

やはり、冒頭の句をどう受け止めるか?自分自身のなかにそれなりの葛藤を生ずることも確かです。

僅か17音、これ程悩ましい詩の形はないですね❣️ 


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コメント一覧

惑星モルファス
@sin_chiseinooca2 知青の丘さま 追伸です。
現代俳句全国大会でお忙しいところにもかかわらずコメント頂きありがとうございました。今年は九州・・・小倉で開催なのですね、私は応募出来るような力もありませんが、影ながら大会のご成功をお祈りします。先ほどの返信でこのことを言い忘れまして・・・
惑星モルファス yzm22822
知青の丘さま
コメントありがとうございます。あっ、そうか!!!
5・7・5・7・7の7・7を読み手が作り上げて欲しいと言うことですね?これは・・・・本当に目から鱗です。
思想であったり詩であったり、と考え込んでいたのですが、そうか、歌なんですね。私は、本当になんにも知らないなあ・・・

正直に言うと、私は「自由」を信頼していません。素手で自由を持つことは出来ないから・・・自由の裏側に自由でない素顔が必ず透けて見えるから(若い時に嫌な時代に生きたからかなぁ・・・)。自らの詩的感興に正直でいて欲しい、私はこのように感じた・・・ことを語っても良いと思っています。

それにしても・・・様々な能書きを捨象して、そこを「歌ってみる」だ!と気付きました。本当にありがとうございます。感謝!!!!!しています。
sin_chiseinooca2
拙い句の張本人としては
なんと申し上げたらいいのか困るのですが
私はどの陣営にも属さない者です。
同調圧力がイヤで
元々組織というものが好きになれない
一匹狼的な生き方をしてきましたから。
「いちご白書」の歌は
ある部分の真実を突いているようで切ないです。
精神的にもうまい具合に逃げられた者と
そうでない者、ノンポリ・・・
悲喜こもごも~
私などは、
学生運動が下火になった頃大学入学しましたが
同時に入学した女学生がいつの間にかいなくなっていました。
どこかの大学教授の娘さんと聞いていましたが
どうもあるセクトに身を投じたようです。
なにがそうさせるのか
そうさせたのか
私などは、のほほんと生きていましたから
全く分からない
だからこそ今、
やっと考えられるような気がしています。

57577の77である、
句の読みや解釈は、批判も共感も
読み手が決めること
それでいいんだと思います。
問いかけだと思っていただければ~
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