先週の水曜日は例月の句会でした。私が属している結社は、どちらかと言えば「伝統俳句」に近い・・・というか、特に主宰の方はその傾向が強いらしく、私たちの句会の指導をしてくださる同人の幹部からは「私はこのあたりはもう許されるものと考えていますが、主宰は厳しいですから・・・」という言葉が良く飛び出します。ですから、あえて破調にして緊張感を持たせよう・・・とか、少し離れた二つのイメージの衝突から新しい感覚を生み出したい・・・といった傾向の句は、ほぼボツになるようです。
以前もこのブログに書きましたが、添削するのは『こう直せば良い句になる・・・』と先達の方が考えたからでしょう。明らかな日本語の誤り(文法、語彙など)以外は「このようにすれば良い句になる・・・」と・・・・・。しかし、明らかに詩的な感興を削いでしまうこと、こちらの感性を全く理解していないと思われることも多いのは、どうにもならないことではあります。今、私を含め俳句などの短詩に取り組む方は、年寄りも多くどう見ても「単なる日常を切り取っただけの散文」であることが極めて多いように思います。勿論、私の能力が足りないために、そのような人々の詩的感興を捉えられない・・・ということはありますが。そうした傾向の人が句会に多ければ、「孫俳句」や「優しい」といったような直截な形容詞を使った俳句が多くなってしまうし、句会の大多数の人の票を集めることになってしまいます。
ですから、句会で講師が選句したり講評するのを聞いていても、どうしてそうなるのかな?と思うことも多いし、相互に批評し合うことが少ないのが最近の不満ではあります。
7月号の結社誌に掲載された拙句から・・・仲間には「角打ち」があまり理解されなかったようです。主婦の方が多いからかな?
角打ちに折目正しき新社員 正治