くろがねの秋の風鈴鳴りにけり(飯田蛇笏)
俳句の世界、特に「結社」には「師系」という事柄があることを知りました。俳句を学びだし公民館俳句からもう少し広い世界を知りたいと思って商業誌を読むようになってからのことです。
公民館で指導してくださる講師の方によると、私が所属している「結社」は、飯田蛇笏を師と仰ぐ長谷川双魚の流れ・・・なんだそうです。ということは、基本的には高浜虚子に繋がる「ホトトギス」系の俳句なんだ・・・ということで、時々私が作る破調の句や抽象の度合いが少し強い言葉の使用が講師に全く評価されないのも当然のことではありますね。
確かに俳句は「座」の文芸といわれるように、句会に参加している人々に私の心情やが伝わらなければ、それこそ「いいね」は頂けないという事になりますので、結局「座」を構成する人々の教養や心情などに左右されます。講師もよく『皆さんから「選」を頂けなくても、或いは私の選評に納得出来なくても、「講師も皆も分かっていないなあ」と思えば良いのですよ。』と言っています。確かにそのとおりなのですが、どうしても「座」が終わればちょっと物悲しい想いだけが残り自分の句は捨て置かれ更に良い句にしようと考えることが少ないように思い、会報を出して句会で出た意見などをもう一度考える材料にしました。しかし、たかだか4ページですが正直言って編集は大変、特に今週開かれた句会ではボイスレコーダーが途中で切れてしまって意見交換が全部パーになってしまいました。何とか私と講師の記憶を繋ぎ合わせて完成させました。私の勉強のためも半分、メンバーにも参考になると良いのですが・・・