僕は一貫して最初から反対なのですが。
で、アスリートが自分の記録やメダルに拘ることはそれ自体は全く問題ではありません。
それはどんな人のどんな願いに対しても同じだと思います。
今コロナ禍で飲食業を始めようとして、やめろと否定される人もいるでしょうし、何かを自己責任で求めるというのは否定されるべきではありません。
僕だって僕の目標を叶えることは、誰かにとっては馬鹿げたことであるだろうし、その目標を追うことは周りの誰かの迷惑になるかもしれません。
しかし、それらの批判を引き受けた上でもなお達成したいわけです。
故にそれにまつわる批判はそれが団体であれ個人であれ逃れるわけにはいきません。
五輪に反対することはそれはもう直接でないにしてもアスリートに対して諦めろと言うのに等しいわけです。個人に言わずとも同じことなのですようは。
しかし、人の命がかかっている今回は迷惑を被る方の人たちに対して慎重にならざるを得ないと思います。
普段やらず後悔するよりやって後悔しろと言うことがよく人生訓として語られますが、五輪はどうでしょうか。
もしかすると中止を決定した後でコロナがそれなりに収束し、やっぱりできたじゃん!やればよかったのにと言う声があがるかもしれません。
一方で開催した後多くの人が死に、やらなきゃよかったと思うかもしれません。
アスリートはやらなきゃよかったと死体の前で泣くのでしょうか。