雑記zaki

日々の雑記

さざ波発言に見るデータ主義の末路

2021-05-11 20:13:00 | 日記
このような問題は我々が数字だけを信頼して、その先に人を見ないという問題をあらわにしている。

毎日毎日感染者は何人、死亡者は何人、重傷者は〜というニュースを見ていると次第に数だけを重視してしまう。
今日は多いな少ないな、それくらいの感想しか持てない。それが普通だと思う。

しかし、その数字の先には具体的な人がいるということを常に忘れてはならない。
データがさざなみのように見えても感染した人、身内が亡くなった人など渦中の人たちは全然さざなみではないのだ。
このような思慮が浅薄だからこそさざなみだのという発言が出てくるのである。
端的に言ってこれは頭が悪い発言だとしか言いようがない。ただただ数字とグラフだけ見てその先の人を見ていない。

具体的な人を忘れてただの数字だけを追いかけるようになったらもう終わりだ人として。

筆記具へのこだわり

2021-05-10 22:58:00 | 日記
しばらくシャープペンシルは0.3のオレンズがメインであったが、久しぶりドクターグリップの0.5を使っている。
しかも大昔の太いドクターグリップである。
どう無くなりそうだとかいうレビューを見たが本当だろうか。
ボールペンバージョンってなかったかなぁー。
ボールペンバージョンを使いたい。

ボールペンだとビクーニャが一番かな
ゲルインクだとユニボールシグノは昔から好きで色ペンなどはよく使っていた。
エナージェルというやつを新しく使ってみたが、ゲルインクはやはり裏写りが気になる。

ペンを変えるだけでも気分が違う。
最近はガラスペンも気になる。

話は変わるが最近健康志向から減塩とか無塩が多くて困る。
ナッツを買おうと思ったのだが、無塩ばかりで。
無塩のものも食べたことあるが本当においしくないので2度と買わんと決めている。

塩マシマシでいいんだよ、健康なんてクソ喰らえや。

やらないより五輪をやって後悔した方がいいのか

2021-05-09 21:44:00 | 日記
僕は一貫して最初から反対なのですが。

で、アスリートが自分の記録やメダルに拘ることはそれ自体は全く問題ではありません。
それはどんな人のどんな願いに対しても同じだと思います。
今コロナ禍で飲食業を始めようとして、やめろと否定される人もいるでしょうし、何かを自己責任で求めるというのは否定されるべきではありません。
僕だって僕の目標を叶えることは、誰かにとっては馬鹿げたことであるだろうし、その目標を追うことは周りの誰かの迷惑になるかもしれません。
しかし、それらの批判を引き受けた上でもなお達成したいわけです。

故にそれにまつわる批判はそれが団体であれ個人であれ逃れるわけにはいきません。
五輪に反対することはそれはもう直接でないにしてもアスリートに対して諦めろと言うのに等しいわけです。個人に言わずとも同じことなのですようは。

しかし、人の命がかかっている今回は迷惑を被る方の人たちに対して慎重にならざるを得ないと思います。

普段やらず後悔するよりやって後悔しろと言うことがよく人生訓として語られますが、五輪はどうでしょうか。

もしかすると中止を決定した後でコロナがそれなりに収束し、やっぱりできたじゃん!やればよかったのにと言う声があがるかもしれません。

一方で開催した後多くの人が死に、やらなきゃよかったと思うかもしれません。

アスリートはやらなきゃよかったと死体の前で泣くのでしょうか。


選手は何も変えることができないというのは欺瞞である

2021-05-08 19:48:00 | 日記
選手が出ない大会は開催できない。どんなに金目当てで開催したくとも選手が出ないと言えばできないのである。

アスリートの力、スポーツで夢と希望をと宣うのであれば選手全員が徒党を組んで五輪をボイコットしたらよい。

選手個人は何も変えることができない、いやいやそんなこたぁありませんよ。

しかしながら何がなんでも出たいという選手の気持ちも当然わかります。
ならば当然批判は甘んじて受け入れるべきです。個人に対して辞退しろなどと直接言うのはよろしくはないですが、応援してもらおうなどと思うのは傲慢がすぎます。
人が死のうが知ったことかそんなもの!アスリートとして五輪に出るのだという欲望を持つのであればそれ相応の誹りは免れないのでないでしょうか。

しかしこんなんになるまでアスリート側からまともな意見が出てこないあたり、健全な精神は健全な肉体に宿ることなど全くないのだというのがよく分かって面白かった。

今更ようやくIOC批判

2021-05-07 21:42:00 | 日記
東京五輪どころかオリンピックの一旦廃止を望む過激派の僕は日本人が森叩きに勤しんでいた時からIOCをぶっ叩くべきだと思っていた。ブログに書いたかは忘れたが。

ともかくIOCという銭ゲバ集団を一旦解体する必要があり、お金儲けからオリンピックを取り戻すべきなのである。
そしてその目的のためなら世界で一つになれそうである。森叩きJOC叩きなんかよりよっぽど一つになれるはずである。

しかし何故だか日本人はJOCに対する批判はするくせにIOCに対する批判はほとんどなかったように思う。アメリカが批判したら思い出したかのように叩いてるところがなんというかもう。

いずれにしろ東京五輪はもはや何のためにやるのかわからない。
スポーツで夢と希望だの、スポーツの力だのは理念あってのものである。
死体の横で金メダル取ってなんの意味があるのかわからない。それはカネにはなるだろうが夢にも希望にもならないのである。