ある本を読んでいて「帆待(ほま)ち」という言葉を目にして、アレっとなった。
わが幼かったころ、時々父母が“ほまづ”と言っていたからだ。
多分それは泡沫=あぶく銭といった類のものを指していたのだろうくらいにしかわたしは思っていなかった。
*
その昔、川舟は帆かけて航行することができないところでは人間が引っ張った。
特に、下流から上流に物資を運ぶ際には、この方法に頼るしかなかった。
川岸に沿って岸の上から舟を曳く光景は、全国いたるところで見られたことだろう。
貞山運河(宮城県)はもちろん、阿武隈川(福島県~宮城県)や北上川(岩手県~宮城県)の運河化は、こうして実現していった。
「帆待ち」とは、まさに曳舟の出番待ちということ。
*
わが手持ちの、国語大辞典(小学館)には次のようにある。
【外待・帆待】
①<帆待>運賃積船の船乗りが、ひそかに運送契約外の私の荷物または他人依頼の荷物を運送して内密の収入を得ること。また、その収得した金銀。
②定収入のほかに、臨時に入る私の収入、役得などで個人的に入る金品。
③ひそかに貯めた金。へそくり。
*
わたしの両親は生まれ育ちも奥羽山脈の麓のいわゆる辺鄙と称されるような集落。
北上川舟運を含めて帆待ちなどするわけがないから、「帆待ち>帆待つ>ほまづ(なまっている)」はかなり昔から一般的な言葉として使われていたのだろう。
舟には縁遠かったわが郷里でも・・・。
わが幼かったころ、時々父母が“ほまづ”と言っていたからだ。
多分それは泡沫=あぶく銭といった類のものを指していたのだろうくらいにしかわたしは思っていなかった。
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その昔、川舟は帆かけて航行することができないところでは人間が引っ張った。
特に、下流から上流に物資を運ぶ際には、この方法に頼るしかなかった。
川岸に沿って岸の上から舟を曳く光景は、全国いたるところで見られたことだろう。
貞山運河(宮城県)はもちろん、阿武隈川(福島県~宮城県)や北上川(岩手県~宮城県)の運河化は、こうして実現していった。
「帆待ち」とは、まさに曳舟の出番待ちということ。
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わが手持ちの、国語大辞典(小学館)には次のようにある。
【外待・帆待】
①<帆待>運賃積船の船乗りが、ひそかに運送契約外の私の荷物または他人依頼の荷物を運送して内密の収入を得ること。また、その収得した金銀。
②定収入のほかに、臨時に入る私の収入、役得などで個人的に入る金品。
③ひそかに貯めた金。へそくり。
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わたしの両親は生まれ育ちも奥羽山脈の麓のいわゆる辺鄙と称されるような集落。
北上川舟運を含めて帆待ちなどするわけがないから、「帆待ち>帆待つ>ほまづ(なまっている)」はかなり昔から一般的な言葉として使われていたのだろう。
舟には縁遠かったわが郷里でも・・・。
おら方では「ほまず」
①の<帆待>運賃積船の船乗りが、ひそかに運送契約外の私の荷物または他人依頼の荷物を運送して内密の収入を得ること。また、その収得した金銀。
には間違いないでしょう。
中学の時に先生に聞いた話ですが、寒風沢から江戸に向かうのに風を待つ(東回り)、寒風沢は風待ち港なんですね。その間に稼ぎをするとか…当時の稼ぎはアルバイトか博打なんでしょうかね…
寒風沢水道は水深が深く、湾内の波も高くないことから良港だったようですね。奥州仙台領国絵図(1645年仙台藩製作)には、東廻海運のメインルートとして寒風沢水道を通るコースが描かれています。
港が賑やかだったころは遊郭もあったらしく、島には「しばり地蔵」(船乗りたちが島から出ていかないように遊女が地蔵をしばって願掛けした)なるものも残っています。
浦戸諸島は何度か歩き回っていますが、また行きたくなりました。奥松島宮戸島とも渡船でつながったようですし~。