旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

雅叙園で昼食会

2024-04-21 23:54:06 | Myファミリー
今日の昼は、わたしの快気祝いに名を借りた昼食会だった。
参加計8人。

発案者は長女。
「親孝行したいときに親はなし」を気にしだしたのかな~?
わたしはまだこの世を去るつもりはないのだけれど・・・。

場所は、目黒区にあるホテル雅叙園東京。
わたしの希望を入れて中華のコース料理。
その後は、東京都指定文化財になっている百段階段や大正ロマンを感じられる展示物などを見て回った。

妻や子、孫たちはお土産品販売コーナーに入ってサッパリ出てこない。
思い思いに品定めをしていたようだ。

その中には御朱印帳も入っていた。
さっそく帰りには行人坂のお寺さんに立ち寄る。
どうやら、野山歩きや運河めぐりなどに出かける私に対抗して、妻や娘たちは新たな趣味として寺社仏閣めぐりを始めることにしたらしい。

久しぶりに家族で過ごす楽しい充実した日だった。



(連続する壁画がすごい。)




(2階以上は宴会場や結婚式場)


(和食亭)




(庭にある池と滝)


(滝上部わきから見下ろす。)


(滝の裏側から見下ろす。)


(都指定有形文化財の百段階段)


(階段途中にある部屋の一つ)


(孫たちの撮影)


(こちらは別の部屋。装飾がすごいことになっている。)


次は、行人坂のお寺さんに。



(天台宗 松林山 大円寺(だいえんじ)
寛永(1624~1643年)のはじめ、湯殿山の大海法印が寺の前の坂(行人坂)を切り開き、大日金倫を祀り、祈願道場を開いたのがその始まりとされている。




(五百羅漢)




(気が付いたらチビ孫が一人で手を合わせていた。)
親たちは御朱印帳を持って寺務所の中に入っていた。


(阿弥陀堂)
画像左側には、「八百やお七と吉三(西運)」を紹介する案内が設置されている。


内容(要旨)は次のようなもの。
天保2(1682)年の火事の際、お七(16歳)は避難のため近くの円林寺に仮住まいしていた。
その時に寺小姓の吉三(18歳)に恋した。
避難生活が過ぎ、離れ離れになったお七は、吉三会いたさに乱心して自宅に放火。
大事には至らなかったが、火付けは大罪。
お七は江戸中引廻しの上、火刑に処せられた。
吉三は剃髪し西運と改め、念仏を称えながら諸国巡礼の行脚をした。
その後、大円寺下の明王院(現 雅叙園)に阿弥陀三尊仏を祀り、一万日の念仏行を遂行。
27年と5か月をかけて完遂。
そして、夢枕に立ったお七から成仏したことを告げられる。
その時のお七の姿が、祀られているお地蔵さまになっている。




坂の途中の小さなお堂も覗いてみる。










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2 コメント

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雅叙園 (ウォーク更家)
2024-06-22 05:47:26
雅叙園は、行く毎に違う催し物をやっているので、何度行っても楽しいです。
返信する
雅叙園 (やまぼうし)
2024-06-23 17:01:14
ウォーク更家さん、こんにちは!
聞いていたよりもすごいところで、驚きました。
返信する

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