当時お話。
毎週2度。
担当先へ定期訪問してた。
3.11 以降も、
ずっと行ってた。
福島県。
原発まで60kの街まで。
今、
当時の空間線量を町のホームページでみても、
測定結果は低いんだけど。
海外のメディア等でのニュースや、
当時の状況って・・・・・良くなかったね。
こう言った点、
当時の日本の情報操作?みたいな事、
感じる。
3.11の時期が近くなって来ると、
思い出すことが多いの。
同情を引くような表現で心苦しいけど、
当時の記憶は、
なかなか薄まらないものだ。
今も夢に見る。
っと言っても、
僕の夢、悪夢は福島の出来事じゃなくて、、、、
当日の津波の悪夢。
当時の僕は、
福島県と千葉県の両県、
営業担当っと言うとんでもない?業務でした。
津波は逆方面の、、、
自分が住む地元の茨城県。
鹿島港からの内陸への神栖市への津波。
丁度、
千葉県からの帰り道。
両テリトリーが担当で、
しかも一般道での移動手段。
片道100k超。
だから福島県の事や話題には、
今でもナーバスになるし。
現地出身でも何でも無いんだけど、
僕自身は全く関連ないんだけど。
現地のお客様のことが今でも忘れられるはずが無くて、
福島県に住む人達への差別問題も、
当時から感じてた。
かく言う僕自身も、
原発からその位置の街まで、
毎週通っていたし。
周囲からツマラナイ事言われると、
余計に意地になってた。
福島の食べ物、
現地でランチ食べてたし。
美味しくて人気が凄いお店に進すんで行ったし、
敢えて福島でランチ食べたかったから。
美味しかったんだ。
多分、
当時ブログでも綴っていたかな。
更に、
千葉県(海岸線)も担当してて、
3.11当日は一生分の恐怖を味わう事。
津波に身を以て遭ったことは後々トラウマに。
12mの津波、
肉眼で見たことも、
目の前で味わったことも、
半分浸かりつつも車で逃げ切れた運も、
結果的に運なんだろうか。
どの恐怖にも似ていなくて。
だから。
不信心な僕が、
どんなことが起こっても、
せいぜい募金程度だった奴ですが、
その後に東北ボランティアに毎月参加するようになった。
あの恐怖、
あの絶望感、
あの寒さ、
冷たさ、
味わったからこその想い。
初めて心底から痛みを知ったから、
少しでも誰かの痛みに寄り添いたい。
何かを救いたい、
そう思うようになった。
でも出来ることなんて、
たかが知れている事だったけど。
人ってそんなもんだ。
タイミングもあったかな。
以降、
ボランティアに参加するようになった。
それに巻き込まれたのが奥様と子供ちゃん。
優しいから一緒に参加してくれたけど、
暑い日、
寒い日、
当初は夜行日帰り。
ハードだった。
東北への通れる道路の制限もあったし、
宮城県は遠かった。
その数年間毎月行ってた。
勿論、
ボランティアと言えども、
実費参加費。
何年間もの間、
僕のわがままで相当な出費。
労力。
お金なんて無いのに、
他に必要なお金を使ってまで。
昨今、
昨年は一回しか行けてない。
日曜日休めなかったから。
また。
3.11が近ずいて来て、
気持ちの区切りも有るし、
忘れたくない想いもあるし、
行けるのなら行きたい。
作業して来た場所も、
街も変わって、
廃校になった学校も庁舎も跡形無くなって、
それでも海は変わらないものだ。
あの海は、
やっぱり同じ海だもの。
行きたいな。
区切りが付けられるものなら。
もう夢に出ないで欲しい。
例え夢の中でも、
大切な人を奪わないで欲しい。
冷めてから現実を理解するまで、
物凄く時間がかかる。
自覚出来るくらい病気だ。
そう言う機会も含めて、
やっぱり東北に行かなくちゃと思うんだ。
by おやじボクサー