おやじボクサー(57歳。 19年間ボクシング)   3.11宮城県ボランティア11年間実費参加・『津波』に遭った生き証人

元車椅子。右足首金属ボルト接続。『おやじファイト』優勝。東京での試合は?10戦7勝3引分(39〜44歳)TV放送2回有り

明日が僕の「最後」の日だとわかっていたら(長文です)

2019年11月20日 22時11分25秒 | 3.11ボランティア 茨城県水戸から宮城県11年間参加<<社会福祉協議会>>

これ。

何回か同じこと言い続けてます。

 

 

 

11月。

宮城県へのボランティア。

片道500Kの弾丸日帰り。

 

 

 

先日は中止で行けなかったから、

過去何十回と現地へ行ってても今回は久し振りに行きたかった。

行ければ一年振りだったんだ。

段々と行く機会が減ってしまった。

 

 

 

時折、

僕が自分の気持ちに素直になれなくて、

明後日の方向に曲がっている時、

よくあるんです。

また3.11以来のこんにち迄の時間、

どれだけ恵まれていたのか、

今住んでいる所と、

津波に全てが飲まれた所と、

何がどう違うのか?

運命の差って何なんだろうとか。

 

 

被災地って言葉で一括り、

そこがどれだけ広くて何県にまたがっていても被災地。

遥か広い海、

何もかもを奪っていった海。

以降、

海が嫌いになっていったって言葉も沢山聞いた。

 

 

 

 

 

 

あれからもずっと考えている。

特に一人で時間を過ごせる時はね。

 

 

 

多分。

これは、

過去のどんな災害時でもそうなんだけれど。

人間は同じ境遇に遭わなければ?

一時は深く想いに果てても、

TVで見る映像に衝撃を受けてても、

またいつもの日常へ埋没してしまうんだろう。

 

 

そうでもしないと、

ね?

普段の生活が最優先だし。

止まって居られないはずだし。

僕も今までの自然災害でも、

そんな思いしか持っていなかったから。

 

 

 

だから。

余計に。

忘れない為にも、

今まで自分の眼で、

見てきたものや出来事。

眼の前に起こった事。

当日の津波。

全て。全て。

眼前の津波。

全て。

 

何度も思い出す。

普段能天気な事ばかり考えていても、

美味しいもので満たされていても、

静かな時間が訪れれば?

思い出す。

 

 

思い出した時に、

今まで東北で撮って来た写真も。

見てしまったりしてた。

今でもHDにしっかり保存している。

 

 

 

決して縁起が良いものじゃないんだけど。

非日常過ぎる大地を、

見直すことで、

当時の生々しさを体に思い出させます。

見直す時も勇気が要るけどね。

 

 

わかってくれる人がいようがいまいが。

関係ない。

これはTVの画面だけじゃわからない。

自分の脚で直接の、

あの北の大地に立って見てきた事。

 

流され荒れ果てた大地を見て、

たっくさんの人が亡くなった海を見て、

ほとんどの子供が亡くなった小学校。

何を思うか?

何を感じるか?

 

 

愛する人を津波で失くした女性の横顔、

未だに、

この瞬間でも、

どれだけの時間が経っても脳裏から動かない。

眼に焼き付いている。

 

 

今では、

出逢わなかったら?

良かったのに。とすら思う。

そのくらい悲しむ顔が鮮明だ。

 

 

流された物。

きっとそれまでは大切に使われて来た品々。

車。

家具。

洋服。

冷蔵庫。

沢山の写真。

学生カバン。

泥んこまみれの小さなぬいぐるみ。。。

えんぴつ。

 

 

たっくさん拾って来た。

名前が入ってた小学生の名札もね。

海水で名札が滲んでいた。

 

 

 

 


皆さんに言いたいこと。

 

 

 

当たり前のように明日がやってくるとは思わないで。

傍に愛する人がいるのが当たり前だと思わないで。


 

こんな僕が言うのも、

もっとも適していないけれど。

僕が怒られるような立場だけど。

 

 

 

これ。

以下の言葉。

 

3.11とは全く違う趣旨だけど。

有名な話です。

ずっと何年間も忘れられない言葉。

3.11以来、

ずっと頭から消えない言葉。 

 

 

どうしても、

僕は。

3.11に重ねてしまう。

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

明日が必ずやって来ることが、

愛する人が傍にいることが、

当たり前だとおもっている事が、

それが勘違いで、

今日で終わってしまうのだとしたら。

 

 

  

あなたは言わなくても分かってくれていたかもしれないけれど、

最後だとわかっていたら

一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と

わたしは伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる

 

 

 

でももしそれがわたしの勘違いで

今日ですべてが終わるのだとしたら

わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも

明日は誰にも約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめられるのは

今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら

今日でもいいはず

もし明日が来ないとしたら あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや抱擁やキスをするための

ほんのちょっとの時間をどうして惜しんだのかと

忙しさを理由に

その人の最後の願いとなってしまったことを

どうしてしてあげられなかったのかと

 

 

だから今日 あなたの大切な人たちをしっかりと抱きしめよう

 

そして その人を愛していること

いつでも いつまでも大切な存在だということを そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を

伝えるときを持とう

そうすれば

もし明日が来ないとしても

あなたは今日を後悔しないだろうから

 

 

 

 

 

 

 

 





 

 

 

 

 

能天気に生きてる奴に限って、

逆に心が破けそう。

 

 

発端は?

何年間も前に耳にした、

とあるラジオ番組で聴かされた話です。

 

 

時折、

この言葉で頭がいっぱいになったり。

 

 

よりによって、

3.11の悪夢を見て夢と現実の境がつかない真夜中。

そして、

一年に数回程度、

とんでもない夢を見ます。

今でも。

失う夢。

頭おかしいよ。自分。

 

 

 

 

by  おやじボクサー

 

 

 

普通に迎えられることがどれだけ尊い事なのか、

一番わかっていないのが僕です。

 

愛する女性の誕生日、

あと少し。

 

 

 

ごめんね。

 

 

 

 

 

 

 



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