おはようございます!!
土曜日になりました。
昨日は(金曜日)残業で、
時間的に練習は沈没でした。
仕事の話ですが、
改めて、
僕が担当しているお客様のところへ行って来ました。
そのお客様は、
津波の被害が一番大きかったところです。
震災から2週間が経った訳ですが、
「何とか」掃除が終わった。
そんな真っ最中でした。
大きい2階建ての会社ですが、
1階は「まるまる」飲まれてしまって、
全てのモノがダメになってしまった程度で済まされず、
当然働いている社員さんの「通勤の車」や、
営業さんの「営業車」が海水で水没だったり、
流されてしまったり。
運良く?
営業で遠くを走っていた営業車は無事だったようです。
何から手直しして良いか?とか、
そんな生易しい程度ではなくて、
会社機能が全滅、
そんな表現が当てはまるような現状でした。
会社再生にかかる莫大な費用が、
「億」単位でかかること。
それでも会社を継続させていかなければならないこと、
その選ばざるを得ない選択肢が究極であること、
会社と言う存在は経営者1人だけの問題ではなく、
働く社員家族全ての人生もゆだねられています。
何から何まで、
全てを背負って再生しようと言う強靭な意志を感じました。
これからの経済状況を含めても、
僕達には想像し難い「億」単位の借り入れ(借金)をすること。
その返済の確実なアテなどないこと、
それらは暗黙の了解、
だけど「進むしかない」と言う現実のほうが、
ある意味では残酷なものだ。
そう感じました。
前途多難と言う言葉のほうが、
まだ優しく感じるくらい・・・・・・・・・・・・・
茨(いばら)の道のほうが近いかな?
津波のエピソードとして聞かされた話ですが、
(ほとんど自虐ネタかな?)
津波が引いた後に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1階の工場での光景は、
50~60cmもある大きなヒラメがピチピチ泳いでいたそうです(しかも沢山)
当然、
その周辺の道路にも沢山の魚が獲れたそうです。
港の埠頭から1kくらい離れているところです。
周辺には、
大きなコンテナ(小さなコンビニの店舗程の大きさ)が電柱を直撃したままの風景、
まだ残っていました。
その被害の酷かった状況を見ると、
その日に、
その同じ場所(被害に遭った取引先)周辺で、
僕も津波に遭って右往左往していたことを思い出すと・・・・・・・・・・
運よく逃げられた~と言う気持ちよりも、
津波から逃げる判断があと30秒でも遅かったのなら?
そう思うだけで全身に寒気が走ります。
住むところ、
働くところ、
その一瞬一瞬の判断や運命、
何かが一つでも欠けてしまうとダメかも知れない、
震災って恐ろしいものだと思います。
それでもみんな働いていきます。