おやじボクサー(57歳。 19年間ボクシング)   3.11宮城県ボランティア11年間実費参加・『津波』に遭った生き証人

元車椅子。右足首金属ボルト接続。『おやじファイト』優勝。東京での試合は?10戦7勝3引分(39〜44歳)TV放送2回有り

2011年3月26日、朝。真面目に仕事での話。

2011年03月26日 06時11分31秒 | 朝だ!!   太陽だ❣ 朝陽が大好き❣  今の一言??

おはようございます!!

土曜日になりました。

 

昨日は(金曜日)残業で、

時間的に練習は沈没でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事の話ですが、

改めて、

僕が担当しているお客様のところへ行って来ました。

そのお客様は、

津波の被害が一番大きかったところです。

 

震災から2週間が経った訳ですが、

「何とか」掃除が終わった。

そんな真っ最中でした。

 

大きい2階建ての会社ですが、

1階は「まるまる」飲まれてしまって、

全てのモノがダメになってしまった程度で済まされず、

当然働いている社員さんの「通勤の車」や、

営業さんの「営業車」が海水で水没だったり、

流されてしまったり。

 

運良く?

営業で遠くを走っていた営業車は無事だったようです。

 

 

 

何から手直しして良いか?とか、

そんな生易しい程度ではなくて、

会社機能が全滅、

そんな表現が当てはまるような現状でした。

 

 

 

会社再生にかかる莫大な費用が、

「億」単位でかかること。

それでも会社を継続させていかなければならないこと、

その選ばざるを得ない選択肢が究極であること、

会社と言う存在は経営者1人だけの問題ではなく、

働く社員家族全ての人生もゆだねられています。

 

何から何まで、

全てを背負って再生しようと言う強靭な意志を感じました。

 

 

 

 

これからの経済状況を含めても、

僕達には想像し難い「億」単位の借り入れ(借金)をすること。

その返済の確実なアテなどないこと、

それらは暗黙の了解、

だけど「進むしかない」と言う現実のほうが、

ある意味では残酷なものだ。

そう感じました。

 

前途多難と言う言葉のほうが、

まだ優しく感じるくらい・・・・・・・・・・・・・

茨(いばら)の道のほうが近いかな?

 

 

 

 

 

津波のエピソードとして聞かされた話ですが、

(ほとんど自虐ネタかな?)

津波が引いた後に・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1階の工場での光景は、

50~60cmもある大きなヒラメがピチピチ泳いでいたそうです(しかも沢山)

 

当然、

その周辺の道路にも沢山の魚が獲れたそうです。

港の埠頭から1kくらい離れているところです。

 

 

 

 

周辺には、

大きなコンテナ(小さなコンビニの店舗程の大きさ)が電柱を直撃したままの風景、

まだ残っていました。

 

 

 

 

その被害の酷かった状況を見ると、

その日に、

その同じ場所(被害に遭った取引先)周辺で、

僕も津波に遭って右往左往していたことを思い出すと・・・・・・・・・・

運よく逃げられた~と言う気持ちよりも、

津波から逃げる判断があと30秒でも遅かったのなら?

そう思うだけで全身に寒気が走ります。

 

 

 

 

住むところ、

働くところ、

その一瞬一瞬の判断や運命、

何かが一つでも欠けてしまうとダメかも知れない、

震災って恐ろしいものだと思います。

 

それでもみんな働いていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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