おやじボクサー(58歳。 19年間ボクシング)   3.11宮城県ボランティア11年間実費参加・『津波』に遭った生き証人

元車椅子。右足首金属ボルト接続。『おやじファイト』優勝。東京での試合は?10戦7勝3引分(39〜44歳)TV放送2回有り

今夜の洗濯分・・・・・只今? 運転中=風呂の残り湯も温かいうちに?使いたいし

2020年10月08日 01時09分06秒 | つぶやき・・・(独り言)  ・・・何となく漏れた言葉。 情けない泣き言。

洗濯機も回さなきゃならないし。

 

お風呂のお湯も冷めちゃうし。

 

 

来てくれてる方?

初めての人だったら?

奇跡です。

 

何度も来てくれてる人だったら?

超~奇跡です。

 

 

若くないもない奴が、

漏らしているブログ。

何でもかんでも口に出してしまうから、

って言われるけれど。

僕からすれば?

何でもかんでも言える場所が?

此処なんです。

 

魂を削るようなボクシングでは?

間違っても弱音の端っこすら、

滲ませられないし。

 

東北・宮城県に通っていた主な4年間だったら?

行くたび、

行くたび、

毎月泣いてたけどー。

 

沢山の人、

沢山の子供達、

いっぱいいっぱい凍り付く海に、

呑まれてんしまったから。

 

東北の3月の海。

凍てつく海だからね。

鼻水すら?

あの海風では凍る温度だもん。

 

 

3月と?

反対に位置する10月。

僕は?

自分が理解しようと思っていないだけど。

一年間通して、

壊れたまんまなんだろう。

 

やっと。

最近になって、

正確には?

この半年間で、

「壊れてる」って言われた意味が?

わかって来た。

ずっと引きずっていた言葉だったよ。

 

 

3.11から?

これほどの時間が経ってるって言うのに、

意味も、

否定し続けて来たから、

むしろ?

何処が?

って、

凄くいらだちすら覚えた言葉だった。

 

 

もう?

多分?

何千回も話して来たけど、

そしてこれもそう、

今後も一生続くんだと思う事。

 

地震に対して身体と心が?

瞬時に「あの日」に戻される事。

大地の轟音と、

眼の前に迫って来る白波たった左右の視界全てが、

壁のような縦の津波。

 

 

季節。

時間。

関係なく不意に訪れたり、

静かな時間に悶々と押し寄せ続いてたり、

耐えなくちゃならない時間が?

こうなるなんて、

想いもしなかった。

 

むしろ?

生きて居られただけで運が?

凄く奇跡だと思って居たし。

だから?

生き残れた者としての、

勝手な運命も確かに存在しているんだと信じてたし。

 

そう思わないとね?

行きたかった何千・何万って人達の、

非業な死が?

どうしようも無くて。

 

 

男女問わず。

年齢問わず。

小学校のほとんどの子供達も、

丸ごと?

津波に飲まれてしまった出来事。

 

慰霊碑に刻まれたほとんどの子供達の氏名。

遺品のランドセル。

校舎内の机。

教室の黒板。

そこの「空気」

 

 

まんま、

今でも眼に肌に沁み込んでいる。

偶然、

お花を供えに訪れてた御遺族も見掛けたし。

別の場所で偶然出逢った女性は、

津波で御主人さんを失った事も、

眼の前で話してもらって。

 

強烈過ぎて、

出逢った時間は?

きっと、

5分間にも満たなかったのに。

 

余りにも強烈で、

言葉少ない「悲しみ」だけを、

たった一言だけ、

漏らしていたので。

 

その時の、

寂しい言葉で凍り付いたその場は?

それを聞いてたボランティ参加者全員が、

一斉に凍り付いた事と、

それ以降の年数で、

今を以て僕の8年間。

 

忘れられない女性の表情です。

 

偶然、

遭遇した女性だったので、

後にも先にも?

その一回の数分間しか、

遭遇する事は無くなったけれど。

想い出すことが多い。

それも、

後になって見続ける夢の一因なのかも知れない。

 

 

 

それで。

病気って言われたけど。

何とか?

助けたいって言う想いで、

ずっとボランティア参加してたから、

褒めて欲しいなんて夢にも思わないし、

むしろ?

あの日の自分を?

救うために?

救えるような気がしてたんだ。

死んでたのは?

ひょっとしたら?

10数M以上の壁のような津波から、

逃げ切れなかったかも知れないし。

 

一か八か?

道路をバッギギアで逆走して、

車の半分飲まれつつも、

背走のまま逃げ切れた運?

結果が?

幸運だった。

 

ひょっとすれば?

そんな大きい津波と、

眼の前で遭遇して、

犠牲になったのが?

僕だったのかも知れない「日」だったから。

 

 

それが。

後々の?

東北への3.11ボランティアへの、

大きな?参加理由だったんだ。

 

 

勝手な思い込みで、

助かった事が?

助けられた気がしてさ。

 

考えた事あるかい?

運が良いとか悪いとか、

じゃなくてさ。

助かった人と、

助からなかった人、

その違いって何なんだろうって?

住む場所が?

その時に居た場所が?

それも大きな事由だけどさ。

 

同じ日本で、

東日本で、

世界から見たら?

こんなちっぽけな国で?

あれほどの被害が発生して、

どれだけの犠牲者を生んだか?

 

だから。

あれだけの犠牲者を出した3.11で、

どれだけの僕の運が良かった事か。

痛感したのも、

させられたのも、

全て?

僕の勝手な思い込みからかも知れない。

それでも眼の前の視界が?

全て「津波」だった事は、、、、、、

一生消える出来事じゃないんだけれど。

 

 

 

その参加した宮城県ボランティア。

で、

毎月現地に(宮城県東松島市)行った事。

4年間も、

毎月通えば?

行くたび行くたびに、

新たな悲しい出来事も知ってしまって。

 

あれだけの人数が?

失われた土地だったし。

忘れるどころか、

薄れる事すら無くて。

 

 

今をも迎えています。

 

まさかね?

忘れっぽい僕の事だから。

今を以ても、

未だに刺さったままでいるなんて、

そっちの想像だけは?

浮かばなかったんだ。

 

助かった事で?

力になりたいとは思ったけど。

その後に?

夢を見続けるようになるとは?

過剰して行く夢に、

殺されてしまうと思わなかったし、

夢の中で、

僕だったり、

愛する人を失ったり、

夢から覚めても戻れなかったり。

 

きっとね?

そう言う現場に通った事が、

助かった事への善意だと信じていた反動が?

とてつも無く大きかったらしく。

沢山の犠牲者を出してしまった土地へ、

行くことが?

尚一層と、

「リアル」を体感する事に繋がってしまって。

 

 

・・・・・・らしい。

 

 

 

まとまりの得られない話でごめんね。

 

 

by おやじボクサー

 

このページ?

読めた人?

いるのかな。

暗~い長文でごめん。

 

こういう部分が占めている奴なのです。

 

人に依って、

過去の災害も、

どう向き合って来たのか?

人それぞれ。

 

運悪く?

当事者になる事も?

誰にでも有り得る事で。

 

新聞やTVで?

何千、

何万、

って数字だけ耳に届くよりも。

 

何時何処で?

自らが直接に遭遇してしまう、

災害に?

出遭ってしまうのかも知れないし。

 

 

 

 

 

 

 

 



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