今朝の更新が保留になってました。
以下、今朝の更新記事です。
めちゃ長文です。
3.11のこと。
楽しくない話なので興味ない方は、
飛ばして。。
いつの間にか朝です。
おはよ。
おやじボクサーです。
昨夜、
ボクシングから帰宅してそのままコタツだった。
今日は奥様を送迎係です。
大事な用があるので放っとけない。
ボクシング時以外は一緒に居たい。
さて。
昨夜ボクシングから帰宅後TV点けっぱなし。
この時期、
特集が多くなる季節。
途中はプロレス見てたんだけど。
3時頃から3.11震災関連の特集で、
更に眠れなくなった。
いつまで経っても、
どれだけ時間が経っても3.11は特別。
特別って表現も誤解招くかも知れないので、
生理的に大嫌いって意味の「特別」です。
携帯を散々鳴らした地震速報の音、
あの音、
凄く大っ嫌い。
当時の映像、
身内を失った方の姿にはココロ切り刻まれる思いに打のめされる。
酷い残酷が、
未だに引き続いている。
だよね、
立場変わったら僕も一生立ち止まったままだと思う。
僕は弱いにも程があるので、
独りなら生きている事を続けられるかどうか。。。
震災時、
秋になって初めて東北へ行けた。
常磐道高速は不通だったので、
東北自動車道から東北へ向かった。
当時の映像が流れる。
僕が見てきた宮城県や岩手県。
今では建物も解体されている庁舎関連。
一部遺構として残されているところもある。
気仙沼。
大槌町。
女川。
そして大川小学校。
特に列記しなくても、
全てが、
この世の全てが呑み込まれた大地だった。
初めての東北。
夜明け前に現地到着。
車内で仮眠をとりつつ待機してて、
徐々に明るくなってきてから、
眼に映るようになったものは、
薄っすらと、
僕の眼の前に浮かび上がって来た景色?景観?
そうだな。
一言で言い表せないけれど・・・・・・・・
この世の最後の姿だった。
有り得ない世界が眼の前に実在した。
特撮映画以外で見る荒廃の大地は、
視界の全てから何もかも消え失せていて、
広大な土地に残されていたのは?
視界の全てに見えたのは?
道路のアスファルトだけが大地に貼り付いていただけ。
アスファルト以外の部分は、
全部が土に返っていた。
まるで。
土の大きな大きなスケッチブックに、
マジックで格子状に線を引いただけのよう。
何処を向いても、
そんな景観だった。
サイの目の道路しか残っていない。
広大な世界の果てを見ているような、
日本の一番の末期?果てを見たような。
そして視界の中には、
それでも不自然に、
数本の電柱だけが建っていたり、
数キロメートル間隔でポツンっと斜めの骨のように。
また、
一軒分の僅かに骨組みが建ってる。
有り得ない世界の果てだった。
もう震災(3月)から季節も過ぎていて、
秋から冬(11月)に入ろうとしていたのに。
こんなことが同じ日本で起こったんだ?
僕の住む茨城とは全然別世界だった。
勿論、
茨城県も県北の海岸線も津波の被害があって、
不便は有ったけど、
復旧出来る点も多かった。
僕が津波に遭った神栖市(鹿島港からの内陸への津波)
眼前に迫る津波。
高さ10数メートル。
二車線道路を走行中、
営業車での走行中に真正面に白く泡立つ津波が、
壁のように立ったまま進んでくる。
二車線道路をバックにギアチェンジ、
全ての車が前方から背走で逆走。
僕も事態を飲み込んで、
読んで字の如く、
必死の逆走。
樹々を全て呑み込んで来て、
車に水位がタイヤが隠れる深さ。
その時点で背走・敗走?
数日後の新聞で、
港からの津波は10数メートルだと知った。
津波の被害は、
周辺数キロメートルの範囲へ及んだ。
これだけ時間が経っても、
悪夢にうなされる夜があるくらい。
忘れられない。
何度かブログでも、
同じこと繰り返して話して来た。
能天気に生きてきた僕ですら、
この時に味わった恐怖は一生脳裏に焼き付いている。
もう夢にうなされる回数は確実に減ったけど。
でも、
0にはならない。
時々、
強烈な悪夢にうなされる。
東北で出会って来た人達の悲しい思い出も、
そこにかき混ざっていて。
by おやじボクサー