おやじボクサー(57歳。 19年間ボクシング)   3.11宮城県ボランティア11年間実費参加・『津波』に遭った生き証人

元車椅子。右足首金属ボルト接続。『おやじファイト』優勝。東京での試合は?10戦7勝3引分(39〜44歳)TV放送2回有り

おはよ(3/3・日曜日) 昨夜もコタツ寝 @ おやじボクサー

2019年03月03日 20時44分40秒 | 朝だ!!   太陽だ❣ 朝陽が大好き❣  今の一言??

今朝の更新が保留になってました。

 

 

 

 

以下、今朝の更新記事です。

めちゃ長文です。

3.11のこと。

楽しくない話なので興味ない方は、

飛ばして。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


 

いつの間にか朝です。

 

 

おはよ。

おやじボクサーです。

昨夜、

ボクシングから帰宅してそのままコタツだった。

 

 

今日は奥様を送迎係です。

 

大事な用があるので放っとけない。

ボクシング時以外は一緒に居たい。

 

 

 

 

さて。

昨夜ボクシングから帰宅後TV点けっぱなし。

 

この時期、

特集が多くなる季節。

途中はプロレス見てたんだけど。

 

 

 

3時頃から3.11震災関連の特集で、

更に眠れなくなった。

 

 

 

いつまで経っても、

どれだけ時間が経っても3.11は特別。

特別って表現も誤解招くかも知れないので、

生理的に大嫌いって意味の「特別」です。

 

携帯を散々鳴らした地震速報の音、

あの音、

凄く大っ嫌い。

 

 

 

当時の映像、

身内を失った方の姿にはココロ切り刻まれる思いに打のめされる。

酷い残酷が、

未だに引き続いている。

だよね、

立場変わったら僕も一生立ち止まったままだと思う。

僕は弱いにも程があるので、

独りなら生きている事を続けられるかどうか。。。

 

 

 

震災時、

秋になって初めて東北へ行けた。

常磐道高速は不通だったので、

東北自動車道から東北へ向かった。

 

 

 

当時の映像が流れる。

僕が見てきた宮城県や岩手県。

今では建物も解体されている庁舎関連。

一部遺構として残されているところもある。 

 

 

気仙沼。

大槌町。

女川。

そして大川小学校。

 

 

特に列記しなくても、

全てが、

この世の全てが呑み込まれた大地だった。

 

 

初めての東北。

夜明け前に現地到着。

車内で仮眠をとりつつ待機してて、

徐々に明るくなってきてから、

眼に映るようになったものは、

薄っすらと、

僕の眼の前に浮かび上がって来た景色?景観?

 

そうだな。

一言で言い表せないけれど・・・・・・・・

この世の最後の姿だった。

 

有り得ない世界が眼の前に実在した。

 

 

 

特撮映画以外で見る荒廃の大地は、

視界の全てから何もかも消え失せていて、

広大な土地に残されていたのは?

視界の全てに見えたのは?

道路のアスファルトだけが大地に貼り付いていただけ。

アスファルト以外の部分は、

全部が土に返っていた。 

 

 

まるで。

土の大きな大きなスケッチブックに、

マジックで格子状に線を引いただけのよう。

何処を向いても、

そんな景観だった。

サイの目の道路しか残っていない。

  

広大な世界の果てを見ているような、

日本の一番の末期?果てを見たような。

そして視界の中には、

それでも不自然に、

数本の電柱だけが建っていたり、

数キロメートル間隔でポツンっと斜めの骨のように。

また、

一軒分の僅かに骨組みが建ってる。

 

 

有り得ない世界の果てだった。

もう震災(3月)から季節も過ぎていて、

秋から冬(11月)に入ろうとしていたのに。

 

 

こんなことが同じ日本で起こったんだ?

僕の住む茨城とは全然別世界だった。

勿論、

茨城県も県北の海岸線も津波の被害があって、

不便は有ったけど、

復旧出来る点も多かった。

 

 

 

僕が津波に遭った神栖市(鹿島港からの内陸への津波)

眼前に迫る津波。

高さ10数メートル。

 

二車線道路を走行中、

営業車での走行中に真正面に白く泡立つ津波が、

壁のように立ったまま進んでくる。

 

二車線道路をバックにギアチェンジ、

全ての車が前方から背走で逆走。

 

 

僕も事態を飲み込んで、

読んで字の如く、

必死の逆走。 

樹々を全て呑み込んで来て、

車に水位がタイヤが隠れる深さ。

その時点で背走・敗走?

 

 

数日後の新聞で、

港からの津波は10数メートルだと知った。

津波の被害は、

周辺数キロメートルの範囲へ及んだ。

 

 

これだけ時間が経っても、

悪夢にうなされる夜があるくらい。

忘れられない。

 

何度かブログでも、

同じこと繰り返して話して来た。

 

 

能天気に生きてきた僕ですら、

この時に味わった恐怖は一生脳裏に焼き付いている。

もう夢にうなされる回数は確実に減ったけど。

でも、

0にはならない。

時々、

強烈な悪夢にうなされる。

東北で出会って来た人達の悲しい思い出も、

そこにかき混ざっていて。

 

 

by  おやじボクサー

 

 

 

 

 



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