僕の参加は?
今年(9月度の便)で最後と決めていた。
東北、
宮城県への3.11ボランティア。
2012年から通っていたので、
11年間だ。
もうね、
年々?
参加回数も減りつつあって。
其れでも?
現地に行けば行ったで、
変わらない「あの日」の匂いがするし。
この数年間。
被災地と呼ばれた現地も?
復興が進んだ土地と。
止まって遺構化してしまった土地。
極端だった。
完全に住居の建築許可が下りなくなってしまったエリア(津波の届く想定内地区は禁止地区へ
僕こそ、
当1年間。
振り返れば?
たったの4回しか、
行けなくなった。
行かなくなった。
ボランティアバスの便も減少しているし、
便の予約が出来ない月も有ったり。
現地を見て学ばせたい子供会などは?
学校や子供会等々の「勉強」の場となるのがボランティアだった。
(被災地)見学ツアー化もして来た。
勿論、
3.11を知らない人や世代。
現地に行く事の意味?
考えてもらえる機会になれば?
僕もうんうんとうなづきます。
とても、
(今でも)大切な事だと思えています。
あの日に起こったことを知って欲しい、
どんなことが起こったのか?
どんな現地になったのか。
他人事では無い地震と津波の災害。
こうして。
終わった今も?
直近の今年の便。
参加しおり。
捨てられずずっと。
レターボックスの中、
残している。
流石に(◎_◎;)
10年間分の「しおり」は処分しちゃったよ。
この「しおり」
当日に、
リュックへ荷物に入れて、
参加証代わりにも使えた物なんだ。
バス車内で座る座席の分?
認証も有るし。
暫くの年数?
全国からも駆け付けてくれたボランティアさん。
とても多かった。
普段?
人見知りする癖に・・・・・・・・・・・・・・・・、
そういう場でだけ別人になったよ、
なれたんだ。
色々な人と(ボランティア作業中に会話しつつ作業して)
一日を終えた後、
現地で一緒に記念写真撮ってもらったり。
とうとう、
2022年9月。
で、
僕は?
3.11ボランティア辞めちゃった。
なのに、
未だに10年間。
履いて来た長靴。
車から降ろせないで助手席に積んだまま。
助手席に積んだままです。
おやじボクサー
10年間。
現地で撮って来た写真(デジカメ
も?
道中のバスの車内から、
現地での(復旧作業後)記念写真。
数年間は?
参加者全員での記念写真も、
皆さん同士で撮ってもらったり、
交互に?
カメラをお願いして撮ってもらってた。
色々な宮城県の旧・小学校や旧・高等学校で、
作業した終わりに、
撮らせてもらったよ。
全ての写真。
たっくさん。
心の足跡。
HDに保存しています。
おやじボクサー
会話した時の、
「声」も、
記憶から薄れない。
苗字を覚えている人もいるし。