『310食堂』
何度もこの建物は見て来たんだけど、
気付けば?ココで「310食堂」が始まっていたんだ?
決まった曜日限定営業の食堂らしいです。
僕が気付かないだけか?
タイミングが合わないとずっと知らないままだった。
たまたま新聞で知ることが出来て良かった、
だってここを良く通っていたんだけどね。
色々な余地も考えさせられるけど、
地方でこういった取り組って凄いと思う。本音でね。
実際に他の町だったらどうなのか?どういう取り組みが実在するのかも知らない。
わからないんだ。
実行に移す行動力も必要だし、
それを支援しようってボランティア的な人達も必要。
またバッグアップしてくれる企業や財政面も求められるよね。すっごく。
やっぱコストって大きく圧し掛かると思うもん。
子供だって大人だって年配者だって、
独りで食べるより誰かと食べたほうが「温かい」。
その時その時は、
僕なんかは周辺の環境が「似ていたから」全く考えずに育ってきたけれど。
苦も無くそれ以外を知らなかったから、
良い意味で「それが普通(独りの食事)」だった。
良い意味って言うと、
誤解を招くけれどほんと温かいを知らないから、
どんな環境がとか?比べるものも知らなかった。
それが普通(僕の環境と周囲と)としか思ってなかったんだ。
僕は幼少期の記憶って、
大抵「独り」でそれすら何の疑問も抱かない(抱く余地が無い
そんな時代だった。
食べるものがあれば、
御飯じゃなくてインスタントラーメン。
もしくは冷たいご飯でも全然苦にならない。
御飯の代わりに駄菓子屋さんに向かってお菓子だったりとか。
何でも食べれれば良いと思ってた。
違った目線で言うと・・・・・・・・・・・・・、
そーゆーのが全く苦にならなかった僕は。
元々、朝食は(面倒で)食べたことなかったし、
夕食は独りで何か自分でインスタントラーメン。
それが不自由だったかと言うと?
正直考えたことも・・・・・造像したことも無し。
日曜日だけだった母親(休みだったから)と一緒のご飯とお風呂。
そういう人達が何故か固まって住んでいた場所(団地)だったから、
そーいう環境(片親)の子供達(経済的に厳しい家庭の)が沢山住んでいて、
皆と仲良く、
そこには上下(裕福or経済的に厳しい)って「比較」そのものが存在していなくって、
皆で(似たような環境の子供達)毎日遊んで時間を共有したこと。
遊ぶ時間が長かったこと(遊ぶ友達もみんな片親が多かったから門限なんて無かったし)が楽しかった。
冬以外なら寒くないから、
何時までだって外に居れたし。
中学校(ほんと間近)入学式の1週間前(ほんと急な直前に
母親が再婚してその住んでいた場所から急遽引っ越すことになった。
僕は転校扱いで違う中学へ編入。
あの時の(同じ境遇だった友達)皆は今どうしてるかな?
一緒に遊んだ友達はどんな人になっているんだろう。
色々な子供が居たよ。
時々。
今でも思い出す‼‼‼
あの頃の呼び名や交わした言葉の一つ、
夜の公園で寝そべっていた時に見上げた夜空。
遊んでいたシーンとかもね。
もう何十年間も逢っていないんだ。
お互いに顔すら変わっちゃっているだろうね。
心の写真は、、、
家に(独り)帰りたくない友達と「夜の公園」に一緒に居たこと。
それがとてもとても鮮明。
今にも動き出しそうな写真のまま保存されている、
あわよくばその時の「音声」すら聞こえるもん。
by おやじボクサー
追伸
絶対ここ行きたいぞ‼‼‼
幼少期の頃からの体験が
現在のおやじボクサーさんを形成(変な言い方ですみません…)されているんですね。
ブログ拝見していてもご家族は勿論
他の方々への気遣い、心配りが凄くて…
そんな思いやりのある人間になりたいですが、
なかなか追いつきません
日々精進ですね~
優しいコメントありがとうございます‼‼‼
そんな勿体ないお言葉に、
返って恐縮です(;´・ω・)
幸いだったのは幸か不幸か?
その物差しが僕にはわからなくて、
一度も「不幸」だなんて感じたことがなかったのが良かったかな。
そーいうものだって思い込んでましたので。
でもマリンカさんがおっしゃるような、
そんな立派な人間でもなくて、
恥ずかしいの何のって(◎_◎;)
何時まで経っても、
精神的に子供のままで大人「失格」です。
褒め過ぎです(滝汗
何処かに隠れたい・・・・(^^ゞ