冬季の寒さで思い出すことが2つ。
明るい話題じゃないから、
またかって言われても僕自体もスルーしてます。
皆さんも?
流しちゃって下さい。
足首をボルトで繋いでから、
もう10数年以上経っているんだけど・・・・・、
正確には15年。
もう日常では、
気にして居られないし。
普通に健康な生活に戻っているつもりです。
敢えて、
ボクシングにも救われて来た15年。
マラソンもやって来た。
無理強いで。
だけど。
こう寒さが厳しい季節では?
普通に傷口(繋いだ右足首がね)が痛い。
これだけ年数が経ったって全然痛い。
そこは箇所が箇所だから、
日常ですら体重が乗る箇所=足首だから。
わかってても、
日に依っての痛みも色々。
皮膚の上から、
そっと撫でても、
傷口は普通に激痛です。
メスを入れた足首も、
そのままの傷跡が違う色。
どれだけの年数が経っても、
一生このままなんだろうと覚悟してる。
日常にさえ?
大きく影響が出なければ、
それで良いと思ってる。
今でも、
当時の手術室へ運ばれていく台車付きのベッドと、
そのベッドの寝心地を忘れない。
手術室へ運ばれて行く時に、
廊下で待っててくれた奥様が声を掛けてくれた。
その時にもらった『言葉』
今でも声の中に、
その湿度すら僕の鼓膜に染み付いている。
オペ室に入ると。
天井に浮かぶ無数の照明。
真上しか見ていない僕には、
暗闇の銀河みたいだった。
沢山の先生が居た。
ひたすら(脚へ)打たれた部分麻酔の注射本数から、
呼吸器を口に当てられて、
「3つ数えて」と言われて・・・・・・・・・・・・、
3つ数える間に意識が飛んだ。
以降は何も覚えていない。
その瞬間までを、
一歩離れた位置で見ている自分が居る。
どれだけの時間寝て居たのか?
体感がなかったけど。
オペが終わって、
オペ室から病室へ戻っていて。
眼が覚めると、
そこは自分の病室。
4人部屋だったけど。
隣りには奥様が座っててくれた。
どれだけの時間、
オチていたのかわからないけれど。
無事に終わったらしい。
輸血も相当多くされたみたいだ。
一回目の手術後、
その翌年か?
今度は足首へ挿入した2本のボルトの引き抜き。
これは部分麻酔だったので、
今度は?
全部全部を覚えている。
足首から金属を2本抜く時の激痛?
骨とボルト自体が既に同化してたので、
先生も抜く作業に大苦戦。
この「抜く」時の手術の方が、
凄い激痛で。
耐え難い痛みだった。
2回目の手術は、
限りなく一部分だけへの局所麻酔だったのと、
骨と金属が同化してたから、
抜けずに、
苦労されてた先生の様子や会話も?
全て丸聴こえだった。
そーゆー意味では?
眠りに落ちていたほうが良かったように思えた。
ドリル使用してても、
「抜けない」
「抜けない!」って先生達が苦労してたもん。
局所麻酔だったから、
そりゃ~~~痛みも「とんでも無く」凄かったけどね。
これだけの年数が経っても、
今でも夢に出るし。
もう一つ。
「3.11」時の津波の夢。
何千回と何万回と見てしまう。
それ以上かも知れない。
津波そのものと、
津波で家族を飲まれてしまう夢と、
自分自身が逃げられない津波と、
ごっちゃ混ぜ。
ボランティアの帰りに出逢った、
津波で大切な人を失った女性の顔とその時の言葉。
眼に浮かぶ悲しみの色。
全然、
違う事だけれど。
いつも。
心に隠れてて、
不意に夢で思い出される。
どれだけの時間が経てば?
もう見ずに済むのだろう。
いつも、
眠りに落ちる時に不安になる。
不安な夜が来る。
関東の外れの水戸市に住む奴が、
その時に偶然通過していたエリア(千葉県から茨城県への海岸線)がそうだったから。
その偶然に今もなお?
縛られている事が大きい。
宮城県で見てきた街も、
津波でガラスが吹き飛んでいる小学校も、
骨組みしか残っていない鉄骨も、
一面荒野と化した広大な大地も、
星の数ほどの慰霊碑も、
刻まれた名前も、、、、、
置かれたままの泥を被った沢山のランドセルも、
どこにでも置かれていた花束も。
今眼を閉じると、
普通に浮かぶ。
まるで何かが聴こえて来そうな大地も。
空気の匂いも鼻に残っている。
by おやじボクサー
暗くてごめん。
気分を害した人が居たらごめん。
今でも見るんですよ。
まだ終わらない夢。
おやじボクサーさんは、それ+オペの苦痛もあるのですね。
ですが、その痛みを乗り越えているからこそ、奥様との楽しみがあるとkugachanは思えてなりません。
kugachanの思い込みですが(^^;)
kugachanも寒い時期に呼吸停止した事があります。
そして、何故か目は閉じているのに、周りがハッキリ見えていた事も記憶しております。
幽体離脱ですかね(^^;)
でも、過去に何があったとしても、今を一生懸命楽しんでください。
それが、過去の辛い経験をしたおやじボクサーさんの為、そして、東北の震災で亡くなった方々の為だと思います。
おやじボクサーさんも怖い目に遭った。
それが、生きてご家族と一緒に居る。
奥様を幸せにしたいとストーカー・・・いえ、ホントに大切にしてらっしゃる。
出来なかった方々の分まで、奥様をご家族を大切にしてくださいね。
そして、ご自分を大切にしてください。
それが、1番の供養になると思います☆
これは、飽く迄もkugachan個人の想いなのでスルーしてください(^-^)
毎夜、
毎夜、
「らしく」ない眠りに落ちる奴です。
ちょっと忘れていると、
ビルの屋上から真っ逆さまに落とされるくらいの夢が、
年々酷くなってきて。
まとまじゃないって自覚し始めています。
願う事なら?
落ちる前に毎夜毎夜・・・・・・・・、
見ませんようにと(自分に)言い聞かせて眠るに入ります。
それに比べれば?
足首の接続なんて?
本当の意味で、
どうってこと無いよ!
なんです。
比べる次元も背景も、
まるでまるで異次元な出来事です。
(足首の手術の時は?それはそれで車椅子生活だったので、外に出れば?みんなの(下に向く)視線に耐えられなかったれど)
3.11。
結果的に。
僕は津波から逃れられて、
無事生きていられた事。
3.11の「誰でも大震災」は、大地震に遭った迄で終わりにしておけば、
その後は?
大地震があったんだね‼で終わっていたんだけど。
(それだけだってあの大震災ですから、その後の生活にも多大な影響が残りましたけど)
だけど。
どれだけの想いをしても、
ほんとの「被災地」は真面目に地獄でしたから。
地震だけでも凄かったのに、
巨大な津波が内陸まで到達してしまって。
沢山の人が津波に呑まれてさらわれて。
この寒い季節は、
思い出す頻度が多くて、
やっと自分でも「おかしい(精神が)」って自覚出来るようになってのも?
この2年間くらいです。
それまでは絶対否定して来ました。
能天気が?身上だと思い込んで来たので。
だから。
あの時の想いを?時々忘れてしまう自分が居て。
そうすると?突然夢が起こしてくれる。そんな繰り返しです。
今のこの奥様じゃなければ?
僕は僕でなくなっていたと思うし、
それこそ被災地に脚を踏み入れる事すら?他人事で済まして、生理的に受け入れられない野郎になっていたと思います。
それまでの僕は?
何かと?
ボランティア(町内や学校行事等々のレベルでも)している人達を毛嫌いしてましたから。
人生で一度でも、
あの体験をしてしまうと、、、、、、
ゴールが見えなくてもがいてしまいます。
東北ボランティアに行くのもお金は掛かるし、時間はまるまる潰すし、体力は一週間分前借だし。
こんな話題に・・・・ありがと。