おやじボクサー(57歳。 19年間ボクシング)   3.11宮城県ボランティア11年間実費参加・『津波』に遭った生き証人

元車椅子。右足首金属ボルト接続。『おやじファイト』優勝。東京での試合は?10戦7勝3引分(39〜44歳)TV放送2回有り

『わが美しき故郷よ』

2013年05月30日 03時21分53秒 | つぶやき・・・(独り言)  ・・・何となく漏れた言葉。 情けない泣き言。

わが美しき故郷よ~朗読~ 畠山美由紀

 

 

 

 

 

半年ぶりに被災地に行って来ました。

 

僕に出来る事、

個々の人間に出来ることは、

本当に限られていて、

ちっぽけです。

 

何が正しいのか、

何が間違っているのかわからなくなる。

 

もう綺麗な言葉なんて、、、、、

軽はずみな言葉なんて無理だと思った。

どこに向かって、

何を話せばよいのか?

そう思っていた時に「わが美しき故郷よ」を知って、

迷う必要がほんの少し薄れた気がします。

 

心の片隅で、

思うだけで何の役にも立てていない自分の、

罪悪感。

 

出来る事だけでも、

続けて行きたい。

 

 

 

 

石巻市門脇小学校です。

学校側より「犠牲者0」と発表されていますが、

それは校内での「犠牲者0」です。

 

保護者が迎えに来た車で帰宅、

途中に津波と遭遇した親子。

 

津波にのまれて犠牲になった人達はいます。

 

学校の発表では「犠牲者0」です。

でもそれは違うんじゃないかな。

 

また、

迎えに来てもらえなかった子供達は、

津波に対して、

学校の後ろの高台に避難することで難を逃れることが出来ました。

 

運命は残酷です。

 

 

 

 

この子供達の後ろ姿が悲しく映ります。

 

 

今でこそ、

瓦礫は綺麗に片づけられています。

殺風景なくらい、

基礎だけが残っているところが大半です。

 

 

 

 

 

石巻市の日和山公園

つつじの名所です。

その公園へ登る階段の途中に「ここまで」津波が届いた、

と言う石碑がありました。

この石碑は、

色々な場所にあるようです。

 

 

つつじの見頃は過ぎていましたが、

ほんの少しだけ残っていました。

 

 

日和山公園から見下ろした、

海岸線の方角。

 

 

残っている家は、

誰かが住んでいる訳ではない。

 

「解体申請」が本人から出ていない、

勝手に取り壊しが出来ないと聞きました。

 

#今でも消息不明の方が1300名以上(宮城県)

 

つまりは、

そういうことらしいです。

 

 

 

情報源は、

現地ボランティアの語り部さんから直接聞きました。

 

風化させないためにも、

語り部さん達の活動は大切だし、

本当の意味で、

本当の震災を知る為にも、

もっと沢山の話を聞かなくちゃダメなんだと思いました。

 

 

 

奥さんも子供も、

自分の目で見て感じたこと。

心にどう映ったのかわからないけど、

自分たちの生活で余裕が無いなんて、、、、、、

思わないで居てくれればうれしい。

 

 

現実的な労力と限られた時間との壁があるけれど、

望みを絶たれてしまった人達に比べれば、

僕はどれだけ自由と希望を持たせてもらっていることか。

 

震災以来、

いつも僕が思ってきた言葉が、

この「わが美しき故郷よ」で謳われていた。

 

今ここに自分があるのはたまたまだ。

たまたま助かっているだけだ。

 

 

心底そう思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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