2018年。
今年はまだ一回も行けていません。
これから当面、
行けそうにもありません。
絶対行けない、
とは思いたくない。
振り返ってみて、
じゃぁ行ったから何の役に立てたのか?
僕に何が出来たのか?
どれだけ行っても、
「3.11」以前には戻れないし、
家族にも沢山付き合わせちゃって、
別な苦労も掛けてしまった。
正直、
肉体的な疲労度。
半端なかったと思う。
僕は宮城県へ行けたこと。
良かったと思う。
行くだけでお金もかかったし、
役に立てたとは思えないけれど、
合算すると・・・・・・・・・・・・・・。
お金も時間も、
相当費やした。
今では、
そんな余裕なんて無いし、
だけど、
また行けるようになったら、
また「土」か「日」が休めるようになったら?
やっぱ行きたい。
ここ茨城県も、
被災県で地域に依っては、
津波の被害も発生していたんだけどね。
「3.11」の当時の宮城県を見ちゃうと・・・・・・・・・・・・・・、
厳密に言えば?
その年の秋から行けるようになったんだけど。(すぐに行く勇気が無かった)
その秋ですら、
初めて見た宮城県の被災地は酷かった。
凄かった。
夜明け前に現地に着いて、
うっすらと(明かりと共に)見えてきた土地は、
全て津波で流されて「何も無いたいらな大地」と、
残された元・道路であった無防備な「アスファルト」だけ、
不自然に残ってた。
あの光景は、
今の今も目に焼き付いてる。
津波で被害を受けた学校、
犠牲になった人達や子供達の写真。
添えられていた花。
道路に描かれたメッセージ。
何もかもがショッキングな空間だった。
沢山の写真が貼られていたし、
伝言メッセージも至る所に貼られいた。
今でも忘れられない言葉。
出会った人達の言葉。
最愛の人を亡くした女性の言葉。
脳裏に焼き付いたまま。
だから。
僕は時折「夢」を見てしまう。
見る回数は激減してけれど、
時折見る加減が酷くなっている。
夢と現実の区別がつくまで時間を要するくらい。
自分ですら病気か?って思うほど。
ひょっとしなくても、
いやもう病気か。
これだけの年数が経過して、
行く頻度が激減していても。
今の「今」でも忘れた時にふと夢に出て来る。
どんどんエスカレートしているようだ。
当日、
津波に追われた経験が、
僕の目の前へ押し寄せて来た津波。
それから逃げ切れた事。
それが一生残る映像になるとは?
当時は全く思わなかったけど。
今でもぞっとする。
何もかも、
ぞっとする。
今となってもぞっとする。
このセリフ、
何十回と?
何百回と言ってるけど、
間違いなく今でも鳥肌が立つ。
身の毛がよだつ。
あんな恐ろしい思いを、
家族が味わわなくて良かった。
今の僕が言えることはそれだけ。
家族を守って下さった神様に感謝です。
ほんと、
そういう意味では、
神様に感謝です。
by おやじボクサー