おやじボクサー(57歳。 19年間ボクシング)   3.11宮城県ボランティア11年間実費参加・『津波』に遭った生き証人

元車椅子。右足首金属ボルト接続。『おやじファイト』優勝。東京での試合は?10戦7勝3引分(39〜44歳)TV放送2回有り

何十回と行けていた「3.11」宮城県・災害ボランティアバス(石塚観光さん+社会福祉協議会さん)

2018年04月29日 01時45分56秒 | 3.11ボランティア 茨城県水戸から宮城県11年間参加<<社会福祉協議会>>

2018年。

 

 

 

災害ボランティアバス

 

今年はまだ一回も行けていません。

これから当面、

行けそうにもありません。

 

絶対行けない、

とは思いたくない。

 

 

振り返ってみて、

じゃぁ行ったから何の役に立てたのか?

僕に何が出来たのか?

どれだけ行っても、

「3.11」以前には戻れないし、

家族にも沢山付き合わせちゃって、

別な苦労も掛けてしまった。

 

正直、

肉体的な疲労度。

半端なかったと思う。

 

 

 

僕は宮城県へ行けたこと。

良かったと思う。

行くだけでお金もかかったし、

役に立てたとは思えないけれど、

合算すると・・・・・・・・・・・・・・。

お金も時間も、

相当費やした。

 

 

 

今では、

そんな余裕なんて無いし、

 

 

 

だけど、

また行けるようになったら、

また「土」か「日」が休めるようになったら?

やっぱ行きたい。

 

 

ここ茨城県も、

被災県で地域に依っては、

津波の被害も発生していたんだけどね。

 

 

「3.11」の当時の宮城県を見ちゃうと・・・・・・・・・・・・・・、

厳密に言えば?

その年の秋から行けるようになったんだけど。(すぐに行く勇気が無かった)

その秋ですら、

初めて見た宮城県の被災地は酷かった。

凄かった。

 

 

夜明け前に現地に着いて、

うっすらと(明かりと共に)見えてきた土地は、

全て津波で流されて「何も無いたいらな大地」と、

残された元・道路であった無防備な「アスファルト」だけ、

不自然に残ってた。

 

 

あの光景は、

今の今も目に焼き付いてる。

 

 

津波で被害を受けた学校、

犠牲になった人達や子供達の写真。

添えられていた花。

道路に描かれたメッセージ。

 

 

 

何もかもがショッキングな空間だった。

沢山の写真が貼られていたし、

伝言メッセージも至る所に貼られいた。

 

 

 

今でも忘れられない言葉。

出会った人達の言葉。

最愛の人を亡くした女性の言葉。

脳裏に焼き付いたまま。

 

 

だから。

僕は時折「夢」を見てしまう。

見る回数は激減してけれど、

時折見る加減が酷くなっている。

夢と現実の区別がつくまで時間を要するくらい。

 

 

自分ですら病気か?って思うほど。

ひょっとしなくても、

いやもう病気か。

 

 

 

これだけの年数が経過して、

行く頻度が激減していても。

今の「今」でも忘れた時にふと夢に出て来る。

 

 

どんどんエスカレートしているようだ。

 

 

当日、

津波に追われた経験が、

僕の目の前へ押し寄せて来た津波。

 

それから逃げ切れた事。

 

それが一生残る映像になるとは?

当時は全く思わなかったけど。

 

 

今でもぞっとする。

 

 

何もかも、

ぞっとする。

 

 

 

今となってもぞっとする。

このセリフ、

何十回と?

何百回と言ってるけど、

間違いなく今でも鳥肌が立つ。

身の毛がよだつ。

 

 

 

 

あんな恐ろしい思いを、

家族が味わわなくて良かった。

今の僕が言えることはそれだけ。

 

家族を守って下さった神様に感謝です。

 

 

ほんと、

そういう意味では、

神様に感謝です。

 

 

 

 

by おやじボクサー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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