ただいまです、
いつもなら「この時間」は、
ジムにいますね。
今日(今夜は)は、
練習を休みました。
練習を休んだのですが、
めぐり合わせが悪く、
そんな今日ですら残業で、
この時間に帰宅です。
練習を休む日なら?
午後8時くらいに会社を出られれば、
良いんですけどね(^^;
なぜか?
練習を休む時って、
そう言うものだなぁ~
と、
いつも思っていたりします。
練習を休む旨、
中島会長にメール連絡を済ませたので、
公休です(笑
普段、
全てにおいて、
お世話になりっ放しなので、
練習を休む時は、
キチンと連絡入れるのが、
マナーと言うか、
社会人としての最低限のルールだと、
思っています。
勿論、
会費を払っている立場であっても、
それ以上に、
その三倍以上に、
面倒見て頂いてる訳ですから。
休むのは、
個々の勝手。
それも一理あるのかも知れません。
このあたりは、
付き合い方の深さが、
バロメーターになるのかも知れません。
また、
時々、
寂しいな~と思うことは、
突然ジムに、
来なくなってしまう(消えてしまう)、
練習生がいることです。
長い期間、
ずっとボクシングを続けられる人も、
少ないですが、
音信不通で突然居なくなってしまうのも、
非常に寂しいものです。
例えば、
それはボクシングであっても、
会社であっても、
趣味の空間であっても、
「入る時」と、
「辞める時」は、
必要以上の挨拶はいらないと思うけど、
どちらも挨拶って必要ですよね?
短期間でもお世話になったのなら、
社交的な観点からも、
『最後の一言』も必要だと思います。
どんな事情があるにせよ、
辞める時って言いだしにくいし、
顔を見せたくない、
顔を見たくない、
その気持ちもわかりますけどね。。。。
その『一言』も、
相当の勇気を要することも、
めちゃくちゃ理解できます。
でも、
またどこで?
どんな時に?
偶然でも?
顔を会わせるかも知れない訳だし、
自分の中で、
ほんの少しでも、
後ろめたいような、
逃げて帰るような、
感情を残したくないと思います。
どんな理由があるにしろ、
どんな考えがあるにしろ、
最初は挨拶が出来なくたって、
逆に、
最後くらいは挨拶していきたい。
僕はそう思っています。
僕の今までの人生が、
逃げ回って来たようなものなので、
僕個人は、
もうそんな生き方は嫌だなぁ~
とつくづく思うのです。
そんな生き方を、
積み重ねて来て、
後悔ばかり積もり積もって、
振り返ると寂しいです。
だから、
今のボクシングは、
そんな自分を変えてくれたキッカケでもあり、
弱い心を支えてくれたスポーツでもあります。
正しい選択が出来たとは言いませんが、
この競技を始めたお陰で、
現実と非現実の世界を学べて、
そのギャップが現実の世界を、
より一層とリアルに、
感じさせてくれたと思います。
当たり前の世界を、
当たり前にしか捉えられないと、
何のありがたみもないじゃないですか?
口が裂けても、
言えない言葉や、
一生かかっても僕の口からは絶対言えない!!
と思っていた奥さんへの言葉も、
言えるものです。
ボクシングを続けることや、
「おやじファイト」に出場すること。
自分の弱さを、
知ることが出来て、
自分の心を嘘で固め続けなくて、
良かったと思います。
まるで、
窒息してしまうような僕の人生。
それを変えてくれたと思ってます。
追伸
ここで、
えらそうなことを言っている程、
大人になっていませんが・・・。
いつもなら「この時間」は、
ジムにいますね。
今日(今夜は)は、
練習を休みました。
練習を休んだのですが、
めぐり合わせが悪く、
そんな今日ですら残業で、
この時間に帰宅です。
練習を休む日なら?
午後8時くらいに会社を出られれば、
良いんですけどね(^^;
なぜか?
練習を休む時って、
そう言うものだなぁ~
と、
いつも思っていたりします。
練習を休む旨、
中島会長にメール連絡を済ませたので、
公休です(笑
普段、
全てにおいて、
お世話になりっ放しなので、
練習を休む時は、
キチンと連絡入れるのが、
マナーと言うか、
社会人としての最低限のルールだと、
思っています。
勿論、
会費を払っている立場であっても、
それ以上に、
その三倍以上に、
面倒見て頂いてる訳ですから。
休むのは、
個々の勝手。
それも一理あるのかも知れません。
このあたりは、
付き合い方の深さが、
バロメーターになるのかも知れません。
また、
時々、
寂しいな~と思うことは、
突然ジムに、
来なくなってしまう(消えてしまう)、
練習生がいることです。
長い期間、
ずっとボクシングを続けられる人も、
少ないですが、
音信不通で突然居なくなってしまうのも、
非常に寂しいものです。
例えば、
それはボクシングであっても、
会社であっても、
趣味の空間であっても、
「入る時」と、
「辞める時」は、
必要以上の挨拶はいらないと思うけど、
どちらも挨拶って必要ですよね?
短期間でもお世話になったのなら、
社交的な観点からも、
『最後の一言』も必要だと思います。
どんな事情があるにせよ、
辞める時って言いだしにくいし、
顔を見せたくない、
顔を見たくない、
その気持ちもわかりますけどね。。。。
その『一言』も、
相当の勇気を要することも、
めちゃくちゃ理解できます。
でも、
またどこで?
どんな時に?
偶然でも?
顔を会わせるかも知れない訳だし、
自分の中で、
ほんの少しでも、
後ろめたいような、
逃げて帰るような、
感情を残したくないと思います。
どんな理由があるにしろ、
どんな考えがあるにしろ、
最初は挨拶が出来なくたって、
逆に、
最後くらいは挨拶していきたい。
僕はそう思っています。
僕の今までの人生が、
逃げ回って来たようなものなので、
僕個人は、
もうそんな生き方は嫌だなぁ~
とつくづく思うのです。
そんな生き方を、
積み重ねて来て、
後悔ばかり積もり積もって、
振り返ると寂しいです。
だから、
今のボクシングは、
そんな自分を変えてくれたキッカケでもあり、
弱い心を支えてくれたスポーツでもあります。
正しい選択が出来たとは言いませんが、
この競技を始めたお陰で、
現実と非現実の世界を学べて、
そのギャップが現実の世界を、
より一層とリアルに、
感じさせてくれたと思います。
当たり前の世界を、
当たり前にしか捉えられないと、
何のありがたみもないじゃないですか?
口が裂けても、
言えない言葉や、
一生かかっても僕の口からは絶対言えない!!
と思っていた奥さんへの言葉も、
言えるものです。
ボクシングを続けることや、
「おやじファイト」に出場すること。
自分の弱さを、
知ることが出来て、
自分の心を嘘で固め続けなくて、
良かったと思います。
まるで、
窒息してしまうような僕の人生。
それを変えてくれたと思ってます。
追伸
ここで、
えらそうなことを言っている程、
大人になっていませんが・・・。