行ってきました‼‼‼
宮城県。
朝、
午前3時に奥様に起こしてもらって・・・・・・・・・・・・、
バタバタしつつ那珂市の集合場所へ。
ま、間に合った(滝汗
駐車場には既に沢山の参加者が集合済。
実質、
僕が一番遅い到着だったみたい(汗
24日(土曜日) 午前4:20
既にボランティアバス(石塚観光さん)は待機してました‼‼‼
勿論、
外は真っ暗。
荷物を積み込み車内へ。
予定通り、
午前4:30出発です。
この後、
即消灯です。
しばし睡眠タイムを。
このあたりの納め方、
綿引社長の上手なところです。
福島県。
トイレ休憩で15分休憩。
奥様。
僕。
福島県の『セデッテかしま』(常磐自動車道南相馬市サービスエリア)
とても綺麗に整備されたパーキングです。
石塚観光さんのバス。
このバスに何十回とお世話になって来ました。
敷地には何故か??
「稲荷神社」が。
でもって・・・・、
ワンちゃん(小型犬用)専用の飲み口も。
可愛らしいです。
再び車内へ。
参加費の徴収と、、、、、、
ボランティア保険の更新。
「年度」単位です、
加入時期関係なく、
3月31日までの期間「年度内」が有効です。
年間で430円/一人
社会福祉協議会から加入できるので格安‼
僕たちは4月以降は初めてなので、
加入義務なのです。
次のトイレ休憩は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、
午前8:20。
『上品の郷(道の駅)』
トイレ休憩です。
コンビニもあるので朝食もついでに購入‼‼‼
外の空気を吸って車内へ。
僕の朝食は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カレーパン・・・・・・・・・・・・
と、
「ツインシュー」(笑
甘いものです。
疲れた体を癒したいので。。。。。。。
また宮城への道のりを走ります‼‼‼
バスから見える景色。
山ばかり。
いよいよ。
宮城県に入り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、
現地作業場所に到着。
作業前にまずは献花を。
僕たちは自前でお線香も持参用意済、
それどれのお線香台へ。
祈りを捧げます。
「思い」をそっと伝えます。
学校の裏山。
何度も言うけれど・・・・・・・・・・、
この裏山。
津波で逃げる際に(子供達)登れるのか?
逃げ切れるのか?
今となっては「たら」「れば」になるのです。
この一点が未だに、
遺族側と学校側で問題が残ったままなのです。
津波が来るまでの数十分間、
雪の降る校庭で、
児童達を待機させていたことが問題として残っています。
空白の『数十分間』なのです。
(ご興味ある方はネットで検索してみて下さい)
逃げ切れるかどうか?
よりも、
避難させたかどうか?
が問題化(校庭で長い時間待機させていた途中に津波)しております。
荷物を持って。
この日は愛知県や福岡県の方も、
参加されていました。
男女別に作業現場へ。
男性陣は学校内の雑草刈と芝桜植え。
女性陣は校庭に花植え→花壇造り。
作業で男女別になるのも、、、、、、
わからないでもないのですが。
僕個人で思ったのが、
ペアで参加した人達は、
「一緒に作業したくて参加している人達」もいたんじゃないかな。
お互いに補完し合って作業したい人達もいたはず。
わがままになるけど、
僕もお互いが補完しあって作業出来ると思った。
現に女性陣だけでは、
動かせない大きな石が埋まっていて作業が滞っていたし。
『重い』ものや行為は男性陣、
綺麗に飾るのは優しい女性陣、
そんな活動のほうが良いんじゃないかな?
たまたま僕が奥様が心配で見に行ったら、
そんな現場だったので僕がやるべきことは「男」。
そう痛感したんです。
特に肉体労働は、
男が頑張る作業であって「男」がやるべきでしょう。
ペアで参加した人達は、
一心同体で作業に専念する(したい人)人達もいたんじゃないか?
と思った。
(これは今回の僕の一意見ね)
今回の作業で感じたことの一つです。
さて。
男性陣は行内の作業です。
一般的に行内は「立ち入り禁止」です。
遺族会の許可を得ないと立ち入れない場所なんです。
そんな「重い」場所なんです。
ここに後々、
芝桜を植える為に雑草処理をします。
皆黙々と、
頑張ります。
敷地の外では見物に来ている人達が、
止みません。
そのお気持ちも人それぞれ、
興味半分の人や冷やかし。
不謹慎にも「ピース写真」で撮影、
そういう人達には、
ご遺族も相当心を痛めているはず。
だから・・・・・、
そんな遺構になるのならいっその事、
遺構として残さず取り壊しを。
と言うお気持ちもお察しいたします。
逆の立場だったら、
そんな場所で(家族が無くなった場所で)
観光気分で記念写真なんか撮られたら・・・・・・・・・・・、
そんな遺構なんか残して欲しくないって思うもの。
泣いても泣ききれないと思う。
震災で物的な被害だけではなく、
尊い命、
増して幼い子供たちが大勢亡くなった場所で、
そんな「逆なで」するような行為は絶対止めて欲しい。
根本的に僕がやっていることと、
紙一重かも知れない。
どう違うんだ?って言われるかも知れない。
僕だけの「こだわり」なんて誰も、家族すら知らないことだけど。
震災の起こったから現地に通って、
同じ子を持つ親としてだれだけ泣いて来たことか。
この日も、
泣くかどうかの紙一重だった。
と言うか、、、、泣かずに我慢できるかどうか、
そこだ。
それほでまでにココは、
苦しい場所。
黙々と作業する皆さん。
知っている『顔』もありながら、
今回初めて参加してくれる人達。
心にどう感じたのかな。。。。
ところどころ、
津波の威力が物語っています。。。
休憩時間に行内の撮影をさせて頂きました。
本当『津波』の恐ろしさを今でも改めて痛感です。
また作業開始。
花も植えられて、
そっと心を寄せます。
本当、こういったボランティアって、
どれだけお金があっても足りない。
どれだけあっても、
何とかしてあげたい場所が沢山有り過ぎる。
どこまでやれれば「終わり」って無いんだけど、
圧倒的にボランティアが減っている(全国的に)
石塚観光さんの負担も大きく、
(綿引社長さんの個人的な「思い」一つで継続して頂いています)
今では便も月に1回ある程度となりました。
僕たちに、
もっと何か出来ることってないかな?
滅多に参加する頻度も、
心の余裕も失いつつある今日(僕が
辛うじて参加出来たって僕が言うのも、
軽々しいと思うけど。
綺麗ごと以外で、
もっと何かを・・・・・と思うこの頃です。
さて。
女性陣は・・・・・・・・・・・・・・・・・、
校庭で花植え+花壇造り。
奥様。
僕。
学校のすぐ後ろ。
間近で見ても凄い急な山です。
ここの上に、
ひまわりに『ひまわりのおか』があるんだよね。
#「ひまわりのおか」
宮城県石巻市立大川小学校。東日本大震災による津波で、児童74名の命が亡くなり行方不明となるという悲劇がおこりました。
お母さんたちは、子どもたちが避難しようとめざした場所に、ヒマワリを植えはじめたのでした・・・。
ドキュメンタリーを撮るために現地へ行っていた作家・葉方丹さんに託された、お母さんたちからの手紙。
そこには、辛い悲しみと同時に、子どもたちへの愛情あふれるメッセージが詰まっていました。
絵本作家・松成真理子さんも現地へ赴き、お母さんがたの話に耳を傾け、
お母さんたちが書いてくれた子どもたちについての手紙をもとに、この絵本をつくることになりました。
こんなかわいい子どもがいたんだよ、こんなやさしいお母さんたちとずっとずっといっしょなんだよ。
このことが、絵本で伝えたかった思いです。
【この絵本の売り上げの一部を、被災地復興などのため寄付いたします。】
芝桜が植えられるように、
綺麗に盛り土して一端完了。ぬかるんでいた土も落ち着いた。
次回のボランティア便にて植えるようです。
ちょことだけ在庫があったので、
芝桜。
植えました。
来年のGW頃に綺麗に咲くと良いね‼‼‼
小さい畑だけど、
来年にはもりもりと元気に育って欲しい。
校庭の「塩分」も相当抜けているだろうから‼‼‼
一般の方はロープの外からのみ視察可能です。
当時の写真も貼られています。
見学者も後を絶ちません。
一段落付いたので校舎の撮影。
津波の被害を伝えて来ます。
昨年は2階で作業しました。
作業時間を終えバスへ戻ります。
奥様付き合ってくれてありがとう。
君が居てくれるから、
僕も頑張れる‼
着替える人は(男性陣)外で着替えて。
冬じゃないから外でも全然平気‼
以前は寒空で、
着替えたくらいだからね。
女性陣は車内で着替えです。
僕は面倒なので…このままでいいや。
最後に遺族会の方からお話を頂きました。
宮城県が、
石巻が、
ここがどう変わってしまったのか。
フォトブックでは、、
津波前と津波後の写真対比でした。
どんなふうに地形そのものが変わってしまったのか、
地盤が沈んでしまって、
そのまま「海」になってしまったエリアとか。
丁寧に説明して下さいました。
興味ある方はここにアクセスして下さい。
ここの写メ撮れなかった皆さんへ、
参考にどうぞ。
楽しく学び、遊んでいた、大好きな大川小学校でたくさんの子どもが犠牲になりました。
あの日から私たちはずっと考えています。
子どもたちの小さな命が問いかけているものはなんだろうと。
遺族はもちろん、関心を持っている方すべて
市教委や検証委員会のみなさんも
ずっと考えているのだと思います。
小さな命の問いかける意味は、深く、重い。それに向き合いたいと思います。
何をいつまで、と思うかもしれません。その通りです。時間はどんどん過ぎていくのですから。
警報が鳴り響く寒い校庭で、子どもたちは危険を察し、逃げたがっていて、
それでも先生を信じて、指示をじっと待っていました。
その事実から目を背けてはいけないと思います。
あの日の校庭に目を凝らすことで、何か大切なことが見えてくるはずです。
悲しみは消えることはありません。でも、この悲しみはあの子たちの存在そのものです。
忘れる必要も、乗り越える必要もなく、いつもそばに感じていていいのだと思います。
あの日の校庭もそうでした。多くの人が、このままではいけないと感じています。
誰かが「そっちに行くな」と声をあげなければ。津波が来てからでは遅いのです。
そう考え、このタイミングで会を作りました。
趣旨をご理解いただければと思います。
リアルなお話は心に深く刺さります。
ここ大川小学校は、
様々な問題が現在も残っています。
(興味ある方はネットで検索して下さい)
真実は何なのか?
何が正しいことだったのか?
何が一番「最善」だったのか?
9割の子供が亡くなったこの場所。
それだけが残った事実。
震災当時、
同じ小学校の子供を持つ親として。
何度ここに訪れても、
心の痛みは和らぎません。
引き裂けそうな痛みを味わいます。
どれだけ涙をこぼしても、
今となっては取り戻すことの出来ない事実。
時間は止まったままだと痛感させられます。
by おやじボクサー