東松島市内で、
バス車内からの風景。
トラックで土を運ぶより、
効率・コストに優れている。
「土」を運ぶベルトコンベア。
津波が来る前は、
普通に生活がなりたっていた場所。
基礎だけ残っているところも、
極普通にあります。
ところどころにこんなプロジェクトがあったりします。
ここで見かけたのは「フラワーメッセージプロジェクト」
個々の団体が、
それぞれの思いで展開されているようです。
現地までの風景。
あちこちで造成・かさ上げ工事が行われていて、
バスが通れるルートも変わって来ました。
民家住宅がない不自然な光景、
何もなかったように見えるけど、
間違いなく人々が暮らしていた場所なんです。
各地で見かける重機・建機。
無人の荒野に「機械」だけが目立ちます。
舗装もされていない道路、
揺られながらバスは走り続けます。
各自、
黄色いテープで各自が名札を書きます(体の一部へ貼ります)
この遠くなる光景。
こんな場所も宮城県です、
まだまだ時間が必要。
住宅地だった区画も、
今では雑草で生い茂っています。
すれ違う車両は、
全て工事車両のみ。
作業現地まであと少し。
午前9:08。
断て壊し・解体も出来ずに、
そのまま残っている住居。
本人の同意が得られないと解体はできません、
また解体費用は自己負担。
津波で消息不明な場合は、
現在の法律では「そのまま」なのです。
住まいを荒らされてしまうので(荒らされてしまったので
壊れてる部分でもあって、
ブルーシート等で目隠し。
どんなに困難であっても再生できた方々と、
今でも岩手・宮城・福島で仮設住宅暮らしの方々は、
おおよそ9万人。
9万人なのです。
その現実が、
一人一人の人間。
被災者が賃貸で入居できる災害公営住宅は、
10%しか完成していない。
遠く離れたところからだと、
想像も出来ないでしょう。
そんなの(これほどに)遅れていたって事実。
集団移転する高台の造成や民間住宅用地の整備、
完了した進捗度はわずか3%。
幹線道路は99%が復旧、
農地63%が再開。
インフラ整備だけは進んでます。
長引く仮設住宅での暮らし、
1つの家族が暮らす一戸あたり面積はわずか9坪。
4畳半×2部屋+台所(収納スペース無し)なんです。
このような面積で1つの家族が暮らし、
既に3年半も経過。
今後も仮設住宅の劣化、
さらに、
現在の傾向だと更に5年経っても仮設暮らしが2万人以上の可能性があるってこと。
人手不足のあおりで人件費の高騰、
被災地3県計で労務単価は(2011年の震災前より)4割高騰。
しかしそれによって、
復興バブルが起こってます!!!
一坪の建築費用が昨年対比で3割もUP(飽くまでもこの1年で)
自立再建の前に、
おおきな壁(値上がり)が出来上がっている。
多くの人達が、
自分の土地に帰れない・戻れない。
現実に再建が厳しい。
阪神・淡路大震災では最長5年間の仮設住宅が続きました。
今回の東北大震災では、
それを上回る可能性(8年間)が大です。
入居当時、
赤ちゃんだった子供が8歳になってしまう年月。
12歳だった子供が成人する年月。
それが「8年間」の歳月。
そんな年月がまだまだ必要であって、
どこを見て『復興』と言えるのか、
道路交通の整備が整って(ここも勿論大切)の『復興』と言うのか。
だから、
手放しで復興したぞって、
自分が思える日まで、
自分の消灯時間まで考えてみる。
この現実から目を背けたくない、
そう思う。