お弁当に入ってる梅干しや、
おにぎりに入ってる梅干し。
最後に歯で噛んで、
梅干しの種の中身も食べてたんだ。
小学校でみんな?
普通にそうやって食べてたんだよ。
女子は分からんけど。
市内でも珍しい私服の小学校だった。
マンモス団地が出来て生徒数が急増してしまって、
近くに新しい小学校(分校になった)も出来た時代。
子供の人口も増えに増えた時代かな。
から、
長女の時は?
(同じ住所の団地に住んでいた僕の20代)
長女は僕と同じ小学校だった。
大きく年の離れた次女の時には、
僕が家を建てた事で学校転校させてしまった。
僕も母の再婚に連動して、
住むところが変わってそれ迄小学校6年生迄、
ずっと一緒だった友達の居る地区からちょい離れた場所へ、
引っ越して離れ離れになった想い出も有るから。
次女の時。
寂しい想いは、
次女が泣いてた。
理解してたつもりだし、
僕でも乗り越えて「学校転校」だった。
転校初日は?
家で(朝)泣き出してしまってすんごく心配してたけど、
学校終えて帰宅してからの感想。
凄く楽しくて友達は?
あっと言う間に出来たって言ってて。
仕事帰宅後、
ほっとした想い出。
長女の時は放任的な育て方も有ったし、
親として20代(前半だった)のお父さん。
何もかも未経験で子育て知らずだった分、
次女へは溺愛して何か有れば?
学校へ(イジメが有ったんじゃないかって時)猛烈に抗議に行った。
うっせー父親だったけど、
不登校やイジメに関して、
神経質になってた僕です。
っと。
口癖のように「宝物」って公言してたのが、
昔の僕です。
そんな想い出いっぱい有って、
会えなくなって大分経つけれど、
声や当時の顔も普通に覚えて居たり。
僕の東京での試合、
4年間全て応援に来てくれたし、
僕の勝手な我が儘の3.11ボランティア宮城県、
僕の11年間のうちの6年間迄。
半強制的に連れてってた。
独りで家に残していられなかったって年齢でも有ったし。
高校生になって会話も無くなってしまった中で、
可能な時は駅までの送迎やってた馬鹿おやじです。
もう、
遠い遠い時間の想い出。
其れでも今でも想い出す時間が多過ぎるよ。