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女性信者用:聴罪司祭との付き合い方 アヴィラの聖テレジア『完徳の道』より

2022-08-16 01:13:40 | 聖職者や信者との付き合い方
 司祭に対する愛に、節度と慎重が伴えば、功徳のあるものとなるのです。私達には感覚的だと思われることが、徳にかわりますから。でも、少しでも情熱が加わると、すっかり調和が破れてしまいます。

 けれども、この二つは、まじりあっているので、ときとして見分けがつきません。それは、ことに聴罪司祭に対して愛情を抱いているときにひどいのです。

 実際、念祷をしている者は、
「聴罪司祭が聖なる方であり、自分の霊魂の歩みを理解してくださると知る」と、
その司祭に対して大きな愛情を抱くものです。

 すると悪魔はあらゆる小心の総攻撃を、司祭に対して仕掛けるのです。司祭の心の中にひどい混乱を起こさせます。これこそ悪魔のねらいです。

 特に、司祭が霊魂を高い完徳に導くときにこれは激しいのです。

 この場合、あなたのなすべきことは、聴罪司祭が好きかどうかに心をわだかまらせないで、もし好きなら続いてお愛しすることです。体のことについて親切な方に対してもわたしたちは愛情をいだくではありませんか

 では、なぜ、私どもの霊魂の進歩のために絶えず尽していてくださるかたを愛してはならないのでしょう。

 もし、聴罪司祭が聖なる霊的な方であり、信徒の霊魂の善益のために一心に努力してくださっているのを見たならば、私の考えでは、聴罪司祭を愛することこそ、自分の進歩のための本当の大きな助けです。私たちは、とても弱いものですから、神に御奉仕するために大きなことを果たすには、ときとして、こういう愛情は大変助けになるのです。

 でも、もし、あなたの聴罪司祭が、聖なる霊的な方であり、信徒の霊魂の善益のために一心に努力している方ではないならば、危険の可能性があります。

 女性信徒から聴罪司祭が愛されていることを、聴罪司祭自身が知ることは極めて危険です。

 また、誰が本当に聖なる聴罪司祭であるかを知ることは本当に難しいことですから、大きな慎重と用心が必要です。

 一番良いのは、聴罪司祭が、女性信徒から愛されていることを全然気づかないこと、また、聴罪司祭に対して、聴罪司祭を愛していることを言い表さないことです。

 でも、悪魔は女性信徒を上手につついて、それについて黙っていさせないでしょう。

 女性信徒は、聴罪司祭を愛していることを告白すべきであると勘違いするでしょう。むしろ、告白する義務があると思いこんでしまうでしょう。

 だからこそ私はあなたがたに申し上げます。

 聴罪司祭に対する自分の愛情を重大視せず、それを少しも気にしないようにしていただきたいのです。

 私の勧めをききなさい。

 もし、聴罪司祭のおっしゃることがすべてあなたの霊魂のためになるとわかったなら。また、聴罪司祭のうちに、少しでもむなしいことへの傾きのないのを認めたらなら。そして、聴罪司祭が神をおそれる人である人であると知ったなら。聴罪司祭を愛しすぎると思う誘惑に少しも心配してはいけません。そうすれば、悪魔のほうが疲れてしまって、誘惑をやめます。

 でも、もし、聴罪司祭のことばのうちに、何かむなしいことへの傾きを認めたなら、すべてを疑いの目で見なければなりません。

 たとえ念祷であろうと、神についてであろうと、決して聴罪司祭と言葉をかわさず、ことばすくなに告解して、すぐに出なさい。一番良いのは、その聴罪司祭をやめることです。もしそれができるなら、それが一番賢明なやりかたです。そして、いつもそれができるように私は神のおんいつくしみに希望しております

 あなたは、たとえ、どんなにつらくても、むなしいことへ傾いている聴罪司祭と再び交際しないようにできるだけのことをしなければなりません

イエズスの聖テレジア(アヴィラの聖テレジア・教会博士)著 『完徳の道』より