カトリック情報 Catholics in Japan

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洗礼式の意味 3

2018-01-26 02:28:41 | 典礼
アロイジオ・デルコル神父『信仰の道 ー 秘跡について』

◆18-3、洗礼式の意味

 キリストは、すべての人の救いのために亡くなられたのです。そのため聖霊は、この救いにあずかる可能性をすべてにお与えになります。

 それで、キリストの福音とその教会をしらなくても、自分のおよぶ限りに真理をさがし、神のみ旨を果たす人は救われると考えられます。教会は、もしその人が、洗礼のことを明らかに知るようになったなら、きっと洗礼を望んだにちがいないと考えています。

 洗礼をうけないままに亡くなる小さな子どもは、どうなるのでしょう? 教会はこの子どもたちを神のおんあわれみにまかせます。それで教会はこのような子どもたちのためにも葬式を行い、祈りを捧げています。

 それに、すべての人の救いを望まれる神の偉大なあわれみと、かつて、イエズスが「小さな子どもを、わたしさまたに来させなさい。妨げてはならない」(マルコ10:14)とおおせられたイエズスのみ言葉を考えあわせると、洗礼を受けることなく亡くなった小さな子どもたちのために特別な救いの道があると希望できます。それにしても、教会がこのような小さな子どもにも洗礼をさずけるようにと、しきりに望んでいるのはいうまでもありません。


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洗礼式の意味

2018-01-20 20:15:23 | 典礼
アロイジオ・デルコル神父『信仰の道 ー 秘跡について』

◆18-2、洗礼式の意味

 誰が洗礼をさずけることができますか?

 洗礼の通常の奉仕者は、司教、司祭、あるいは助祭です。しかし、その必要があるときは誰でもさずけることができます。洗礼を受けていない人でも、さずけることができます。その時に、教会がするとおりにするという望みがあって、教会で使う言葉を使うなら、その洗礼は有効です。

 離教教会とプロテスタントの教会でさずける洗礼も、きまったとおりにした場合は有効です。それで、このようにして洗礼を受けた人は、あとでカトリック教会に帰ズ依した場合、洗礼をくりかえす必要はありません。もしその洗礼のさずけ方について疑いがあれば、そのさずけ方をしらべねばなりません。

 信仰の道に人って教理の勉強をしたが、洗礼をうけないまま亡くなった人はどうなるでしょう?

 これについて、2つの目立った場合があります。

 その一、信仰のために迫害をうけて殺される人は、キリストのために、そしてキリストと共に死んだことによって救われます。こんな場合を〃血の洗礼〃といっています。その2、洗礼を受けようと鎧んでいたのに、その前に死んだ人の場合にも救いが得られます。これを〃望みの洗礼〃といいます。


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洗礼式の意味

2018-01-19 05:42:42 | 典礼
アロイジオ・デルコル神父『信仰の道 ー 秘跡について』

◆18、洗礼式の意味

 洗礼式のときに用いられるいろいろなしるしは、それぞれ、その意味をもっています。

 十字架のしるしを、式のはじめにしますが、これは、救いがイエズスの十字架の功徳によって得られることを示しています。

 その次に神のみことばの朗読があります。これは、洗礼によって信仰をあらわすからです。それで、洗礼のことを、「信仰の秘跡」ともいいます。

 そのあとで、悪霊に対する拒否があります。ここで洗礼をうける人は、悪霊(悪魔)とそのしわざと、そのすべての虚栄をすてることを誓います。それから、信仰宣言をとなえ、水による洗礼をうけます。

 洗礼に用いられる水は、洗礼をさずけるその時、あるいは、復活の徹夜祭でとくべつに聖別されます。しかし、臨時に洗礼をさずける時は、聖別された洗礼水がなくても、普通の純粋な水を使うことができます。

 洗礼をさずける方法は昔から2つありました。第1の方法は、受洗者を洗礼水に3度入れる方法です。第2の方法も昔から第1と同じ程度に用いられてきましたが、それは、受洗者の頭の上(普通は額の上に)3回洗礼水を注ぐ方法です。

 洗礼をさずけるとき、すなわち洗礼水を注ぎながら、「わたしは、父と子と聖霊のみ名によって、あなたに洗礼をさずけます」と唱えます。

 それから聖香油の塗油が行われます。これによって洗礼をうけた人は、聖霊において救いの香油を注がれ、キリストのように司祭と予言者と王として聖別されます。もちろんこの司祭職は奉仕的司祭職ではなく、一般信者の司祭職です。奉仕的司祭職のある司祭は、ミサ聖祭をささげ、罪のゆるしを与えることができます。一般の司祭職のある信者は、この2っの根本的な権能をもっていません。

 次に白衣をさずけます。これは、新しい人となり、キリストを着るものとなり、キリストの国の完成を待ちのぞみながら、キリストに従って歩まねばならないことを示しています。
それからローソクを渡します。このローソクには、復活のローソクから火をつけ、これからは、キリストの光りをもたらすものとなることを示します。このように洗礼をうけた人は、イエズスのみ言葉どおり「世の光」となるのです。

 そしてまた洗礼をうけた人は、その時から主の祈り「天においでになるわたしたちの父よ」ていう祈りをとなえることができるようになるのです。それは、完全な意味で神の子どもとして生まれかわったからです。

 洗礼式のときに、いわゆる洗礼名がさずけられます。これは、教会の初めからの習慣ではなく、迫害が終わった時代からのならわしです。つまり、洗礼をうけた人は、殉教者、あるいは聖人の名を貰って、その手本にならうように努力をするためです。洗礼名は1つだけで十分ですが、ある人たちは、2つ、あるいは、それ以上の洗礼名を受けています。

 洗礼は、消えることのない特別な資格を霊魂にきざむので、これをくりかえすことは出来ません。その人が洗礼の時の恵みを失って、そのまま死ぬなら地獄に行きますが、神の子どもとしての資格は永遠に持ちつづけるので、そのためなおさら酷い苦しみを受けます。それにしても、キリストは人を地獄におとすために洗礼をお定めになったのではありません。かえって天国に導くためです。だからこそ、洗礼をうけて後、大罪を犯したことがあるなら、出来るだけ早く〃罪のゆるしの秘跡〃をうけて神の恵みをとりもどし、神の子どもにふさわしい清い生活をおくらねばなりません。

洗礼の秘跡

2018-01-18 18:57:25 | 典礼
アロイジオ・デルコル神父『信仰の道 ー 秘跡について』

◆17、洗礼の秘跡

 洗礼は、すべてのキリスト教生活の土台であり、聖霊による霊的生活の入り口です。

 洗礼によって、わたしたちは先祖伝来の源の罪から解放されて神の子どもとして新たに生まれ、キリストの神秘的な体のメンバーとなり、教会に属するようになって、教会の使命にあずかるです。洗礼は、み言葉による水を通じて行われる再生の秘跡なのです。

 この秘跡は洗礼と呼ばれ、聖書の表現を使えば、洗礼を受ける人は、キリストの死のうちに葬られ、キリストと共に新しい被造物として生まれかわるのです。この秘跡はまた、再生の洗いとも呼ばれ、聖霊によって新たにされる洗いとも呼ばれます。なぜなら、水と聖霊による新しい誕生を意味するだけではなく、それを実現させるからです。この新しい誕生なしには誰も天の国には入れません。

 この秘跡はまだ照らしの秘跡とも呼ばれていてます。

 この教えを受ける人の心が照らされるからです。

 ナツィアンツの聖グレゴリオは、次のように説明しています「たまものといわれるのは、何も功徳のない人にも、ただで与えられるからです。恵みともよばれます。罪人にさえも与えられるからです。またこれは注油ともいわれています。それは、聖香油をもってキリストの司祭職にあずかるようになるからです。あるいは、照らしとも呼ばれます。それは、かがやかしい光だからです。礼服ともよばれます。なぜなら罪の恥をかくすからです。

 また、洗いともいわれます。それは、わたしたちのはん罪を洗うからです。印ともよばれます。これによって、わたしたちが、神のものとなるからです。

 このためにイエズスは、ご復活ののち、使徒たちに使命を与えて、「あなたたちは、諸国に弟子をつくりに行き、父と子と聖霊とのみ名によって洗礼をさずけ、わたしが、あなたたちに命じたことを守るように教えよ」(マタイ28:19-20)とおっしゃいました。

 こうして教会は、聖霊ご降臨ののち、すぐイエズスのこの命令に従い、〃改心するように、そして罪のゆるしを受けるように、イエズスがおさだめになった洗礼を受けるように"と教えはじめ、そのとおりにしました。

 使徒聖パウロは、こういっています。
「わたしたちは、イエズスの死における洗礼によって、イエズスと共に葬られた。それはおん父の光栄によってキリストが死者の中からよみがえったように、わたしたちもまた、〃いのち〃に歩むためである」(ローマ6:3-4)これによると、洗礼は、わたしたちの未来における復活の保証ともなります(コロサイ2:12も参照)。



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入信の秘跡

2018-01-17 16:09:14 | 典礼
アロイジオ・デルコル神父『信仰の道 ー 秘跡について』

◆16、入信の秘跡

 それは、洗礼、堅信、聖体のこの3つの秘跡でず。つまり、この3つがキリスト教生活の土台となっているのです。つまり、洗礼によって神の恵みに生まれ、堅信によって信仰を強められ、永遠の命のかてであるご聖体によって神の恵みが養われるのです。それは、信者が、神たどの命の宝をますます深く味わい、完全な愛徳にまで辿りつくことができるためです。



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