カトリック情報 Catholics in Japan

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教皇ピオ12世の予言

2023-10-13 11:04:27 | 私的啓示(ファティマ等以外)


 教皇ピオ12世には、幻視や天使的現象の噂がある。このような神秘的な幻視の後、ピオ12世は助手の一人にこう言ったと伝えられている。「人類はかつて経験したことのないような苦しみを覚悟しなければならない」。ピオ12世は、そう遠くない未来に人類が直面することに落胆し、その時代を 「大洪水以来の暗黒 」と表現した。

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 1933年、教皇ピオ12世は教皇ピオ11世の国務長官エウジェニオ・パチェッリ枢機卿であった。国務長官であった当時のパチェッリ枢機卿は、長年の友人であったエンリコ・ピエトロ・ガレアッツィ伯爵と親密な協力関係にあった。ファティマでの聖母出現から16年後、パチェッリは親友であり親密な協力者に予言的な発言をした。

 昨年(2018年)、英訳版が出版されるまで、パチェッリがガレアッツィ伯爵に語った内容は、カトリックの出版物に部分的にしか掲載されていなかった。

 ガレアッツィ伯爵との私的な会話の中で、ピオ12世はファティマについて言及し、聖母がシスター・ルシアに何度も姿を現したのは、「典礼、神学、霊魂における信仰の改変がもたらす自殺行為 に対する天主の警告」であったと述べている。

「私の周りでは、聖なる礼拝堂を解体し、教会の普遍的な炎を破壊し、教会の装飾を拒絶し、教会の歴史的過去を悔い改めさせようとする革新者たちの声が聞こえる。さて、親愛なる友よ、私はペトロの教会が自らの過去を肯定しなければならないと確信している。」

 ピオ12世はまた、「ペトロが疑ったように、教会も疑うようになる」と語った。

「教会は、人間が神となり、御子は象徴に過ぎず、他の多くの哲学と同じであると信じるように誘惑されるだろう。そして、教会では、キリスト教徒は、空(から)の墓の前で泣き叫ぶ罪深い女のように、イエズスが待っている赤いランプを探すだろう。どこに連れて行かれたのでしょう?と。」

 ガレアッツィ伯爵に対するピオ12世の発言の全文は以下の通り:


「親愛なる友よ、共産主義が、教会と天主の啓示の伝統に対する破壊機関の中で最も目に見えるものであるとしよう。こうして私たちは、哲学、科学、法律、教育、芸術、メディア、文学、演劇、宗教など、精神的なものすべてが侵略されるのを目撃することになる。

 私は、ファティマの小さなルシアへの聖母の仰ったことを懸念している。教会を脅かす危険に直面している聖母のこのように頻繁な発言は、典礼、神学、そして霊魂において、教義の改変がもたらす自殺行為に対する天主の警告である。

 私の周囲では、聖なる礼拝堂を解体し、教会の普遍的な炎を破壊し、教会の装飾を拒絶し、教会の歴史的過去を悔い改めさせようとする革新者たちの声が聞こえてくる。さて、親愛なる友よ、私はペトロの教会が自らの過去を肯定しなければならないと確信している。

 たとえ悪の勢力が今日、教会の歴史を変形させようとしているように、いつか私の人物、私の行動、私の著作を利用するかもしれないとしても、私は教会の外側と同様に、教会の内側でも最大のエネルギーをもってこの戦いに臨むつもりである。天主の言葉を変える人間の異端はすべて、より大きな光が現れるためである。

 これら途上国の民が教会を救うのだ、閣下。文明世界が天主を否定し、ペテロが疑ったように教会が疑う日が来るだろう。人が神となり、御子は象徴にすぎず、他の多くの哲学にすぎないと信じるように誘惑されるだろう。そして、教会では、キリスト教徒は、空(から)の墓の前で泣き叫ぶ罪深い女のように、イエズスが待っている赤い灯を探し求めるだろう: イエズス様はどこに連れて行かれたのですか?と。

 そして、アフリカから、アジアから、アメリカから、司祭たちが立ち上がり、この宣教神学校で養成され、「いのちのパン」は普通のパンではない、天主の御母は他の人のような母ではない、と言い、宣べ伝えるだろう。そして、キリスト教の頭は天主の御子であり、教会は天主の教会であるから、キリスト教は他の宗教とは違うとを証しするために、彼らは切り刻まれるであろう」。

https://ucatholic.com/blog/did-pope-pius-xii-prophesy-warnings-about-fatima-and-the-suicide-of-altering-the-faith-in-its-liturgy/




英国についての予言 聖ドミニコ・サヴィオ

2023-05-07 07:34:42 | 私的啓示(ファティマ等以外)
聖ドミニコ・サヴィオのイギリスに関する予言

 聖ドミニコ・サヴィオ(1842-1857)が晩年の1857年にイギリスについて見た幻視を知らないカトリック信者は多い。少年は北イタリアのピエモンテに生まれ、英国国教会のプロテスタントであったイギリスの地に足を踏み入れることはなかった。しかし、かつて「聖母の持参品」という称号を誇らしげに掲げていたこの背教の国の信仰への回帰に大きな関心を持っていた。

 ドン・ボスコは聖人伝の中で、ドミニコ・サヴィオがこう言うのをよく聞いたと述べている:

「イギリスには、私たちの助けを待っている魂がどれほど沢山いるでしょうか。私に力と徳があれば、イギリスに行って、説教と善行によって、彼らをイエズス・キリストのもとに導く手助けをしたいのに。これをすることほど、私に喜びはありません」。

 彼は、この使命に対する熱意の欠如をしばしば嘆いていた。

 彼は、自分が通っていたトリノのオラトリオの創設者であるドン・ボスコに、自分が受け取ったメッセージを教皇ピオ9世に伝えるように頼んだ。ドン・ボスコはこのメッセージを重視し、ドミニコ・サヴィオが亡くなった1857年、教皇にこのメッセージを伝えた。

『ドミニコ・サヴィオの生涯』という有名な本の中で、この出来事を語っているのは、ドン・ボスコ自身である:

 ドン・ボスコによると、サヴィオはしばしば教皇のことを話し、何か重要な話があるので会わせてほしいと言っていた。

 彼は何度かこのようなことを繰り返していたので、ある日、私は彼にその重大な事柄は何なのか尋ねた。すると、彼はこう答えた:

「もし教皇様とお会いできるなら、教皇様は現在耐えている大きな苦難に耐えていらっしゃるでしょうが、英国に対する特別な配慮を決して緩めてはいけないと申し上げたいのです。神はその王国でカトリックの大勝利を準備しておられるからです」。

 私は彼に、「そのようなことを言える根拠があるのですか」と尋ねた。

「お答えします。しかし、他の人には言ってはいけません、馬鹿にされるかもしれないからです。しかし、もしあなたがローマに行ったら、私の代わりにピオ9世に伝えてください。」

「私がそう思う理由はこうです。ある朝、聖体拝領の後の感謝の祭儀のとき、私には不思議なことに、繰り返し気が散ることがありました。厚い霧に包まれた広大な国土が見えたと思ったら、そこは大勢の人々で埋め尽くされていたのです。彼らは動き回っていましたが、まるで道を踏み外し、足元が定かでない人のようでした。

 私の近くにいた人が、「ここはイギリスだ」と言いました。」

「私がそれについて質問をしようとしたとき、写真で見たことのあるピオ9世聖下を見ました。教皇様は堂々とした服装で、輝く松明を持っていて、まるで彼らの暗闇を照らすかのように、大勢の人々に近づいていきました。教皇様が近づくと、松明の光は霧を消し去り、人々は白日の下に置かれたようでした。

「この松明は、イギリスを照らすカトリックの宗教である」と、私に教えてくれた人は言いました。」

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 1858年にローマにいたとき、私はこの幻視を教皇に伝えたが、教皇は大いに興味を持ち、こう仰った:「あなたが私に話したことは、長い間、私の特別な関心の対象であったイギリスのために可能な限りのことをするという私の決意を確認するものです。あなたが話したことは、少なくとも、敬虔な魂の助言で」」。

 他にも似たような性質の話はたくさんあるが、このような小さな伝記にはふさわしくないものだ。私はそれらを記録しておき、他の人の意見で出版が要求されたときに、世に出すことができるようにした。


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 教皇は、イギリスに対する大きな関心と心配を正しく表明していた。1850年5月、ピオ9世は、イングランドの改宗のために、例えばハレルヤ三唱のような敬虔な祈りを捧げる者すべてに、200日間の免償を与えた。

 同年、教皇は、エリザベス1世の時代に最後のマリア司教が亡くなった後、一掃されていたイギリスのカトリック教区の階級を再確立する教皇庁の勅令『ユニヴァーサリス・エクレシエ』を発表した。

 こうしてイギリスは、教皇が1869年に招集した第一バチカン公会議に13人の英国人司教を送り込むことができた。アメリカからは48人の大司教と司教、そして1人の修道院長が代表として参加した。



「秋田の聖母像に関する司教書簡」新潟司教 伊藤庄治郎 1984年4月22日

2022-08-12 04:39:01 | 私的啓示(ファティマ等以外)
◆ 秋田の聖母

新潟司教 伊藤庄治郎「秋田の聖母像に関する司教書簡」1984年4月22日



 御復活祭に当たり、教区の皆さんにご挨拶をお送りいたします。

 私は一九六二年、ヨハネ二十三世教皇によって新潟司教の任命を受けてから二十二年間、教区長の職をつとめて参りましたが、教会法の定める定年制により教区長職を退くことになりました。在任中はいろいろと皆さんにご迷惑をかけたことがあったと思いますが、皆さんの寛大なご協力によって今日まで聖務をつづけることができたことを感謝しています。

 さて、私は、去るにあたり、一つ気がかりなことがあります。それは秋田市添川湯沢台一の聖体奉仕会(在俗会認可申請中)の聖母像に関する一連の不思議な出来事についてであります。すでに雑誌、書籍、テレビ等を通じてご存知と思います。一九七六年に第一回の調査委員会が設立されたとき、私は調査中につけ、同会への公式巡礼と聖母像に対して特別崇敬をしてはならないことを公示いたしましたが、その後このことに関して一回も公の声明を出していません。それは教会に関する重大なことでありますので、軽々しく取り扱うことはできないからです。しかし私は、教区長職を去るに当たりこのことに最も深く関係した当事者として、沈黙を守ることは、教区長としての私の責任を果した ことにはならないと思います。それで、司教書簡の形をもって、このことについて私の声明を発表することにしました。

 一九七三年(昭和四十八年)このことが起きてから今年で十一年になります。このような不思議なことに出会ったのは初めてでありますので、一九七五年、初めてローマの教義聖省を訪問し、かねてより知っていた同省の次長ハメル大司教に会って相談しましたところ、それは第一に教区長の権限であるといわれました。一九七六年、東京大司教区にお願いして調査委員会を設立していただきましたが、この調査会では、秋田の出来事は超自然性を証明することはできないとのことでした。それで一九七九年、教義聖省に検討していただくための懇願書を提出しました。また同聖省にお願いして、第二回の調査委員会を設けて、さらに詳しく検討いたしました。一九八一年、同聖省より、秋田の出来事に対して好意的でない手紙がバチカン大使のもとに届きました。その中には誤解もありましたので、正確なことを伝えなければならないと思い、一九八二年、一応、不思議な出来事の終わった時点で、初めから詳しく取り調べ、さらに新しい事実をつけ加え、バチカン大使を通じて聖省に送りました。昨年十月、私は聖省を訪問し、三人の係官に会い、話し合うことができました。現在のところ検討中であるということがこの話し合いの結論でした。




 秋田の聖母像に関する一連の不思議な出来事の中には、ご像の右手より血が流れたことや、ふき取らなければならない程の汗のようなものが流れ、それが芳香をはなつなどいろいろあります。その中で最もはっきりしているのは、聖母像の目から人間の涙のような水が流れ出たことであります。それは聖年であった一九七五年一月四日から始まり、一九八一年九月十五日の悲しみの聖母の祝日まで百一回にわたって流れました。私も四回これを見ることができ、五百人位の人が見ています。私は二回この涙のような水をなめてみましたが、塩からく、全く人間の涙のようでした。秋田大学医学部法医学の匂坂教授の調査によりますと、人間の体液であることが証明されました。何もないところから、水が生ずることは、人間の力でできることではなく、人間以上の力の介入が必要であると思います。しかもそれは単なる水ではなく、人間の体液であり、目からだけ涙のように流れること、数年間に百回以上にわたり、大勢の人の目前で流れたのですから、トリックや人間の仕掛けでないことは確かであります。このことが自然的出来事でないとすれば、三つのことが考えられます。

1。超能力による

2。悪魔のしわざ

3。超自然の働き

 超能力ということは、私にもよくわかりませんが、この不思議な出来事にもっとも関係のある聖体奉仕会の会員笹川さんに超能力があり、彼女の涙が像に移された、といわれております。しかしその方面の専門家である東京工大の板谷教授の話によると、そのような超能力を働かせるためには、本人がそれを意識しなければならないとのことでした。ところが笹川さんの眠っていたときも四百キロ離れた実家に帰っていて、そのことを全然意識していないときも、像から涙が流れていますので、超能力説は否定されると思います。


 次に悪魔のしわざではないかということです。もしそうだとすれば、信仰上の悪い結果がでてこなければならないのですが、そのような悪い結果はでておらず、かえってよい結果がでています。例えば、カトリックである妻から、洗礼を受けるように長い間すすめられていた夫が、この涙を見て受洗の決意をし、受洗しました。また数十年間教会を離れていた信者が、すっかり回心して日曜日毎に教会に行くようになりました。また、ある信者はここを訪問した結果、宣教のために働く決心が与えられ、自分の力で二カ所の宣教の拠点(巡回教会)を作り、今日までそれが続いています。

 また、この聖母の取り次ぎによってガンやその他の病気が奇跡的に治ったという多くの報告を受けています。その中で最もはっきりしている例を二つあげましょう。その一つは、韓国の婦人に起こった突然の治癒です。この方は一九八一年七月に脳のガンのために植物人間となったのですが、秋田の聖母があらわれて寝ている必要はないといわれ、まもなく、起きることができるようになり、完全に健康をとり戻すことができたのです。これは韓国殉教者の列聖のための奇跡を求めて、この婦人の治癒を、秋田の聖母に韓国の神父や婦人たちが祈っていたとき与えられたものです。この方の病気中と全快後に撮ったレントゲン写真がありますが、治ったことが素人でもわかるように撮られています。この写真の真正であることは、これを撮ったソウルの聖パウロ病院のゴ・ウ・キム医師と京城大司教区の教会裁判長テイサン師が公の証明書を出しています。すべての書類は、ローマへ送られました。私は昨年ソウルに行き、本人に面接し奇跡的治癒の真実であることを確かめました。彼女もその後感謝のため秋田に参りました。もう一つは笹川さんの全聾であった耳が完全に治癒したことです。これについては後にも詳しく述べます。

 以上のように信仰上、健康上よい結果がでていますので、悪魔からのものとは思われません。そうしますと、残ることは超自然の干渉ではないかということになります。少なくとも超自然的現象でないと言うことは困難です。





 ところで、なぜこのような現象が起きたのでしょうか。これは聖母像から発せられた笹川さんの聞こえない耳で受け取られた聖母像からのメッセージと関係があるのではないかと思われます。

 最初のメッセージは、一九七三年七月六日の初金曜日の朝、与えられたもので、まばゆく輝くマリア像から声があって、「私の娘よ、私の修練女よ、すべてを捨ててよく従ってくれました。耳の不自由は苦しいですか。きっと治りますよ。忍耐してください。....手の傷はいたみますか。人びとの罪の償いのために祈ってください。ここの一人ひとりが、私のかけがえのない娘です。聖体奉仕会の祈りを心して祈っていますか。さあ一緒に祈りましょう....。教皇、司教、司祭のためにたくさん祈ってください」というものでした。

 笹川さんが耳が聞こえなくなったのは妙高高原の教会で、カテキスタとして働いているときでした。耳が聞こえなくなったため上越市の労災病院に入院し、沢田医師から全聾の診断を受け、同医師が生涯なおらないものとして、身体障害者の年金を受けるようにしてくださいました。カテキスタとしての仕事ができなくなったので、秋田市の聖体奉仕会の本部に入って祈りの生活をするようになったのです。



 第二のメッセージは、同年八月三日(金)初めてと同じように、聖母像の声によって与えられたものです。

 「私の娘よ。私の修練女よ、主を愛し奉っていますか。主をお愛しするなら、私の話を聞きなさい。これは大事なことです。そしてあなたの長上に告げなさい。
 
 世の多くの人々は主を悲しませております。私は主を慰める者を望んでおります。天のおん父のお怒りをやわらげるために、罪人や忘恩者に代わって苦しみ、貧しさをもってこれを償う霊魂を、おん子とともに望んでおります。おん父がこの世に対して怒り給うておられることを知らせるために、おん父は全人類の上に大いなる罰をくだそうとしておられます。おん子とともに何度も、そのお怒りをやわらげるよう努めました。おん子の十字架の苦しみ、おん血を示して、おん父をお慰めする至愛なる霊魂、その犠牲者となる集まりをささげて、お引きとめしてきました。祈り、苦業、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、おん父のお怒りをやわらげることができます。あなたの会にも私はそれを望んでいます。貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して祈ってください。聖体奉仕会の祈りを心して祈り、実践して、贖罪のためにささげてください。各自の能力、持ち場を大切にして、そのすべてをもって捧げるように。

 在俗会であっても祈りが必要です。もはやすでに祈ろうとする霊魂が集められています。形にこだわらず、熱心をもって、ひたすら聖主をお慰めするために祈ってください」

 第三のそして最後のメッセージは、同年の十月十三日、やはり聖母像の声によって、与えられました。

 「愛する娘よ、これから私の話すことをよく聞きなさい。そしてあなたの長上に告げなさい。

 前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、おん父は、全人類の上に大いなる罰をくだそうとしておられます。そのときおん父は、大洪水より重い、今までにない罰をくだされるに違いありません。火が天から下り、その災いによって、人類の多くの人々が死ぬでしょう。よい人も悪い人と共に、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々をうらやむほどの苦難があるでしょう。

 そのとき、私たちに残る武器はロザリオとおん子の残された印だけです。毎日、ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈ってください。悪魔の働きが教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。私を敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者で一杯になり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることが、私の悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪の許しはなくなるでしょう....」

 このメッセージは「もし人びとが悔い改めないなら」という条件がついていますが、厳しい警告であると思います。しかし同時に「たくさんの霊魂が失われるのは私の悲しみです」と母親的愛も感じられます。



  一九七三年に与えられた最初のメッセージにある「耳の不自由は苦しいですか、きっと治りますよ」という言葉が実現しなかったならば、これらのメッセージの真実性が疑われますが、発病から九年目に実現したのであります。このことが実現する前、一九八二年三月二十五日と五月一日に笹川さんに、天使のような方から予告がありました。

 「耳の不自由は苦しいでしょう。あなたに約束がありました癒しのときが近づきました。童貞にして汚れなきおんやどりの聖なるお方の取り次ぎによって、前に癒されたとき(前は五ヶ月間癒され、その後また聞こえなくなった)と全く同じように、ご聖体のうちにまことにましますお方のみ前で、耳が完全に癒され、いと高きおん者のみ業が成就されます。そしてそれは汚れなき聖母のみ心にささげられた月の間に行われるでしょう」。果して聖母月の最後の日曜日、それは聖霊降臨の主日(一九八二年五月三十日)でしたが、その日の午後、聖体降福式のとき、一瞬のうちに完全に癒されたのです。その晩、私のところに彼女が電話をかけてきて、普通の人と同じように話し合いました。

 私は六月十四日に秋田赤十字病院に、九年前秋田に移ったときから彼女を全聾と診断している耳鼻科の荒井医師を訪ね、感想を聞きましたところ、完全に治っているので、びっくりしていました。また耳が聞こえなくなった時、最初に診断した上越市の労災病院の沢田医師も、同年六月三日の日付で、「聴力検査の結果、両聴力に異常は認められない」との診断書をくださいました。


 笹川さんとは十年以上もつきあっていますが、正直で明るい普通の女性で、異常性格者とは考えられません。従ってメッセージは笹川さんの想像か幻想の結果とは思われません。その内容においても、カトリック教義に反するものではなく、現代世界の世相を考えるとき、このような警告に思い当たる点が多々あると思います。

 以上秋田の聖母像に関する出来事について、私の体験、私の考えを述べてきましたが、このことについての教区長としての判断を示し、信者たちより求められる要望に答え、司牧的な指針を与えるのは私の義務と信じます。それは、このようなデリケートな問題について正確な認識をする機会の与えられているのはその土地の教区長だからです。教義聖省の指針もそのような方向を示しております。それに私は聖体奉仕会と創立の時点より関係し、会や会員の事情をよく知っています。これまでの聖母出現の歴史を見ますと、まずその土地の教区長がその土地に出現した聖母に対する崇敬の認可を与えています。それで特別な祈りと、長い間の熟慮を重ねた結果、新潟教区長として次のように結論いたしました。

 一、これまで調べたところによると、秋田市添川湯沢台の聖体奉仕会の聖母像に関する一連の不思議な現象に、超自然性がないと否定することはできません。また、信仰と道徳に反することを見いだすこともできません。

 二、従って、ローマ聖座より最終判定が示される時まで、本教区内において、秋田の聖母に対して崇敬をあらわすことを禁じません。

 なお、ローマ聖座が秋田の出来事に肯定的判定を示したとしても、これは私的啓示であって、信じなければならない義務はありません。この義務のあるのは公的啓示(これは最後の使徒の死をもって終わっている)だけです。この中に救いに必要なすべての啓示が含まれています。しかし教会は、これを助けるものとして私的啓示も重んじてきました。

 参考のためカトリック要理の次の文章をつけ加えます。

 「聖人、天使は神のみ旨にかない、すぐれた恩恵と光栄を受けていますから聖人、天使を崇敬するのは正しいことであって、それはまた、神ご自身に讃美と感謝とをささげることにもなります。聖人のうち、聖母マリアは特別に崇敬されます。それは聖母が神である救い主の御母であるとともに、私たちの母でもあり、すべての聖人、天使にまさって、神の恩恵に満たされ、常に母として私たちのためにとりなしてくださるからです。(カトリック要理「改訂版」72項)

 キリストまた聖人のご像やご絵を崇敬するのは信心を助けキリストまたは聖人を尊ぶためです。これは同時に神への讃美にもなります」(旧版カトリック要理170項)

 終わりに皆様の上に神よりの豊かなお恵みを願い司教掩祝をおくります。

一九八四年四月二十二日復活祭

新潟司教 使徒ヨハネ 伊藤庄治郎




聖マリア・アラコックの啓示

2021-03-05 00:25:40 | 私的啓示(ファティマ等以外)
 主イエズスは、フランス王ルイ14世に、聖マルガリタ マリア アラコックを通じて、間接的に約束をなさいました。

それは、次のとおりでした。

 主は王に、恩寵の生活と永遠の栄光、彼の敵に対する勝利を約束なさいました。
 ただし、それには条件がありました。
 それは、王が、自分を聖なる御心に奉献すること、王の宮殿の統治を聖心にゆだねること、聖心を王の紋章入りの旗に描かせること、聖心を王の紋章の中に刻ませることでした。

 1792年、ルイ16世が神殿の塔と呼ばれる牢獄に幽閉された時点で、この願いはまだ聞き入れられていませんでした。

 王はもし自分と家族の自由、王位、王としての権力を取り戻したらイエズスの聖心に自分自身、その家族、その王国を奉献するという願をたてました。
 しかし、もう、遅すぎたのです。ルイ16世は、死刑執行の日まで、牢獄から出ることを許されませんでした。



秘密結社の陰謀と聖母の介入 福者カタリナ・エンメリック

2020-12-06 05:20:49 | 私的啓示(ファティマ等以外)
もう一度、私はペトロの教会が、秘密結社によって練られた計画によって弱体化させられていくのを見ました。しかし、艱難が最高潮に達したとき、助けがやってくるのも見ました。祝福されし乙女が再び教会に上り、そのマントを広げているのが見えました。

福者カタリナ・エンメリック 1820年 5月13日の幻視

“Once more I saw that the Church of Peter was undermined by a plan evolved by the secret sect [Freemasons], while storms were damaging it. But I saw also that help was coming when distress had reached its peak. I saw again the Blessed Virgin ascend on the Church and spread her mantle [over it].”

May 13, 1820