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第8課 御復活と御昇天(2)御復活

2018-05-09 06:31:35 | 新・旧約聖書まとめ
浦川和三郎司教『新約のはなし』1949年、中央出版社

第8課 御復活と御昇天(2)御復活

88
○御主は、使徒等にも御現れになりましたか。
△その日の夕方、使徒等がユダヤ人を恐れ、戸を閉め切っているところに御主は突然御現れになり、
「汝等安かれ、私です、恐れるな」
とおっしゃいました。
 そして、御手と御脇を示して、御自分の復活の確実であることを証明し、やがて仰せられました。
「父の私をお遣わしになったように、私も汝等を遣わす、汝ら誰の罪を赦すともその罪赦され、誰の罪を止むともその罪止められたのです。」
 それから、40日の間、幾度も幾度も彼らにあらわれ、福音の宣伝、教会の建設に関する重要なことをお諭しになりました。

89
○御主は御復活後40日目に何を為し給うたのですか。
△御主は、御復活後40日目に当たって、弟子等にあらわれ、彼らを率いてエルサレムの東にあるオリベト山に御登りになりました。そして、彼らに別れを告げ、両手を広げて彼らを祝し、やがて御体は地上を離れて、しずしずと天に昇り、雲に隠れて見えなくなりました。それでも弟子等はなお天を仰いでいると、2位の天使が降ってまいりまして、

「なぜそんなに天を眺めているのです?今天に御昇りになったイエズス様は、また一度は同じように、天から御降りになるでありましょう」
と言いました。

 そうです、御主は、世の終わりに神の御子、無上の判事として再び天からお降りになるのであります。

90
○弟子等はそれから何をしましたか
△弟子等は、エルサレムに帰り、御主のおおせに従い、人中を離れて静かに祈祷をなし、聖霊の降臨を待つことにしました。聖母マリア、及びその他の婦人等も、彼等と共に居ました。

 すると、10日目の午前9時ごろ、天から激しい風でも吹き下ろしたかのような音がしました。それと同時に、弟子等の集まっていた家に火の舌のようなものがあらわれ、分かれて各々の上にとどまりました。弟子等は、たちまち聖霊に満たされ、不思議にもかつて一度も学んだことのない万国の言葉を話すようになりました。

 激しい風の音に驚いて、多くのユダヤ人がその家の前に集まってきました。聖ペトロは立って説教をし、彼等がピラトに渡して殺させたイエズス様こそ約束の救い主で、今や復活して、天に昇り、父なる天主の右に座し給うのであることを証明しました。
 その説教によって、イエズス様が救い主であることを信じ、洗礼を受けて信者となった者が3000人からありました。

 聖霊降臨後、使徒等は、エルサレム、ユダヤ、サマリア、ガリラヤのみならず、世界の四方に福音をのべ伝え、大いなる奇蹟をもってそののべ伝えるところを証明しました。
 聖ペトロは、ローマにまで信仰を広めて、ローマをキリスト教の中心となしました。
 それよりして、キリスト教会一、公、聖、使徒伝来のキリストのまことの教会は、ローマ教会とも呼ばれるに至ったのであります。

教訓

 キリスト教会は、こうして建設され、次第に発展拡張され、世の終わりまでも継続するのであります。それについては、一点の疑いをさしはさむべき余地すらありません。イエズス・キリスト様は、明らかにそれを約束して、
「我は世の終わりまで日々汝等と共に居るなり」(マタイ28の20)
とおっしゃっています。

 ですから、教皇も司教も司祭も信者も、必ず世の終わるまで、なくなる気づかいはないのです。
 キリスト様は、決して私等を欺き給わない。
 教会の創立以来、1900有余年、その間に幾多の国々は興っては滅び栄えては衰えました。でも、教会だけは、少しも老衰の色だに見せません。
 我が日本を除けば、世界のどんな国よりも古い歴史をもっているのですが、しかしその元気は日に増し旺盛で、歳月を経るに従い、いよいよ若返ってくるのみであります。
 これから後も、世はいかなる変遷推移を見るか知れませんが、しかし、その変遷推移は、決して我が教会の上には加わらない。
 この教会ばかりは、自己のうちに生命の種子を、どのような暴力をもっても破滅に帰すことができぬ
 生命の種子を、
「我は世の終わりまで日々汝等と共に居るなり」
というイエズス・キリスト様の御約束を持っているのであります。


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第8課 御復活と御昇天(1)御復活

2018-05-08 00:38:57 | 新・旧約聖書まとめ
浦川和三郎司教『新約のはなし』1949年、中央出版社

第8課 御復活と御昇天(1)御復活

87
○御主は、はたして御復活なさいましたか。
△御主が十字架に釘けられ給うたのは、金曜日でしたが、かねての預言どおりに3日目の日曜日、朝早く光まばゆき御体となって
御復活なさいました。
 その朝、マリア・マグダレナ、そのほか2,3の婦人等が御主の御死骸に香油を塗ろうと思い、早くから家を出ました。御墓に近づいた頃、地震が起こり、天使が天降って蓋石をころばせました。

 その顔は雷光のように輝き、その衣は雪のように真白でした。番兵等はそれを見て肝をつぶし、しばらくは死人のようになって、身ぶるいさえできません。正気づくや、恐れて逃げかえりました。

 婦人等が墓にたどり着いたのはその後で、もう日は東の山の端に昇っていました。みると、墓の蓋石は取り去られ、中には天使が座っています。その天使は婦人等を見て申しました。

「あなた等は、十字架に釘けられ給うたナザレトのイエズスをたずねて居るのでしょう。もう、ここには在さぬ。御復活になりました。急ぎ帰って、弟子等とペトロにそう告げなさい」

 帰る途中で、イエズス様は彼女等にお現われになりました。しかし、まっ先に特別の御現れをかたじけなくしたのは、マリア・マグダレナでした。

 マリアは、御主の御死骸がみつからないのを悲しんで、墓の外に立ってさめざめと泣き、今一度身をかがめて墓を覗きますと、2位の天使が見当たりました。

「なぜ泣くのです」
とその天使が言いますから

「御主を取り去ったものがいるのです。どこに置いたか知らないのですもの」
とマリアは答え、振り返って後ろをみると、そこに人が立っています。
 しかし、それをイエズス様とは認めません。付近に園がありましたから、てっきり園守に相違ないと思い、
「もし、あなたが取り去ったのなら、置いたところを教えて頂戴、わたしが引き取りますから。」

 そのときイエズス様がただ一言

「マリア」

とおっしゃると、マリアはすぐイエズス様を認め、

「先生!」
と言って、お足の下にひれ伏しました。



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第7課 御受難と御死去(7)御死去後の出来事

2018-05-07 00:38:15 | 新・旧約聖書まとめ
浦川和三郎司教『新約のはなし』1949年、中央出版社

第7課 御受難と御死去(7)御死去後の出来事

86
○御死去後の出来事をお話ください。
△御主が最後の息をお引き取りになったとき、神殿の幕(聖所と至聖所を隔てる幕)は2つに裂け、地は震い、巌は破れ、墓は開け、死者は幾人も復活しました。
監視をしていた百夫長はこれらの奇蹟をみて

「この人は義人であったな、実に神の御子であったな」

と言い、その場に立ち会ってことの次第を見たユダヤ人も、皆痛悔の胸を打って家に帰りました。

 翌日は過ぎ越し祭の大安息日でした。

 死体をそのまま十字架に遺しておいては、この聖日をけがすわけになりますので、夕方兵士が来て、二人の盗賊の脛を打ち砕いて絶息させました。

 時に、イエズス様はもう死んでおられましたので、脛は折らなかったが、槍をもって御脇を突き刺しました。

 すると、傷口より血と水とが流れ出ました。

 いよいよ御主は御死去になりました。よって、ニコデモとアリマテアのヨゼフという身分の高い二人の弟子が来て、御死骸を恭しく十字架より下ろし、香油を塗った布きれに包み、巌をくりぬいた新しい墓に、御主を葬りました。

 イエズス様が、かねてより、
「死して3日目に復活する」
と仰っていたことを思い出した司祭長等は、
 復活されては大変だというもので、墓の蓋石に封印を施し、番兵を置いて墓を守らせました。

教訓

 御主がこのようなまでに悲惨な苦しみを堪え忍んで御死去なさいましたのは、私等を深く深くお愛し下さったからであります。

「友のために生命を棄てるより勝れたる愛はない」
(ヨハネ13の15)

とおっしゃったことがありますが、今や、友どころか、この卑しい罪人のために、あのような苦しみを凌いで御死去なさいました。

 このような驚くべき愛を思いましては、誰かイエズス様を愛せずにいらせましょうか。イエズス様のためには、どのような苦しみでも喜んで耐えしのばずに居られますでしょうか。


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第7課御受難と御死去(6)イエズス十字架に釘付けられ給う

2018-05-06 04:53:58 | 新・旧約聖書まとめ
浦川和三郎司教『新約のはなし』1949年、中央出版社

第7課御受難と御死去(6)イエズス十字架に釘付けられ給う

85
○死刑は何という所で行われたのですか
△御主はすでに死刑を宣告され、自ら重い十字架を担いで、カルワリオというところへ曳かれなさいました。
 みちすがら、力尽きて幾度も倒れなさったので、兵士等は通りかかったシレネのシモンという者に強いて十字架を担がせ、御主の後から進ませました。カルワリオにたどり着かれるや、さっそく御主を十字架に釘づけ、右と左には盗賊を同じようにはりつけ、御主の十字架には

「ナザレトのイエズス、ユダヤの王」

と罪ふだを書いて打ちつけました。

 御主を十字架にかけたうえで、兵士等は御衣を分けどりにし、下衣は縫い目のないものでしたから、破るのはもったいないというもので、くじびきにしました。

○それからどうなりましたか
△そのとき、道行く人々や司祭長等は、さんざんに御主をあざけりました。しかし、御主は柔和な子羊のように、悲鳴の声すらあげ給いません。
 ただ、御父に向かって

「父よ、彼等は為すべきことを知らざれば、どうぞ御赦しください」

と祈られました。盗賊の一人も御主をなぶりましたが、今一人は誠意から痛悔して、

「主よ、御国に至り給うとき、私をお記憶くださいませ」
と願いました。
御主は、さっそく彼の願いを聞きいれ、

「汝は今日、私と共に楽園に在りましょう」

とお答えになりました。

 十字架のそばには、ガリラヤから随いてきた熱心な婦人等が立っていました。聖母マリアと使徒ヨハネも見受けられました。御主は十字架の上から愛情の籠ったまなざしを御母にそそぎ、ヨハネを目くばせして、

「これはあなたの子です」

とおっしゃい、ヨハネには

「これはあなたの母です」

とおおせられました。

 ヨハネはそのときからマリア様を母として孝養を尽しました。

 ついに御死去のときが近づきました。

 天地万物は悲しみの色を表してきました。日は暗くなり、12時から3時まで、その地方一帯は真っ暗闇となりました。
 御主は、焼けるような渇きを感じられ、
「渇く」

とお叫びになったので、一人の兵士が、酢(水を混ぜたローマ兵士の飲み物)の中に海綿を浸し、ヨシの先につけて御主の唇をしめらせてあげました。

 御主は

「成し遂げられた」

と叫び、それから御父に向かい

「父よ、私の魂を御手に委ね奉る」

と言って、御息をお引き取りになりました。


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第7課御受難と御死去(5)御主、ピラトの前に連行される

2018-05-05 00:53:41 | 新・旧約聖書まとめ
浦川和三郎司教『新約のはなし』1949年、中央出版社

第7課御受難と御死去(5)御主、ピラトの前に連行される

84

○ユダヤ人はそまま直ぐ御主を死刑に処したのですか
△いいえ。

 その頃ユダヤは、ローマの属国となり、ポンシオ・ピラトというローマ人が総督となって、ユダヤを治めていました。
 司祭長等は、死刑を宣告することはできても、それを執行する権を持たない。どうせローマ総督の認可を得ねばならぬ。よって、司祭長等は早朝から御主を引き立てて、ピラトの裁判に訴えました。ピラトが裁判の理由を問い、
「この人は何の悪いことをしたのだ」
と尋ねますと、やれ謀反人でござるの、革命家でござるの、国家の安寧秩序を乱し、自ら王と称しているの、とさまざまなことを訴えました。それが皆、あられもせぬ虚構だとわかりましたので、自ら御主を前に据えて尋問し、やがてユダヤ人の前に出て
「わたしは何の処分すべき理由をも見出さぬ」
とはっきり申しました。そのとき、総督府の前には、群衆が多く集まっていたのですが、司祭長等にすすめられ、等しく声を揃えて
「十字架に釘けよ、十字架に釘けよ」
と叫びました。
「彼は何の悪いこともしていない」
と総督が答えますと、彼らはいよいよ声を励まして
「十字架に釘けよ、十字架に釘けよ」
と叫んで止みません。
 臆病なピラトは、御主に罪がないと再三声明しながら、彼らを満足させるため、兵士等に命じて御主を無理無法に鞭打たせました。

 それから、兵士等は、御主の肩に赤色の外套を着せ、頭にイバラの冠をかぶせ、右の手にはヨシを握らせて王のまねをさせ、打ち連れだってその前にひざまづき、
「ユダヤの王さま、安かれ」
と嘲り、御手のヨシを取って御頭を打ち叩いたり、御顔を平手でなぐったりしました。

 今までのことは、総督府の内庭で行われたのでありまして、もう、イエズス様は見るも憐れな御姿になり果てなさいました。

 この御姿をユダヤ人に見せたら、いくら鬼のような彼らでも、さすがに同情をもよおして「ゆるす」と言ってくれるだろうと思い、ピラトはそのまま、御主を階段の上に連れ出して
「見よ、この人を」
と言いました。
 しかし、案に相違して、群衆はいよいよ声を荒げ、
「十字架に釘けよ、十字架に釘けよ」
と叫ぶじゃありませんか。
 ピラトも仕方なく、ついに彼らの望みに従い、主に向かって死刑を宣告しました。



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