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小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

マークシート形式の試験について

2015-05-31 02:14:12 | 考察文
何か、早稲田大学の理工学部の大槻教授が、マークシート形式の試験、は、覚えるだけの試験なので、思考力が身につかない、それで、自分で考える能力が身につかないから、オウム真理教などに、走る、洗脳されてしまう、などと、以前、言っていた。

私は、これを、完全に否する。

何か、大きな社会問題が起こると、その原因を、現行教育と結びつけたがる評論家が非常に多い。評論家は、とかく気取りたがるものである。

マークシート形式での問題であれ、記述式の問題であれ、知識と思考力がなければ、解けない。

大学受験の試験の時も、医師国家試験の時も、その模擬試験の時も、頭をフルに酷使して、考えなくてはならないので、試験が終わると、ヘトヘトに疲れた。

まあ、運転免許の、学科試験の○×問題、なら、知識があるか、ないか、だけの、試験であり、あれなら、思考力など関係なく、知っているか、知らないか、だけの試験であるが。

ただ、机上のテストで、いい成績を、とれるから、どんなことに対しても、頭がいい、とは、絶対、言えない。

実生活で、何か困った時、それを、どうやって解決するか、の能力、は、机上のテストの試験の、能力とは、違う、ということは、言える。

なにしろ、問題を解決するための、教科書というものがないのだから、自分で考えるしかない。

そういう、トレーニングというか、教育は、行われていない。

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ボールのスピード感

2015-05-30 21:07:51 | 武道・スポーツ
テニスでラリーをしていると、わかるのだが。ボールは、自分の真正面に来るボールより、少し離れたボールの方が、打ちやすいのである。

これは、自分の真正面に来るボールは、ボールのスピードの予測を間違えることもあるからだ。特に、ドライブのかかったボールは、ワンバウンドしてから、ギューンと加速するものもあるのである。

真正面に来るボールは、相手が打った球、の上下の動きだけが、認識される。

一方、少し離れたボールは、ボールの軌道を、少し、横から、見ることになるから、ボールのスピードを正確に把握できるのである。

なので、自分の真正面に来るボールより、少し離れて、少し走って、取りに行くボールの方が、打ちやすいのである。

ちょうど、人間の目が二つあるのと、同じ理屈である。

人間は、二つ、離れた位置に、目があるから、遠くの物の、位置感が、わかるのである。

片目だと、位置感が、極めて、つかみにくいから、ほとんどのスポーツが、出来にくくなる。

プロ野球で、田中将大の、落ちるスプリットなどは、テレビで、横から見るていると、ホームベースの前で、ワンバウンドまで、しているのに、どうして、あんな球を振ってしまうのかと、疑問に思ってしまうほどであるが。バッターからすると、ピッチャーのボールは、テニスの、真正面に来るボールと同じなので、ボールのスピードの感覚が、つかみにくいのである。

右バッターが、右ピッチャーより、左ピッチャーの方が、打ちやすいのも、ボールを、少し、横から見れるから、ボールのスピード感が、つかみやすいからである。

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戦争法案2

2015-05-29 02:27:38 | 政治
連日、国会で、戦争法案が、審議されている。

もちろん、私は、戦争法案や、集団的自衛権に反対である。

もっとアメリカ人の視点ということを、考えるべきだ。

アメリカは、日本と違って、正式な、立派な、軍隊を持っている。交戦権も法的に持っている。やられたら、やりかえす、というのが、アメリカ人の、当然の感覚である。そもそも、アメリカは、戦争によって、イギリスから独立した国である。アメリカ独立戦争は、正義の戦争、としか、言いようがない。そういう国民感情が、アメリカ人には、ある。

アメリカは、国民も、議員も、大統領、も、そういう感情を持っているから、それが、こわいのである。

戦争法案を認めたら、日米軍事同盟を結んでいるのだから、アメリカが、一方的に、日本を守るのだけではなく、日本も、当然、アメリカの戦争に協力しろ、と言ってくるのは、目に見えている。

一方、日本は、戦後、戦争放棄の憲法の元で、軍隊を持たずに、やってきたので、戦争ということに、対して、軍隊を持っている、他の国とは、戦争に対する、国民感情、感覚が違うのである。

日本人は、「戦争=(無条件に)悪」という感覚だか、アメリカ人は、そういう感覚ではないのである。「戦争=正義の戦い」という感覚なのである。

そして、いったん、戦争法案や、集団的自衛権を認めてしまうと、(民主党は、政権をとれないし、かりにとったとしても)それを、撤回する法律に戻すことは、出来ないのである。

それが、こわい。

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イルカ追い込み漁2

2015-05-29 02:05:18 | Weblog
「日本動物園水族館協会(JAZA)の総会が28日、兵庫県姫路市で開かれた。総裁を務める秋篠宮さまが出席し、追い込み漁で捕獲されたイルカの入手を加盟施設に禁じたJAZAの決定について「難しい判断だったと推察するが、今回の意思決定は協会全体として将来的にプラスに働くと思う」と話した。(朝日新聞デジタル)」

(朝日新聞デジタル 5月28日(木)18時41分配信)

イルカ追い込み漁は、難しい判断なので、秋篠宮さまの、ご判断の発言であれば、別にかまわない。

ムキになって、反対しているわけでもない。

ましてや、秋篠宮さまは、日本動物園水族館協会(JAZA)の総裁、という、お立場であらせられるから、仕方がない。というか、当然の発言である。

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愛とは

2015-05-27 05:56:31 | 考察文
他人は、どうか、知らないが、また、私は、キリスト教徒では、さらさらないが、

私にとっての、「愛」の定義は、

「汝の敵を愛し、汝を憎む者のために祈れ」

(マタイ伝五章)

だけである。

それ以外の、一般の人間が、やたら、言葉にする、「愛」は、私から見ると、それは、「愛撫」に過ぎない。

「愛撫」とは、他者を愛する、という美名のもとに、実質は、形を変えた自己愛(アルテル・エゴ)に過ぎない。

もちろん、「汝の敵を愛し、汝を憎む者のために祈れ」ということを、私が、実行できるか、といったら、とても出来ない。

なので、私は、人を愛することなど、とても、出来ない。

これは、物心ついた、幼児の時から、そう思っていた。

三つ子の魂、百まで、である。

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芥川龍之介の死

2015-05-26 07:10:21 | 考察文
芥川の時代には、温水プールがなかった。トレーニングジムがなかった。
それらが、あったら、芥川は、死なないですんだ。可能性もある。
大体、人間が死にたい時ほど、苦しくなってしまうのは、一つのことにのみ、意識が行ってしまって、視野が狭くなってしまっていることが多い。

「文を作るのに欠くべからざるものは何よりも創作的情熱である。その又創作的情熱を燃え立たせるのに欠くべからざるものは何よりも或程度の健康である。スエーデン式体操、菜食主義、複方ジアスタアゼ等を軽んずるのは文を作らんとするものの志ではない」

(芥川龍之介)

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聖書の解釈の仕方

2015-05-24 21:46:26 | 考察文
聖書の解釈の仕方。

「富める者はますます富み、貧しき者は、その持てる物をも、盗らるべし」

(マタイ伝13章12節)

キリストの発言である。これの解釈の仕方。

これは、格差の肯定、とか、資本主義の肯定、とかではない。

こういうキリストの、発言は、聖書の中にたくさんある。

これは、その格言を、良し、とする発言ではないのである。

また、悪いとする発言でも、ない。

思想ではないのである。

人間、および、世の中とは、そういうものである、という事実を、単に述べただけの、発言なのである。

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イルカ追い込み漁

2015-05-23 06:22:18 | Weblog
イルカ追い込み漁が、話題になっている。

私は、小学校は、静岡県の、喘息の療養施設である、川奈小学校の分校で、五年の夏から、一年半、過ごして、卒業した。

川奈漁港では、イルカの追い込み漁が行われていて、私も、二回くらい見た。海が、イルカの血で染まる。確かに残酷である。

しかし、私は、イルカ追い込み漁、を、止めるべきだとは、思わない。

人間は、牛や、豚、など、を殺して食べている。

牛や豚は、場に、近づくと、血の匂いから、死を予感して、激しく泣いて、抵抗する。

それは、残酷ではないというのか?

残酷なことを、やめろ、というのなら、牛や豚や、その他の、哺乳類も、殺すべきではない。

イルカ追い込み漁だって、イルカ肉として、食用のために、必要上、捕獲していることだ。

牛や豚は、生活上、必要不可欠だから、仕方がない、イルカ肉は、牛や豚ほど、必要、ではないから、止めるべきだ、なんて、こと言ってるヤツは、私には、大偽善者に思えてならない。

私は、そこまでの偽善者には、とうていなれない。

どんな動物だって、生きたいし、死にたくはないのである。

人間は、知能によって、この世の支配者になった。

自分が、残酷な、人間になりたくない、から、イルカ追い込み漁を、やめろ、と言っているのは、偽善いがいの何物でもない。

人間は、非常に器用な、欺瞞で、人間に都合のいい、理屈を作り出す。

心を痛めながら、人間が、生きていくために、動物に、すまない、と思いつつ、動物を殺して、食べて、生きる。べきだ。と思う。

イルカ追い込み漁、を、やめろ、と言ってるヤツは、牛や豚の場に行ってみるべきだ。

ご都合主義者は、直視すべきものから、必ず、目をそむける。

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巨人の星、の矛盾

2015-05-21 03:39:42 | Weblog
マンガ、「巨人の星」には、揚げ足をとると、100以上の矛盾がある。

マンガは、元々、デタラメでいいものだから、現実性という観点から、批判するのは、嫌いである。

というか、現実には、出来ない夢のようなことを、マンガにして楽しむものなのだ。

なので、マンガの、揚げ足取りは、したくない。というのが、私の本心である。

しかし、現実との矛盾点を、書くことも、別に、そんなに、悪いこととは、思わない。ムキになって批判するのが、みつともない、と思うだけである。

「巨人の星」で、誰も気づいていない、一番の矛盾。

それは、ラストである。

星飛雄馬は、大リーグボール三号で、パーフェクトゲームを達成する。大リーグボール三号は、強打者の強いスイングによって、ボールがバットをよけて通る、魔球である。なので、強打者には、打てないが、非力なピッチャーには、打てるということになっている。

そこで、ラストバッターの伴宙太に、逆立ちを、長い時間させておいて、力が入らないほどに、疲れさせておく。そして、伴は大リーグボール三号、を長打するが、走る体力もないので、這って一塁に向かい、アウトになる。(マンガでは、アウトかセーフか、結論が出なかった)

これは、あまりにも、おかしい。星飛雄馬が、腕を壊すのは、最後の一球である。それまでは、腕は壊れていない。だから、フラフラな状態の伴が、打席に立ったら、星は剛速球を投げれば、伴は、三球三振である。なにも大リーグボール三号で、勝負する必要など全くないのだ。

そうすれば、星は、文句なく、パーフェクトゲームを達成したし、腕を壊すこともなかったのだ。

しかし、おそらく、そのことは、誰も気づいていないだろう。

梶原一騎の、ストーリーのド迫力に、引きずり込まれてしまって、読者は、冷静な思考が出来なくなってしまっている。

大リーグボール二号(消える魔球)にしたって、花形満の、意表をつく、一本足打法で、足を上げ損ねてしまったために、打たれただけで、以後、気をつければ、大リーグボール二号は、通用する。

さらには。大リーグボール一号も、破られてはいない。大リーグボール一号は、打者のバットの動きを予測して、バットに当てる魔球である。これは、星一徹とオズマによって、破られたように書かれている。ど真ん中にバットを差し出すことに、よって、大リーグボール一号は、ど真ん中に行ってしまう。それを、大リーグボール打倒ギプスの特訓によって、素早く、引き戻し、絶好球になった、ど真ん中におびき寄せた、ボールを打つ、というのが、大リーグボール一号の完璧な打倒作となっている。しかし、よく考えてみたまえ。これは、星が大リーグボール一号を、投げる、とバッターが、わかっている時だけに、通用する、ことである。バッターは、星が大リーグボール一号を投げてくるのか、剛速球を投げてくるのかの、予測は、出来ないのだ。だから、星が大リーグボール一号を、投げるとバッターが予測して、それが当たった時だけ、バッターは、大リーグボール一号を、打てるのだ。しかし、バッターは、星が大リーグボール一号を、投げてくるのか、それとも、剛速球を投げてくるのかの予測は、出来ない。むしろ、現実のプロ野球では、ストレートに山をはっている場合、山がはずれて、変化球がきたら、まず打てない。のが普通である。だから、大リーグボール一号は、星一徹とオズマの特訓をしても、通用する。のである。

他にも、色々、矛盾は、あるが、一番の問題点は、梶原一騎は、次々と、強い強敵と戦う、という、格闘技マンガの方が、書きやすいのであって、(勝負は一回だけ)プロ野球のような、何度も戦う、リーグ戦には、梶原一騎の気質には、向かないのである。

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鈴木宗男の間違った理論

2015-05-20 23:45:07 | 考察文
鈴木宗男は、偏差値の高い大学、東大など、について、家庭教師をつけて、塾に通わせれば、誰でも通るような、ことを言っている。

これは、全然、間違った理論である。

彼、自身、受験勉強をしていないから、受験というものが、わからないのだ。

確かに、家庭教師をつけたり、塾に通わせたりすれば、それをしないよりは、偏差値は上がる。だろう。

しかし、決められた、短い時間内に、毎回、変わる問題で、より高い点数を取る、という大学入試試験では、勉強した量、知識の量、が、そのまま、得点には、つながらないのである。

大学受験を目指して、一心に勉強した、生徒は、現役で、試験を受ける時に、もう、偏差値の頭打ち、状態になってしまっているのである。

なので、浪人すると、受験勉強一筋に、打ち込めるが、模擬試験を受けても、偏差値は、上がらないのである。

これを、私は、偏差値の頭打ち現象、と言っている。

それは、みなも感じているだろう。

私自身も、大学受験では、一日中、頑張って勉強した。

しかし、模擬試験の成績は、変わってくれないのである。

どんなに、努力しても、私は、東大理三、や、東京医科歯科大学、には、入れない。

医師国家試験でも、同じで、現役の時に、偏差値の頭打ち状態になっているから、浪人すれば、するほど、確実に、学力が下がっていくのである。

それは、合格率の、数字で、はっきりと表れている。

また、文科系の勉強は、得意でも、理科系の勉強が、出来ないと、国立大学には、入れない。

作家の、佐藤春夫、や、小説家の、島田清次郎、や、劇画原作者の、梶原一騎、などは、文科系の勉強は、ほとんど満点だが、理科系の勉強が苦手なため、国立大学には入れなかった。

梶原一騎は、数学が苦手なことに、劣等感を持っていて、マンガの主人公は、数学が、苦手という、設定にしていることがよくある。

逆に、物理学の天才、アインシュタインは、数学、物理は、満点でも、社会は苦手だったため、全科目、一生懸命、勉強したが、チューリッヒ連邦工科大学を受験したが、落ちた。

人には、得意、不得意、の分野があるのである。

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ドラゴン怒りの鉄拳

2015-05-20 22:00:29 | 考察文
中国の反日教育は、どういうふうに、やっているのかは、知らないが、ブルース・リーの「ドラゴン怒りの鉄拳」を、歴史教育の授業で、見せるといいと思う。「ドラゴン怒りの鉄拳」は、清朝末期の、列強、イギリス、フランス、ドイツ、日本、ロシア、などが、日清戦争で、中国の弱さが露呈して、列強が、中国を、分割し、統治した、時代が映画の設定になっている。もちろん、一番の敵は、日本人である。アクション映画なので、あまり、政治的なことは、言っていない。しかし、事実を誇張してはいない。中国では、さかんに、事実を歪曲した、デタラメな反日映画を作っているが、そんなものを見せるより、「ドラゴン怒りの鉄拳」を、見せた方がいいと思うのだが。

ブルース・リーは、香港では、有名だが、中国一般では、あまり知名度はないらしい。

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苦悩する能力

2015-05-17 16:07:38 | 考察文
昨日の続き。

世の中の人間を見ていると、太宰治の言う、「苦悩する能力」が欠如した人達ばかりだと、つくづく、感じる。
その一例。
僕の母校の大学では、二年(教養)から、三年(基礎医学)に進学する時、の試験を厳しくしていた。僕のクラスの時は、20人くらい落とされた。
入学した時から、二年間、の付き合いが出来ているので、友達の関係が出来ている。
落とされたら、せっかく出来た友達と、離れ離れになってしまう。落ちた人は、みじめでもある。
なので、みな、進級試験では、頑張った。
僕は、友達が少なく、過去問も、あまり、手に入らないのに、通った。
あるSという生徒がいた。彼は、真面目な性格で、試験の時、「落ちたら嫌だな」と言っていた。もちろん、誰だって、落ちたくはない。彼は、真面目なので、カンニングなどは、しない。しかし、二年から三年への、進級試験で落ちてしまった。とても、かわいそうに思った。
三年になった、はじめの頃である。Kという生徒が、進級試験の時、カンニングしたことを、笑って自慢していた。彼は、性格は悪くない。しかし、無神経なヤツだなー、と僕は、思った。カンニングは、悪いことである。もちろん、僕は、人生で一度も、カンニングなどという卑怯なことは、したことがない。千歩、譲って、どうしてもカンニングしなければ、ならない場合(どういう状況が、それに当たるのかは、わからないが)は、カンニングという行為、自体は、殺人とか、窃盗、とか、いじめ、とかに、比べたら、それらよりは、悪い行為ではない。と僕は思う。
しかし、カンニングして通ったKは、カンニングせずに、落ちたSに、対して、何の、申し訳なさ、も、罪悪感も、感じていないのが、無神経だなー、デリカシーのカケラもないなー、と思うのである。あれが、一般の人間の感覚なのだ。友情に対する裏切り、という行為になっているのに、それに気づいていないのである。友情に対する裏切り、という行為は、カンニングという行為、より、はるかに悪質だと僕は思う。

僕は、何事にも、優劣をつけたがることも、大嫌いである。し、人を蹴落としてまで勝者になる、ということも嫌いである。
優劣を競うスポーツ(世の全てのスポーツ)では、どうしても、勝者と敗者ができてしまうのである。それが嫌なのである。特に、高校野球などの、団体競技で、勝ち抜き戦の場合。負けて泣いているチームの目の前で、喜んで、はしゃいでいる、勝ったチームの、選手達や、応援してる人達の気持ちが僕には、わからない。プロ野球でも、リーグ戦なので、1位から6位まで、順位が出来てしまう。僕の感覚では、どのチームも、1位にしてやりたい。
だから、僕にとっては、スポーツとは、如何に、技が上手いか、どうしたら、技術を上げられるか、という運動のメカニズムに関心が向き、スポーツは、健康の向上のためにやるものであり、どっちが、勝っただの、負けただのには、全く興味がない。のである。

僕は、無神論者だが、聖書の、タラントの喩え話が好きだ。人は、自分に与えられた能力を、どこまで、頑張って使い切ったか、が、大切なことだと思っている。

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秋篠宮佳子さまフィーバー

2015-05-16 21:45:56 | Weblog
秋篠宮佳子内親王の人気がすごい。

写真集を出したら、50万部を超す、ベストセラーになるだろう。ついでに、歌手デビューも、ついでに、グラビアアイドルも。ついでに、CM出演も。

しかし、私は、秋篠宮佳子内親王に、それほど、熱狂的ではない。

中学生、高校生、あたりの頃が、一番、かわいかった。

それに、女の容貌は、生まれつきのものであり、それに、何の、抵抗も感じずに、無条件に賛美する、一億二千万の、全日本人を、私はバカだと思っている。

賛美されていない、皇族のことが、頭にない。

日本人は、デリカシーがない。

天皇陛下にあらせられては、眞子内親王も、悠仁親王も、愛子内親王も、黒田清子さまも、みな、等しく、愛しておられる。

ところで。皇太子徳仁親王は、敬宮愛子内親王に、父親として、非常に、強い愛情をもっておられる、ように、見受けられる。し、実際、間違いなく、そうであろう。

非常に、ほほえましい。


「はりきって、ものをいうということは無神経の証拠であって、かつまた、人の神経をも全く問題にしていない状態をさしていうのである。」
「デリカシィ(こういう言葉は、さすがに照れくさいけれども)そんなものを持っていない人が、どれだけ御自身お気がつかなくても、他人を深く痛み傷つけているかわからないものである。」
「まるで、あの人たちには、苦悩が無い。私が日本の諸先輩に対して、最も不満に思う点は、苦悩というものについて、全くチンプンカンプンであることである。」
「一言で言おう、おまえたちには、苦悩の能力が無いのと同じ程度に、愛する能力に於ても、全く欠如している。おまえたちは、愛撫するかも知れぬが、愛さない」

(太宰治「如是我聞」)

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皇位継承

2015-05-15 16:19:04 | 小説
「皇位継承」

という小説を書きました。

ホームページ、「浅野浩二のHPの目次(1)」

http://www5f.biglobe.ne.jp/~asanokouji/mokuji.htm

に、アップしましたので、よろしかったら、ご覧ください。

(原稿用紙換算20枚)

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医者と二人の女

2015-05-15 03:42:02 | 小説
「医者と二人の女」

という小説を書きました。

ホームページ、「浅野浩二のHPの目次(1)」

http://www5f.biglobe.ne.jp/~asanokouji/mokuji.htm

に、アップしましたので、よろしかったら、ご覧ください。

(原稿用紙換算400枚)

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