ドカモンモン

ポルシェ356Speedsterのレプリカ(CMC製)の奮闘記です。中身はビートルですから毎日楽しく走りますよ!

山田方谷ゆかりの地

2015年05月29日 | ちょっと考えたこと
ちょっと時間があいたので
岡山は備中松山藩の偉人
山田方谷の地を訪ねました。
まずは高梁の北、方谷駅

国鉄(JR)の駅で人命がついた駅は他にはありません。


長瀬塾あと


谷間の川沿いを


谷川がきれいです


方谷園に



山田方谷(ほうこく)1805~1877 

幕末の朱子学者で陽明学者です
その経済的藩運営の手腕はすばらしく現代でも学ぶべきところが多いです。

貧乏藩の備中松山藩、その十万両の大借金を返済し7年後には十万両の蓄えをなし、藩主板倉勝静を江戸幕府最後の筆頭老中にして陰から最後の江戸幕府を支え、明治政府から反逆藩となるも見事無血で引き渡し、明治政府から要請されるも出仕を辞退し、後続の教育に一生を備中の地でささげる。

江戸から明治に変わる時代のもっと注目されてしかるべき実績の偉人です。

経済政策のなかでも
備中鍬、備中の縫いこ針は、ここの高梁川で採れる良質の砂鉄を原料に備中刀の刀鍛冶の技術で生産し、江戸に直接運んで売りました。備中鍬は3本又は4本の爪のある鍬でこれの発明で江戸時代末期から明治の農業が画期的に変わりました。

軍事的な面では農家の二男三男坊を主体に農民兵を構成して萩長州藩が奇兵隊の手本にしてます。




お墓があります


勝海舟の碑文や


備中松山藩主、板倉勝静(かつきよ)の碑文があり


岡山にもスゴイ方がいたものです。


自分は小中高と岡山で教育を受けましたが山田方谷のことは一度も学校で教えてもらえませんでした。岡山の世界に誇れる偉い方ですのに・・・・・なんとなく変な教育を受けたのでしょうかね???

情けないですね・・・・もっと子供たちにも知ってもらいたいですね。





コメント (2)
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