伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

いかに思いが大切か

2010-03-07 10:34:00 | Weblog
私が中学生の時の話ですが、親戚が経営する病院に遊びに行った時、応急処置用の手術台の側の壁に掛けられていた大きなデジタル時計を見ました。
当時はデジタルの時計が珍しく、しかも幅が30cmほどの大きな時計でした。黒い本体に真っ赤な数字が良く目立ちます。
私が欲しそうに時計を見ていましたら、親戚は貰い物だから上げるよと言って下さいました。医師は、製薬会社のネーム入りの小物を良く提供されるのです。

私は喜んで家に持ち帰り、自分の部屋に取り付けました。
それから数日後、勉強をしていても何か背後からの視線を感じて集中できていない事に気付きました。しかも、夜に寝ていても深夜に目覚めて、ケガをしている夢にうなされていた事に気付きます。
これは変だと考えて思い付いたのが、頂いたデジタル時計の事でした。時計を取り外した夜からは、熟睡が出来ました。その後、デジタル時計は病院へと返しに行きました。

今、この事を考えますと良く理解できます。人間が発する想念の霊的磁気が品物に憑き蓄積するのです。
ケガをして病院の手術台に乗った患者さんは、痛い思いや恐怖感を時計を見ながら我慢したのです。時計を見ないまでも、患者さんから発する苦痛は、周りの品物にしみ憑いて行くものなのです。
一人二人の思いならば大した事はありませんが、毎日多数の人々が発する思いの磁気量とは凄いものです。女性ならば、手術台に乗って待っている間だけでも、大きな恐怖感を発信しているものです。

問題は、意志を持た無い只の品物でも、人間の思いの磁気に被爆し続けますと、その内容に応じた個性を持つ様に成ることです。このデジタル時計の様に、何かを発信するのです。
そう言う意味では、人間は神様の如く品物にも命を吹き込む事が可能なのかも知れません。
以上の事を考えますと、たくさんの人々が我欲を祈願している「場」とは、怖くないですか?
金が欲しい~、病気を治して欲しい~、結婚したい~、と何万人もの人々が思いを「置く」わけです。この様な思いが蓄積して充満している場所と成っています。
その思いを叶える場所である事は、絶対にありません
逆にどんな吉祥な場所も、真逆に変化しています。
新興宗教の会場、有料ヒーラーの部屋、有料先生の瞑想会場、商売祈祷師の家などは、酷い汚染場所と化しています。行くだけで穢れて、自分の運気が落ちています。自分のオリジナル磁気が汚染されるのです。

日常生活の中で感謝想起をしながら暮らしていますと、その思いが家庭や職場に蓄積して行きます。自分が苦しい時には、この普段の蓄積した思いが助けてくれる事もあるのです。
生活の中での自分の思いを大切にしましょう。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

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コメント (613)
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