伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

深い話

2010-03-17 11:41:05 | 残された人達へ~故人からの想い
子供を亡くした親の悲しみの気持ちは深いです。この悲しみは、何をどうしたところで静まらないでしょう。
逆に静めようと思わないで、これからも心の中で共に生きて行こうと覚悟をすれば良いです。

生まれれば、死ぬ。この絶対に変える事の出来無い流れを、私たちは悲しみます。
この事の何が悲しいのかを考えてみますと、故人に「もっと楽しんで欲しかった」と言う思いが根底に在ります。
だから、100歳を過ぎてから眠るように笑顔で亡くなった、大好きな親族の死は、決して悲しいものでは無いです。「ああ、これで良かったな」と若い子孫は、見送る一つの役目を終えた達成感に満たされます。
つまり私たちは、故人が色々な事を経験出来なかった事を深く悲しみます
他人の死に対しては本能で、この一つの真理を感じて知らずに私たちは泣きます。
しかし、自分の人生については、どうなのでしょうか?色々な経験をする事を、逆に恐れてはいないでしょうか?
他人に対しては深く泣ける「未経験で終わる事」が、生きている最中の自分には、その価値が分かっていないのです
むしろ失敗する事などを恐れて苦痛に思い、占いなどに逃げて未経験のまま時が過ぎてしまう人が多いです。

人間はどんな境遇でも、その中でも楽しみを見つける事が出来ます。牢獄の中でさえも、必ず感謝すべき事が在ります。
自分が生かされていると言う原点まで、自分から降りて行きましょう
隣りにいる嫌味な人と会う事も、有限な一時に過ぎません。すべては経験する為の貴重な物事です。生きている間は大いに色々な経験をして、逆に楽しんで遣りましょう。

神様は、人間には死は無いと示します。そこには、旅が在るだけだとします。
色々な旅をしながら経験を「楽しむ」のが、人生の目的の一つです。これは人が持つ神性です。
私たち全員が、神様を心に宿しています。これから増々、人が持つ神性が発露して行く時代です。心に闇を抱えている限り、自分で自分を苦しめますから注意をしましょう。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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コメント (531)
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