建て直そう日本・女性塾

「女性塾」は良識的な女性を議員に送り出す学び舎です。このブログは「女性塾」情報を発信いたします。

女性塾第二回研修会報告

2006年03月31日 18時56分50秒 | 研修会報告
建て直そう日本・女性塾
  第二回研修会 平成18年3月4日 開催
      於:靖国会館
テーマ「現場からの教育改革―教師と親の意識改革」
      高橋史朗氏(明星大学教授)
≪略歴≫
昭和25年、兵庫県生まれ。早稲田大学院終了後、スタンフォード大学フーバー研究所客員研究員。臨時教育審議会(政府委嘱)専門委員、国際学校研究委員会(文部省委嘱)委員、神奈川県学校不適応(登校拒否)対策研究協議会専門部会長を経て、現在明星大学教授、埼玉県教育委員、玉川大学院講師、日本仏教教育学会理事。
主な著書に「教科書検定」「天皇と戦後教育」「悩める子供たちをどう救うか」「魂を揺り動かす教育」「感性を行かすホリステイック教育」などがある。

[はじめに]
 30歳のころ米国留学のおり、240万頁に及ぶ在米占領文書の調査・研究をしました。3年間人と合わずこもりっきりで、最後の半年はラーメンとシイタケで過ごしました。そのときの無精ひげがいまや額縁のようになり、昭和50年に一度剃ったところ周りが大変ショックを受けてしまいました。やむなくこの状態を続けております。
 34歳のころ政府の臨時教育審議会の専門委員に指名され、教育改革の一端を担いましたが、トップダウン型の制度改革だけでは限界があることを実感しました。
 やはり、現場からの教育改革が求められているのです。
 子供の教育に関わる親や教師の意識を変えないと、制度を変えても間に合いません。
 大局に着眼し、各種小局に着手する方法が肝要です。トイレ掃除が出来ないやつは天下国家を語る資格はないといった「凡事徹底」、地球環境を守るのならゴミを出さないことを考えるといった「脚下を照顧せよ」の精神が大切です

[教育者の主体変容]
 東京・大阪・福岡・埼玉に続き、横浜・京都でも師範塾や教師塾の開設を予定しています。家庭が悪い、地域が悪い、学校が悪い、といった責任のなすりあいではなく教育者の主体変容がキーワードです。
 大阪師範塾の原田隆史先生は一番しんどい、荒れた学校を希望して遅刻者を0にしました。また陸上部の顧問をし、2年目で全国優勝を果たし、13年間連続優勝を続けました。先生は着任後直ぐに優勝することを想定して3年後のホテルを予約したそうです。
 そういった先生方が500人集まり、いまでは1000人を越えています。
 4月にスタートする杉並師範館も、山田区長が理事長に就き、30人の定員に全国から500人を越える応募者が集まりました。
 そして組合組織ではない、教師による新たな職能団体の結成を進める予定です。
 家庭教育においても、親に子育ての主体者はあなたですよ、ということを明確に伝えなければなりません。私は「親学」を推進しています。
 子育て支援について、東大教育学部の教授、汐見稔幸氏と大激論をしたことがあります。氏はいかに親の子育ての負担を減らすかが「支援」だと考えておられます。「親は人生最初の教師である」ということをいってはいけない、親は被害者だという立場で、育児の社会化を推進します。
 私はそれは子捨てであり、子育て放棄につながると考えます。子育ては誰かが肩代わりをするのではなく、「あなたが責任者ですよ」を明確にして、労働者支援ではなく教育者支援が今求められているのです。
 各自治体はこの汐見氏と立場の異なる私を交代で講師に招聘しています。自治体も支援策について、どちらを採るか揺れているようです。
 日本の伝統的な子育てに「しっかり抱いて、下におろして、歩かせよ」という言葉があります。しっかり抱いて=愛着(母性)、下に降ろして=分離(父性)、歩かせよ=自立、と子供の三つの発達段階を即妙に言い表しています。子供は母性と父性をきちんと発達段階的に受けないと自立ができないのです。憂慮すべきことに今、母性・父性は固定的役割分担で差別につながるといった愚かなジエンダーフリー教育が蔓延しています。家庭教育においては、母性・父性をきちんといわないとはじまりません。
 日本はかつて「厳父慈母」といいましたが、今は「厳母甘父」になりました。生徒に募った標語で一等賞だったのは「父よ何か言ってくれ、母よ何も言わないで」でした(笑)。
 教育は他力や押し付けから始まります。文化の「型」を継承させることが教育なのです。男の型、女の型を押さえなければ、自分らしさは育ちません。
 教育が荒廃している原因は、この教育の本質が混乱しているからにほかありません。

[対人関係能力・社会力の育成のための愛着形成]
 最近になって、神戸・佐世保・長崎などで陰惨な事件が相次いでいます。これらに共通しているのは命を奪った実感や遺族の悲しみを理解できないことにあります。脳の発達障害が伺えます。こういった子供たちに道徳の時間を使って、いくら「命の大切さ」を教えても分からないでしょう。「しっかり抱いて=愛着」がなかったために共感性が育っていないのです。
 生物の脳には臨界期があります。小鳥などの「すりこみ(インプリンティング)」の時期を逸すると一生歌えない鳥になります。人間の脳は幼形成熟で、骨盤や脊髄が整う三歳までに6割、そして八歳までに9割以上完成します。この間に人間性知能が発達します。人間としてのアイデンテイテイが育まれる大事な時期です。「三つ子の魂百まで」といわれる由縁です。この間十分な母性愛を受けないと人間性に乏しい、理性を失った欲望をコントロールできない状況になります。これは文部科学省のデータでも公表されています。
 これを否定し「三歳児神話」を唱えた厚生省は大間違いを犯しました。
 最近目を合わせない乳幼児が増えてきたといわれます。育児に効率化・合理化を取り入れ、労働政策に女性を利用し、親心を崩壊させた結果です。虐待を誘発し、子供の人権が
冒されています。
 「母性の研究」という博士論文を著わした大日向雅美氏の主張が、文部科学省の家庭教育支援のガイドブックに使われています。これは即刻回収する必要があります。

 女性塾の皆さんには、必修文献として昨年10月に文部科学省が発表した「情動の科学的解明と教育等への応用に関する検討会報告書」をお薦めします。

 [食育と基本的生活リズムの獲得]
 「どうしてもわが子を愛せない」というお母さんに、献立を聞いてみたところ、インスタント食品が多かったので、料理に手間隙かけることをすすめたら、食べさせたい思いが募り、子供への愛着心がわき、愛することができるようになった、といいます。
 ここ十年間で日本人の価値観は大きく変わりました。子育てを負担に思う人の割合が8割を越え、73カ国の意識調査を行った結果も73国中72位でした。因みに73位はリトアニアです。子育ての意義、喜びが急速に矮小化されるようになりました。
 昭和30年代までは、女の子の将来の夢で「いいお母さんになる」はトップテンを維持していました。今は50位にも入っていません。
 「親学」はこういった子供達の準備期間の教育も含んでいます。家庭科の教科書の役割も重要です。
 皆さんに岩村暢子氏の「変わる家族、変わる食卓」をお薦めします。新人類と言われた世代が親になり、インスタント食品が食卓に上っても違和感を感じなくなったころ、親の意識が変容しだしたのです。
 また鈴木雅子氏の「その食事ではキレる子になる」もお薦めです。「食育」に注目しなければなりません。
 愛知県の高校生が母親を毒殺未遂するという事件がありました。
この女子高生が日記で唯一人間的な記述をしている箇所があります。それは4歳児の園児と関わった日のもので、自分を必要としてくれる園児と関わることによって、存在価値を実感し、幸福感があった、という内容です。
 人間は自分を必要としてくれるものの存在に愛情を感じ、幸福感を得られるのです。この自然な感情を最近の思潮で「負担」「犠牲」と変容させたことを反省する必要があります。
 子供達の睡眠障害も深刻です。
 日本では急速に夜型化が進んでしまいました。
 12時以降に寝る高校生は66.4%に上っています。アメリカや中国では10%ぐらいです。そこに乳幼児が巻き込まれています。
 カラオケ・居酒屋にも託児所があり、このような商業ストアに4分の1の親が乳幼児を連れ出しているといわれます。親の利便性ばかりが優先され、子供の人権が侵害されています。その結果生態リズムが狂い、脳の発達にも悪影響が出ています。
 不登校や社会的ひきこもり、ニートなどが増える原因です。
 甲子園球児として馴染みのある四国の明徳義塾高校で、特進クラスの生徒が友人を刺す、という事件がありました。当時私も教員研修に関わっていたこともあり、この生徒のインターネット日記を読むことができました。夜更かしや生活リズムの狂いが、彼を追いつめ精神を崩壊させていく軌跡は、涙なしでは読めませんでした。
 自治体が進めている行き過ぎた延長保育を憂慮します。子育て支援は親が親として育つための支援を施すべきで、子供の脳の生育を無視した施策は受け入れられません。

[人間性を育む根源的な教育を]
 戦後教育に決定的に欠けていた「愛国心」「伝統文化の尊重」「宗教的情操」を取り入れた教育基本法改正案を超党派の議員との間で進めています。今春、通常国会に上程します。
 国家の安泰は「人づくり」に全てがかかっています。
・ 「愛国心」について:自分を愛せないものは他人を愛することはできません。ひいては郷土も国も愛せません。ハワイのワイアナエ公立学校では、「平和はセルフ・エステイーム(自己尊重)から」を平和教育のテーマにしています。沖縄でも同様の学校があります。愛国心をもっと根源的に捉え、平和教育の理念につながることを説くべきだと思います。
・ 「伝統文化の尊重」について:園児に茶道を教えたり、高校生に和装で礼法を教えたり、漢詩を暗誦させるとき、脳が活性化することが、科学的データによって証明されています。全国組織の和文化教育研究交流協会も設置され、今50校が推進校として日本の伝統文化教育を取り入れています。2008年から一斉に小・中・高で学ぶことになります。日本文化指導者養成のための講座も大学で取り入れられます。
・ 「宗教的情操」について:伊勢神宮にもうでた西行法師が「・・かたじけなさに涙こぼるる」と詠じた気持ちこそ育まれるべき情操です。
「もったいない」「おかげさま」「かたじけない」心を育てる教育の理念を教育基本法の中に盛り込まなければなりません。

男女共同参画第二次基本計画の中には、山谷えりこ先生のご尽力で、混乱の元凶であった「ジエンダー」の定義を具体的に掲載されました。人間性を破壊する極めて非常識な施策に歯止めがかかりました。
 良識派の女性議員育成ための学びの会のご発展をお祈りいたします。

                       以上

女性塾第一回研修会報告

2006年03月31日 18時47分01秒 | 研修会報告
建て直そう日本・女性塾
第一回研修会  平成18年1月28日(土)
   於:靖国会館
テーマ「憲法について」
講師  伊藤哲夫先生  日本政策研究センター所長

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皆様こんにちは。本日は皆様のお手元にある資料を使いながら、憲法についてお話したいと思います。
 昨年の11月には自由民主党が初めて党としての改憲草案を発表しましたが、私はがっかりしました。前文改正案には「日本国民は自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。象徴天皇制は、これを維持する。」と書いてあります。味も素っ気もない文章、特に「象徴天皇制は、これを維持する」はどうでしょう。「象徴天皇制」というのは戦後アメリカ軍が憲法に書き込んだ言葉です。しかし日本は長い歴史・伝統を継承して今日があるのであり、そこで培われた国民性は日本が世界に主張できる最大の資産であり、その最大の資産を中心になってしっかり統合されておられるのが天皇陛下なのです。「象徴天皇制はこれを維持する」では歴史的視点を欠いております。
 そもそも、天皇(そのもの)について何の説明もありません。天皇とは特別の存在であり、その特別たらしめているものについての説明が必要です。天皇のはじまりは神話の時代。しかも日本は神武天皇の世界から今日まで、言葉も信仰も文化も全部つながっています。とりわけ神道の祭祀は今日まで伝わり、宮中では今も天皇陛下がその祀りを行っておられます。それを日本国民はとても有難いことだと思っています。このように現代世界の中で神話が生きているのは日本だけなのです。
 それと同時にこの125代すべてが男系というもので繋がってきた。これは簡単に行えることではなく、今日の日本が直面しているような局面は沢山ありました。そのつど皆で工夫し、傍系から継承者をお連れして即位していただくということもやりながら今日にきています。
 第二条には「世襲」という言葉が出てきます。「皇位は世襲である」これを戦後の学者は“特定のものだけが世襲するのは、民主主義の考え方と違う”などと言ってきました。しかしそうではない。この「世襲」という言葉はただ単に血を繋げばいいのだというのではなく、男系の血を繋げなければならないのです。男系男子の家系は辿っていくと神武天皇に繋がっていきます。また科学的には遺伝子のY染色体は男系でしか繋がりません。
 次に憲法の成立過程です。
 アメリカが日本を占領したときの基本マニュアルにはこう書いてあります。占領の究極の目的は「日本国ガ再ビ米国ノ脅威トナリ又ハ世界平和及安全ノ脅威トナラザランコトヲ確実ニスルコト」、要するに日本の牙を抜くということです。まず考えたのが(物理的)武装解除。次に精神的武装解除。日本人の戦う精神、自国に対する誇り、自尊心、こうした精神を失くす。彼らが最も力を入れたのが、日本人の思想統制です。
 最初にやったのがマスコミの統制です。昭和20年の9月に入ってから、日本のマスコミの責任者がGHQに召集をかけられました。ドナルド・フーヴァー大佐が、マスコミ関係者に対し、アメリカ軍による強姦事件の新聞記事、こういうものは今後一切載せてはいけないと発表しました。
「日本は文明諸国家間に位置を占める権利を容認されてゐない、敗北せる敵である。諸君が国民に提供して来た着色されたニュースの調子は恰も最高司令官が日本政府と交渉してゐるやうな印象を与へている。交渉といふものは存在しない。(中略)最高司令官は日本政府に対して命令する。(中略)偽のニュースとか人を誤らせる様な報道は今後一切許さない。また聯合国に対する破壊的な批判も許さない。日本政府はこの方針を立証するやうな手段を直ちに実行すべきである。もしそれが行なはれなければ最高司令部がこれを行ふであらう」(米軍宣伝対策局民間検閲主任:ドナルド・フーヴァー大佐声明文 昭和20年9月15日)
 朝日新聞は9月15日にこの声明文を突きつけられ、9月18日に占領軍により48時間出版停止を命じられました。9月22日になって朝日新聞は実質、転向声明というべき社説を掲載しました。それまで朝日新聞は「戦ひはすんだ。しかし民族のたたかひは寧ろこれからだ。~国民は敗戦といふきびしい現実を直視しよう。しかし正当に主張すべきは、おめず臆せず堂々と主張しよう。単なる卑屈は民族の力を去勢する」(「朝日新聞」9月6日号)と言っていました。しかし9月22日には「今や我軍閥の非違、天日を蔽うに足らず、更に軍閥の強権を利用して行政を壟断したる者、軍閥を援助し、これを協力して私利を追求したる者などの罪過も、ともに国民の名において糺弾しなければならぬ。~軍国主義の絶滅は、同時に民主主義の途である。~」となりました。一週間の間に社説が180度変わってしまったのです。今日の朝日新聞の出発点といえましょう。
 占領軍は次に、日本の正当性や日本の歴史の素晴しさを語るものを全マスコミから放逐し、変わりに太平洋戦争という名称で、日本が侵略戦争をしたという刷り込みをマスコミを使って始めました。
 こうやって占領軍が戦争について日本に情報を提供して有罪意識を刷り込むことを「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」といいます。その最大の舞台仕掛けとされたのが東京裁判です。
 ご存知のように、日本は独自の憲法を作ろうということで、当時の日本の代表する最高の学者を集めて、その結果作られたのが松本案という憲法案です。中学校や高等学校の公民の教科書には“占領軍に日本の憲法は押し付けられたものだったが、そのお蔭で日本は民主主義の方向に導かれた”というGHQ美談が書かれています。これは占領軍が国へ帰ってから出した「日本の政治的再編成」という報告書が基になっています。その報告書が後に翻訳されて初めて、あの憲法は押し付け憲法だったことが分かりました。しかし、その時には既にGHQ美談が日本人の頭に刷り込まれていました。
 昭和21年2月13日、民生局案を押し付けられた時の松本国務大臣の証言「ホイットニーは先方の案をタイプしたものを数部机の上に出し~こういうことを言った。『日本政府から提示された憲法改正案は司令部にとって承認すべからざるものである。~マッカーサー元帥はかねてから天皇の保持について深甚の考慮をめぐらしつつあったのであるが、日本国政府がこの自分の出した対策のような憲法改正を提示することは、右の目的を達成するために必要である。これがなければ天皇の身体の保障をすることはできない。~』」これは、占領軍は日本側が提出した松本案を読みもせず“私達が作ったものを基に憲法を作りなさい、私達は押し付けはしない、しかしこれを受け取らなければ天皇の身体を保障できない”と言っているということです。
 松本烝治大臣は、まだ話せば分かる、松本案は決して非民主主義的な案ではない、見るところあの連中は憲法の専門家ではないようだ、として長い説明書の起草に取り掛かった。そして2月18日、それが完成すると白洲次郎に託してホイットニー准将に届けさせた。渡された占領軍は激怒し、“我々が訊いているのはこの憲法案を受けるか受けないかだ”と言う。この剣幕に日本政府は諦めざるを得なかった。
 日本語に翻訳する段になり、松本大臣は日本国憲法の前文を読んだ。しかしこれは夢物語で前文には成り得ないから、日本政府としては前文抜きで第一条から始まるものにさせてほしい、と占領軍に言った。ここで占領軍と松本大臣の間で大喧嘩になったのです。
 次は「天皇の国事行為に対する内閣の助言と承認」という件で、松本大臣は「天皇に対して臣下の大臣が承認するなんてとんでもない。明治憲法に『輔弼』という言葉がある。それでいいではないか」と主張する。しかし占領軍は「いや駄目だ、承認という言葉をいれるのだ」と言う。それでも松本大臣は「あなた達は日本語まで変えにきたのか!」と机を叩きながら主張する。挙句の果てに松本大臣は、どうしようもないからこの場は帰ると言い、法制局の役人だけ残して去ってしまったのです。
 しかしそこで占領軍はドアに鍵をし、明日の朝まで缶詰になってもらう、結論を出すのだと命令を出します。残された法制局の役人(佐藤、白洲、長谷川、小畑)は缶詰になって最後の詰を行った。その結果作られたのが、日本国憲法なのです。
佐藤達夫・法制局部長の手記(3月5日)には「無準備ノ儘、微力事ニ当リ、然モ極端ナル時間ノ制限アリテ、詳細ニ先方ノ意向ヲ訊(ただ)シ論議ヲ尽ス余裕ナカリシコト、寔(まこと)ニ遺憾ニ堪ヘズ。已ムヲ得ザル事情ニ因ルモノトハ云ヘ、此ノ重大責務ヲ満足ニ果シ得ザリシノ罪、顧ミテ慄然タルモノアリ。深ク項(うなじ)ヲ垂レテ官邸ニ入ル」とあります。
 このとき通訳した白洲次郎さんの手記(3月5日)では「斯クノ如クシテコノ敗戦最露出ノ憲法案ハ生ル『今ニ見テイロ』ト云フ気持抑ヘ切レスヒソカニ涙ス。」とあります。
 これを閣議決定しろと言われたときの、幣原首相の言葉は「かような憲法草案を受諾することはきわめて重大な責任である。おそらく子々孫々に至るまでの責任であろうと思う。この案を発表すれば一部の者はかっさいするであろうがまた一部の者は沈黙を守るであろう。しかし深く心中われわれの態度に対して憤激をいだくに違いない。だが今日の場合大局のうえからそのほか行く道がない」でした。
3月5日、同じ閣議での松本大臣の言葉「明治憲法でも案を作るのに一年以上かかった。今、日本の憲法を全般的に改正しようというのに二日や三日でこれを作って、これが日本の自主的な改正案だということをいうのは、これは内閣として実につらい」。そしてこれを承認した後、松本大臣は辞表を提出して、それからずっと沈黙を守っています。
 政府案が出て国会にかけられ一応議論が行われたけれども、議員は皆、結果的に通ることは分かっています。いろんな法律を通すよう占領軍が言ってきて抵抗はする。抵抗して時間が来て廃案になるかというと、時計の針は止められている。法案を通すまで翌日にはならないというわけです。
 10月5日、貴族院の本会議において、佐々木惣一先生(京都帝国大学教授・憲法学)の反対演説が行われました。この日の朝、議会の前に佐々木先生は家で水をかぶり斎戒沐浴されて明治神宮に参拝されました。“私はこの明治憲法の講義に命をかけてきました。最後に反対の討議をさせていただきます”
と祈り、議会に臨みました。長い演説でありました。そして最後に次のエピソードを話されました。
“帝国憲法の草案が成り、翌日親臨、審議せられたが、宮内省からご連絡があり当時の伊藤博文議長に伝えられ、天皇にこれを伝え、ご退席をうながされた。生まれたばかりの親王様がお亡くなりになられたのです。しかし明治天皇はそのままにと審議を進められた。そして審議中の条項の審議を終えて初めてご退席になられた。明治天皇がこの憲法にいかなる思いをかけられたか、ということがお分かりでしょう。その帝国憲法が消滅の運命に晒されている。じつに感慨無量であります”と演説されたのでした。
 この日、貴族院で改正案が可決されたとき、場内は一瞬沈黙、しばらくして後、波のような嗚咽の声が議場をおおったと言われています。
 この憲法施行の日にお一人の老学者が遺書をしたためました(亡くなられたのはその5ヶ月後)。その方の名前は清水澄(しみず・とおる)さんといわれ、九州帝国大学名誉教授で、枢密院の議長をされていた方です。
「新日本憲法ノ発布ニ先ダチ私擬憲法案ヲ公表シタル団体及個人アリタリ、其中ニハ共和制ヲ採用スルコトヲ希望スルモノアリ、或ハ戦争責任者トシテ今上陛下ノ退位ヲ主唱スル人アリ、我国ノ将来ヲ考ヘ憂慮ノ至リニ堪ヘズ、併シ小生微力ニシテ之カ対策ナシ、依テ自決シ幽界ヨリ我国体ヲ護持シ今上陛下ノ御在位ヲ祈念セント欲ス、之小生ノ自決スル所以ナリ、而シテ自決ノ方法トシテ水死ヲ択ビタルハ、楚ノ名君屈原ニ倣ヒタルナリ」
 昔、中国に楚という国があって、屈原という人がいて、水死によって諫言した。その故事にちなんで、清水さんは熱海の錦ヶ浦から身を投じられた。このように明治憲法に殉じた方があったということをご理解いただきたい。
 私が憲法の制定について時間の大半を費やして話したのは、これを知らずして憲法は論じられないからです。教育勅語に「朕惟フニ、我ガ皇祖皇宗、国ヲ肇ムルコト宏遠ニ、徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」とありますが、国は遠く神話の世界から始まり、そして歴代の天皇様は大変な徳を積んでこられた、そういう国に生まれてきてよかったと思う、そういう思いが結晶されてこそ日本国憲法ではないですか。しかし「象徴天皇制は、これを維持する」ではこうした思いは伝わらない。
 明治憲法を起草した井上毅は最高の法制官僚でした。漢学をがっちり思想形成し、またフランスに行ってフランス語を学んだ。帰ってきた時には日本を代表する西欧の事情に精通する若手官僚でした。その後伊藤博文の側近となり、憲法起草の際は事務方の責任者になりました。そのとき彼は何をしたかというと、日本の古典の研究を始めたのです。古事記、日本書紀を徹底的に学んで、到達したのが「しらす」という言葉(「しらす」は知らせる、お治めになる、という意味。「しろしめす」(又は「しらしめす」)は知っていらっしゃる、お治めになる、という意味)。「天皇がこの国をしろしめす」とある。豪族が領地を支配することは「うしはく」である。「しらす」という言葉に天皇統治の理念がすべて含まれているのです。それは何かというと、天皇は国民の心をまず知る、知った上で国民の心をわが心とされて国民の幸せのために動かれる、あるいは神の心を知ろうとされる、ということなのです。
 井上は明治憲法(大日本帝国憲法)第一条に「大日本帝国憲法は万世一系の天皇のしらすところである」と定めたかった。しかし「しらす」は英語に訳せない(日本は当時憲法を翻訳して世界に知らせ、条約改正をアピールする必要があった)。井上は泣く泣く「万世一系の天皇が統治す」の修正に応じました。
 井上はさらに、先程説明した「教育勅語」を書いた。「朕惟フニ、我ガ皇祖皇宗、国ヲ肇ムルコト宏遠ニ、徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」歴代の天皇は徳を積み重ねられ、その徳を背景に国民に相対される。その徳とは何か。それは私を出さず、すべて国民の心を受け止められる鏡の精神(鏡に国民の心を映す)である。西洋の君主が行動するのに対し、日本の天皇はただひたすら耳を傾ける。しかしその受容の中に国民をすべて統合する大きな力がある。そのことを井上毅は知るに至ったのです。
 こうした日本国民がこれまで継承してきた大切なものをしっかり把握した上で、次の日本をどう作っていくのかを考えなければならないし、また一方で、日本の歴史・伝統をずたずたにした占領とその後の時代の安っぽさをしっかりふまえておかなければなりません。
 伊藤玲子先生が女性塾を作られた目的は、本当の歴史を知り、この日本をどうしたらいいのかという、しっかりした認識を持った議員を育てたいということだと思います。(終)