好事家の世迷言。

調べたがり屋の生存報告。シティーハンターとADV全般の話題が主。※只今、家族の介護問題が発生中です。あしからず。

コーヒーを味わう生活。

2024-05-30 | 日常
生まれて初めて生のイチジク食べました。
旬の食べ物は貴重だから意識して食べていきたい。

さてタイトル。
思い返せばコーヒーは自分にとって、嗜好品で、癒しで、景気づけで、ストレス解消で、そして近頃は依存めいている相手。

カフェイン依存を抑えるため、ひんぱんに飲むのは控えるようになっていた。
インスタントコーヒーの買い置きも止めた。
喫茶店でデカフェ頼んだり、家でハーブティー飲んだりと、ノンカフェインを選ぶ率も高まっている。

最後の砦が、自動販売機の缶コーヒーだ。
自分の好きな種類のが1本140円まで値上りした事から、流石にもう止めようと考え始めた。
だが誘惑は多い。
私の住んでるような片田舎だと、100円のラインナップがまだまだ何台も並んでいる。
ちらっと見ただけで、思考は暴走。ブラックならいいか→たまには甘いのも→微糖もあるな→ああ新作!とテンション上がって財布を出してしまう。
カフェインもそうだが、糖分の摂りすぎも悩みの種だった。

そんな事態から動いたのは先日。
知人から焙煎したて&挽きたてのコーヒーを譲ってもらった事。
しまいこんでたドリッパーで飲んだら、やはり別格。
以前の自分なら際限なく飲んでしまっていただろうが、今は1日一杯をじっくり味わえば満足。
牛乳で割って飲むのもいい。

するとやはり、物事への集中力や注意力は確かに増す。
今の私に、コーヒー自体は必要だ。
混ぜ物の無い品だから、あれこれ気にかける罪悪感も少ない。

今は、自販機の前を通る時は顔を逸らし、買いたい時はお茶の類を極力選択。
でもどうしても、外で長く休憩できる時なんかだと、甘い缶コーヒーに手が伸びる。
減らそうという心がけが新たに湧いてきただけでも、今のところは成長したと思おう。

それでは。また次回。

水分を摂る生活。

2024-05-29 | 日常
お弁当。炊き込みごはんは出来合いだけれど、煮魚と、野菜の煮物は手作り。昨日の夕飯を多めに作って入れてある。
手間をかける部分と手を抜く部分と、どっちもあるのは良い事。

さて本題。
自分の「スマホいじりたい病」(と名付ける)を根絶するため、今のとこら、スマホの用がない時に外ではバッグの奥に、家では玄関にしまっているわけだが、どうしても手に取ってしまうのが、凝った料理を作る時。

完成写真を(今日の冒頭のように)撮りたいから、スマホを用意しておいて、それでレンジを立て続けに使ってる時や、蓋を閉めて弱火で煮込む鍋を見張ってる時など、誘惑が襲ってくる。
数分あればいじれると思ってしまう。
PCやゲーム機の時には見られなかった症状だ。

その症状の措置として、まずゆっくりコップに水を注いで飲むようにしてみた。
何となくでなく、コップの水面を見て、一口含んで、転がして、飲み込んで、それから普通に飲む。

このやり方を推し進めて、朝起きた時も最初に水。その後に、他の飲み物。
他のタイミングでも、手持ち無沙汰になったら、気分転換で、水を一口。
買い出しに出た時も、公園や、フードコートの給水機などで、水を一口。

すると何という事でしょう。
私に長らく横たわっていた「缶コーヒー買いたい欲」も一緒に鎮まりつつある、という副産物が付いてきた。
(;゚Д゚)

自販機140円は流石にもう止めようと、禁煙みたいな決意しつつも、やはり禁煙みたいに苦労してたのだが。
コーヒーお茶に対する思い入れも書きたくなってきた。
ネタ切れの心配も減ってきたかも?

それでは。また次回。

ぬいぐるみを愛でる生活。

2024-05-28 | 日常
手指を使うリアル&アナログ寄りの趣味がどんどん増える。
以前は「30分しか時間ないからスマホいじる」だったのが、「30分もある!あれもやれるこれもやれる!」に変わりつつある。

電車での移動中でも、こうしてブログの原稿を書いて、後は少し青空文庫読めば、「スマホいじりたい欲」は満たされる。
昔のように景色を眺める余裕も戻ってきた。

でもやはり、自宅にいると誘惑にかられる。
そもそもスマホは遊ぶ以外に、周囲との連絡、スケジュール管理、事典としてなど、必需品の面も強い。
ふと、もっと画面を見たくなる衝動が湧く。

スマホいじりを止めるまで特に苦労したのが、恥ずかしながら一人で食事してる時。
用事に追われ、買ってきた物をかきこむ時など、食べながらスマホに逃げ込んでいた。
もちろん外のお店で食べる時には、そんな無作法な事は、やってない。
そりゃ皆様の目があるからなぁ。

待てよ。
それなら、誰かの“視線”があればいいのでは?

というわけで、冒頭の写真とタイトルに至る。
色んなお店で探したがピンと来ず、すると何と近所の100円ショップで、この子と目が合った。
安いし、縫製も粗いし、すぐ壊れそうな気もしたが、インスピレーションに従って、家に迎え入れ、部屋に飾った。
取りあえず名前は、メモリアスターにあやかって「パンダン」で。

「スマホいじりたい欲」に襲われた時、パンダンの視線を受け、独り話しかける私。

「集中してないねぇ。食事しないとねぇ。この後が楽しみだねぇ」

我ながらアホみたいな図だが、自分自身に話しかけて頭の中を整理すると結構落ち着く。
最近の、こうした心がけについて日記にまとめるのもいいかもしれないな。
これからもよろしくね、パンダン。

それでは。また次回。

ピアノに触れる生活。

2024-05-27 | 日常
グミの実を見つけました。
この時期は木の実が豊作。

さてタイトルの話。
スマホやネットでの時間潰しを減らし、新しい趣味を増やそうとしてるこの頃。
思い立って、通販でシンプルな電子ピアノを手に入れた。

小学生時代から何となく、ピアノへの憧れはあった。
練習したいと親に申し出たら、単に電子ピアノ「だけ」を買ってきた。
ピアノ教室で講師に教わりたいというのは贅沢だったんだろうが、何一つ取っ掛かりの無い状態で、さあやれ!と命じられても、一介の小学生に成す術もない。
せめて教本があれば、まだ違っただろうに。
結局そのピアノは、(教室に行ってる)親戚へ渡り、私は親から散々なじられ、すっかり苦手意識が根付いてしまった。
けれど演奏したい欲望は燻り、指を動かす一人遊びをしばしばやって、見られて周りに揶揄されてた。

その後、意味の全く違う鍵盤(キーボード)、即ちワープロで、結果的に十指を動かす憧れは叶った。
が、そっちのキーボードは今や、依存しやすい危険な相手になってしまった。

それで買った電子ピアノと、超々初心者用の教本1冊。
正しい姿勢や手指の構え方、どの鍵盤にどの指を置いてどう押すか、から始まるレベル。
毎朝5分(以上)は何らかの形で触るよう心がけている。
電子ピアノだからイヤホン使えるから、いつでも練習できる。

今は両手でドレミファソの5音を鳴らしているだけだが、有名な曲の一節をスムーズに弾ける今の状況でも私には充分楽しい。
気づくと、最長時間として設定してる20分のタイマーが鳴ってしまう。

年単位で付き合うつもりで、少しずつ慣れていきたい。
何か一曲通して弾けるようになれたらいいな。

それでは。また次回。

ラジオを聴く生活。

2024-05-24 | 日常
近所で桑の実が豊作。
半ば野良の木のため、集めてシロップ作る予定。

さて本題。
只今、動画サイトとの付き合いを完全にストップ。
主にYOUTUBEの「お文具のアニメ」とニコニコ動画の「時止めゆかりさんのSCP解説」。
前者には大いに癒されるし、後者は知識の幅が広がって、どちらも本当にお気に入り。
断つのは残念だが、やはり「おすすめの関連動画」のハリケーンに私は耐えられない。
好みの音楽だけを作業用BGMとして流せればまだ良いのだが、伴う映像や音声(&コメントも)がどうしても気になって、画面を見てしまう。
そうすると次はどの動画にしようか迷って操作し、その間に無駄な時間が過ぎていく。

それでタイトルの話になる。
今は自室のBGMとして、NHK FMを流しっぱなしにしている。
無論、(スマホなどでなく)ラジオの実機で。
今までも朝晩のニュースや、朝の目覚ましとして流していたが、それを他の時間帯に広げた形だ。

正直なところ、苦手な番組もある。
司会進行者の声が自分には耳障りだったり聞き取りにくかったりするとキツイ。
または声楽。オペラの張った声は、聞いててどうも疲れる。
でも(食わず嫌いならぬ)聴かず嫌いというのもあるかもしれないから、そういう番組も、前より少しだけ聴くように心がけている。
新しい曲も知る事が出来るし。

どうしてもラジオが合わない時は、MP3プレイヤーの出番。
昔からのお気に入りの曲をひたすらリピートするのは心地よい時間だ。

なんて、こうしてフリックで書く所要時間だんだん減ってきたかも。
原稿用紙10枚一気に書いたのが良かったのかな?

それでは。また次回

紙の本を読む生活。

2024-05-23 | 日常
朝6時にお取り寄せラーメン作って食べる、本来の気力が戻ってきました。

ブログ記事を昼のスキマ時間に投稿する習慣に変えたら、生活リズムも復調してきた。
比較的自然に早めに、夜は眠くなるし、朝は目が覚める。

さてタイトルの話。
ひいきにしてたWeb漫画たちを断ち切って1週間。
惜しい気もするが、惰性で読んでた作品も少なくない。
後で本当に読みたくなった時、機会を改めて読めばいい。

もっとも、漫画を読む事自体を止めたわけじゃない。
昔から読んでる紙の週刊誌を、世間の感想から離れて読みふける。
このやり方を当面続ける。

ネットやデジタル機器で文章を読むのも止めてはいない。
青空文庫や、小説家になろうなどを、ちょこちょこと。
そして、それ以上に、紙の本を読む。
感想を意識せず、ビジネス書や学術書などを読み流す。
生活リズムのコツも実は、先日読んだ本を参考にしている。
この実生活が、今の私の“感想”だ。

それでは。また次回。

本当に書きたいコトを書く。

2024-05-22 | 日常
近所のお花を載せてから書く。

昨日はずっとスマホに触っていた。
断じてネサフではない。

データを飛ばしてしまったブログ記事下書きの内、思い出せる範囲を書き出してみている。
新しく見つけたメモ帳アプリで再挑戦。

すると面白いもので、好印象の強い作品に関する記事なら、つまり本当に書きたい事なら、記憶だけでもどんどん書き進められる。
TVアニメ版『シティーハンター』の感想辺りは、書いてる途中にも次々と連想し、行が増える。
今までプレイヤーとにらめっこしながらキーボード打っていたが、そのやり方はもう止めるかもしれない。

勢いに任せ、星新一ショートショート感想も復帰させていく。
『風花雪月』や『オクトパストラベラー』の記録は、ダイジェストで体裁を整える。
記事にまとめられなかった小説や映画の感想はコンパクトに列挙。

こうして復旧できた記事は、週末にポツポツ載せていく予定。

それで、いっそう興が乗ってきて、締め切りのある長文原稿を、当初はPCか手書きで書こうと思っていたのを、これまたスマホで。
気づいたら、原稿用紙10枚分くらい全部フリックで打ってた
このデータを飛ばしたらシャレにならない。
何だかだ慣れてるcolornoteを再インストールし、そこにコピーして、更に今度はオンラインバックアップにも登録。
本当に重要なデータなら、これくらいやるもんだ、自分なら。

当然というべきか、何となく指が疲れたような気もする。
キーボードで十指同時に使う方がやっぱり楽だ。
創作の欲もじわじわと湧いてきてるように感じるし。
PC新調しなきゃいけないかなぁ。

それでは。また次回。

スマホから離れる生活(できるかな?)

2024-05-21 | 日常
近所の花を載せて、即興で書く。

我がメモ帳アプリクラッシュ事件から1週間たった。
スマホをいじる時間は大幅に減ったはずだ。
朝食時にも、就寝前にも見なくなった。
まとめサイトは元より、動画サイトも感想サイトもWeb漫画も一切見てない。

おかげで他の趣味への時間が増えた、とは実は言えなかったりする。
自宅、特に自分のスペースに置いてた不要物を仕分ける大掃除にくわえ、仕事も所用も、そして疲労も増えて。
よって現状を正確に述べれば、スマホを見てる場合じゃなくなってる

生活でスマホに執着しなくなってる事自体は良い傾向だが、今度は逆に、スマホの扱いが雑になり、外出時に家に忘れる事数回、更にお店で紛失しかけるのを一回。
気づいて受付に駆けつけたら拾われてて無事だったから良かったものの、もし無くしてたら、データ消失なんてどうでもいいレベルの緊急事態だ。
ああそうか、こういうトラブルが前にもあったから、あらかじめ書き溜めして、ゆっくり出来る(当時)夜の時間に投稿してたんだな自分。

今はとにかく、スマホと付き合う距離を探るため、鍛練する。
色々悩ましいが、ここまで生活に根付いているデバイスを拒絶するのは不可能だ。
眼鏡やマスクみたいに、自然に扱えるようになれたらいいな。

それでは。また次回。

感想を書かない(&読まない)生活。

2024-05-20 | 日常
近所で見かけた花。
しばらくは、こういう写真をトップに載せたい。

さて。今日も午前のスキマ時間をつないで即興で文章を書く。
書き溜めしていたデータを消してしまった原因は、さかのぼれはキリが無い。
このスマホ生活が始まった時から懸念はあった。

昔の当ブログを読み返すと、当初は何事も、まずじっくり鑑賞し、一段落したらすぐに感想を書くという、自分のペースを保った状態だった。
投稿も昼の時間だった。
それが変わったのが、やはりスマホでツイッター(と私は呼ぶ)を使い始めた頃から。
私がチェックしていた(過去形)感想サイト達もツイッター準拠の趣になり、何もかも発表当日0時に全部ネタバレが回るようになった。

いつ何時も「これを読もう!」「あれを見よう!」「おすすめ!」「逃すな!」の暴風雨。
疲れてるから何も読むまい見まいとしている決意は、たやすく折れてしまう。
結果として、一日中朝からネサフで感想を漁り、だから疲れて何も手に付かず、だからネット依存が深まる、の悪循環になっていた。
読みたくない見たくない物について、楽しく感想書けるわけないのにね。

今は敢えて、「感想」という事そのものについて考えないようにしている。
他人様の感想は読まない。
自分の感想を書こうと焦らない。
短くとも今月5月末まで、出来れば来6月末まで、こうしたブログの形式を続けたい。
そも、私が書きたいと始めたのは、日常の日記。
その原点だけは忘れないようにしよう。

それでは。また次回。

入れ替える。物も気持ちも。

2024-05-17 | 日常
写真は、友人からもらった蕗(フキ)。
その人いわく、蕗が畑に侵略してきて、近所に配っても追いつかないと。
最初はこれの5倍は渡される勢いだったのを断って、それで家で下処理した状態でもまだ大量。
私も身近な人におすそわけである。
下処理済みでな!

ただ、こういう食べ物なら、負担は一時的。
困るのは、(一見)保存できる物たち。
周囲の人々が「使いきれない!」と寄越してきた物が、今の私の周りに結構多いと気がついた。

私の肌に合わない(から他のと混ぜて使ってる)粉洗剤。
母が遺した未開封のシャンプー。
そこに先日、誰の物かも分からない人づてのクラフトバンドの端材がどーん!
これでも、服とか本とかは、もらった物も思いきって減らしてきたが、消耗品も同じように決心した方がいいかもしれない。

自分が、より気持ち良く過ごせる物と入れ替えよう。
新しい品を探す楽しみを得よう。
古い物は(お礼を込めて)捨てるか、地域のフリマに寄付しよう。
ますは、大掃除だな。

それでは。また次回。