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函館元町洋館めぐり ~ 立待岬

2024年02月03日 | +函館

だいぶ間が開いてしまいましたが、函館旅行記の続きです。これまでの記事はこちら。

1.函館ひとり旅 ベイエリアから元町へ
2.暮れなずむ元町 ~ 函館の夜景
3.函館朝市の風景 ~ 紅葉の五稜郭
4.箱館奉行所 ~ 五稜郭タワー ~ 函館麺厨房あじさい

2日目。五稜郭の近くで函館ラーメンをいただいた後は、市電に乗って元町方面にもどりました。1日目は夕方、教会のあるエリアを少し歩いただけだったので、まだ見ていないエリアを歩くことにしました。

市電の末広町の駅を降りると、ペパーミントグリーンのかわいらしい洋館が目に留まりました。ここも見学できるのかな?と近づくと、なんと一般の会社でした。あとでググったところ、1913年築の建物で、相馬株式会社という不動産会社さんの社屋でした。

ここから基坂を上り、函館市旧イギリス領事官(開港記念館)を訪れました。

旧イギリス領事館は、1859年の函館開港と同年に設置されたそうですが、こちらの建物は(先ほどのペパーミントグリーンの洋館と同じく)1913年に建て直されたとのことです。

現在は、かつての領事館の様子や開港当時の函館の姿を伝える開港記念館となっていて、内部を見学することができました。

かつての領事執務室を再現し、市民に愛されたリチャード・ユースデン領事のことが紹介されています。

こちらはご家族がすごしたお部屋です。お茶のセットが置かれているところがイギリスらしい。温かみのあるブリティッシュカントリーのお部屋やインテリアに、ほっと心が和みました。

裏庭に回ってみました。バラが植えられた洋式庭園で、ヴィクトリアン調のガゼボや、ブロンズの噴水が設えられています。

わずかにバラが咲き残っていましたが、私の心をとらえたのはこちらの紫陽花です。きれいに色づいたまま乾燥し、ドライフラワーになっていました。

旧イギリス領事館を出て、さらに坂道をのぼると、元町公園にぶつかります。高低差を上手に生かした見晴らしのよい公園で、紅葉がきれいでした。その向こうに箱館港が見えます。

元町公園を通り抜けると、ライトブルーとクリームイエローのコントラストが美しい洋館、旧函館公会堂が現れます。

1907年の大火で焼失した集会所を、豪商 相馬哲平氏の寄付により、1910年に再建したということです。ここで私は、え?相馬?

最初に見た、ペパーミントグリーンの洋館の会社が相馬さんだったではないですか。あとからググッて、相馬哲平氏は函館で投資家として財を成した実業家で、この地の社会貢献に尽力した名士であることを知りました。

3階には大広間のほか、皇太子殿下(後の大正天皇)や摂政宮殿下(後の昭和天皇)、上皇上皇后両陛下が、ご宿泊や休憩・ご昼餐されたお部屋が並んでいました。

御寝室

御食堂

正直、明治時代の函館に、このような豪華な集会所があったということに驚きましたが、同時に、港町というのは多くの文化が集まり、交わり、地域の発展の源となる場所なのだということを実感しました。

そして私が、神戸、長崎、函館と港町に惹かれ、親近感を覚えるのは、自分が横浜で育ち、港町の成り立ちや発展を、幼い頃から実体験として感じていたことと、決して無縁ではないものと思います。

***

この後、ホテルにもどるにはまだ早い時間だったので、函館山の南端にある立待岬を訪れることにしました。市電の終点、谷地頭駅から歩いて20分。途中の墓地で、石川啄木のお墓に立ち寄りました。

石川啄木といえば岩手出身とばかり思っていたので、函館にお墓があることを不思議に思いましたが、啄木は函館に4か月ほど住んでいたことがあり、妻の希望でこの地に埋葬したことを知りました。

ようやく立待岬に着きました。昼間はあれほど晴れていたのに、夕方にかけてあっという間に雲が広がり、一瞬ですが雨が降りました。荒涼とした海は津軽海峡。その向こうに、津軽半島がうっすらと見えました。

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