拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  一畳詩人〜畳のうえで死ね!

2024年05月04日 | 東洋自分なり研究所

  ちょうど10年前か・・・『一畳詩人』なんていう、カッコいいタイトルでブログを書いていたようで、どなたかが読んで下さっていたおかげで

  今朝の私の目に止まり、読んでみると 2014年12月24日〜一畳詩人

 

  最後の二行に、私はこんなことを書いていた

  『 道場の畳(たたみ)一畳が各自に与えられたスペース、坐・食・寝をこの畳一畳で修行期をすごします。

    ここで、自我を殺すんですよね。死人になったらお祝いするんです。』 ・・・とあって、まぁ修行の日々について書いたわけであるが

 

  あれから10年たち、私の年齢も60代から70代へと変わり、自然、知り合いやら、親戚などの人々の死去の知らせを耳にするようになる中

  この一文の『畳』から触発した我が愚脳が『畳のうえで死ぬ』・・・という、いわば『人間にとって極上の死に方』を想起した時

  あれっ、待てよ・・・禅修行っていうのは、じつは『畳のうえで死ぬ』練習を実際に『畳のうえ』でヒーコラでやっていたのでは?!と思うと

  自己の『生前葬』をなんとか形にしょうと、それこそ『必死』を無意識にやっていたのだと、愉快になった。

 

  現実問題として、『畳のうえで死ぬ』ことは、あらゆる面からほぼ不可能になっている現在、坐禅で『畳のうえで』一度死んでおけば

  そのあと、どんな死に方しようが別にどうということもない境涯にあるわけだ。

  実際問題、私が『畳のうえで死にきれた』わけでもなく、せいぜい片足半分を畳という棺桶に突っ込んでいるくらいのもんであるとしても

  それだけで、単純で単細胞の私は案外、安心を得ているのかもしれない。

 

       *『畳のうえで死ぬ』とは、辞書によると 『事故死や変死ではなく、当たり前の死に方』・・・だとさ。

 

                 一畳で 死人となって 詠む一句 天上天下唯我独尊! 馬骨