やまろぐ☆つあれぽ

海外登山&トレッキングツア専門の
添乗員の自由日記と
家事育児の日常♪

草津温泉&本白根山2171mはあたん登頂♪

2013-07-23 16:13:00 | 日曜登山部/ママと娘の登山日記
2013年7月14日~15日

日頃のお仕事でお疲れ気味のパパと
はあたんでも登れそうな標高2000m以上の涼しい山と温泉を求め、
『ここしかないでしょう?』的な、草津温泉と
百名山の本白根山に行ってきました。

日本三名泉のひとつ草津温泉は、日本一の湧出量で源泉かけ流しが当たり前。
そんな人気の温泉地でのんびり過ごし、
翌日は標高2010mまで車で登れ、歩く登り標高差が160mしかない(笑)
(でも強風で号泣した)本白根山登山。

そんな「ウエヤマ家」の旅日記をご紹介します。






7月14日
東京を車で出発し、渋滞の関越道を前橋ICで早めに下り、
406号線草津街道~292号線でのんびりとドライブしながら群馬へ。

誰でもそうだと思うけど、車ではなるべくスイスイ田舎道を走りたいですよね・・・♪
窓を開けても爽やかな風、セミの声、緑、のどかな風景。
東京のわたしたちの家付近はごちゃごちゃして車や電車で超うるさいのですが、
田舎道を走りながら田んぼの中にぽつんと立つ『売家1800万』というような看板を見ては
「このへんに引っ越したいな、仕事やめて農業」とか夫が言い、
「うーん・・・そ~お?」(無理でしょ)とほほ笑む妻・・・てね。
でも思い切ればそうしたことも、別に遠い夢でもないのかな・・とか
考えてみたり。笑


宿泊に選んだのは洋風なペンション。14:30頃到着。


草津温泉の北東にベルツ通りとかペンション通りってあって、
このあたりには洋風ペンションがずらりと並んでいて、外国みたいなおしゃれな雰囲気。
明治時代にドイツ人の医師ベルツ博士が草津温泉の効能を世界に紹介したことなのか、
ハンセン病の患者のために身を尽くしたコンウォール・リー女史などの影響なのか・・・・。

そこから草津温泉の中心地である『湯畑』へ散策に出かけました。
洋風な通りから、昭和みたいな古くて細い路地を通り抜けていきます。



新しい道にはいつもワクワク。

近所には無料のこうした共同浴場も。




旅館の立ち並ぶ温泉街に入るとさすがに人や車で賑わっています。


草津温泉のシンボル『湯畑』に20分ほどで到着。
 
高温の源泉を木のスロープの上に流し(お湯を外気にさらしながら)温度を下げて、
水で薄めることなく源泉をそのまま楽しめるようにしてあるのだとか。


ふむふむ、と、とりあえずあちこちで記念写真。

観光地化されて人で混雑している場所って、
ちょっと感動の薄いウエヤマ家なんだよね・・・・・でも、
ここが日本有数の大温泉街なんだってことはわかります♪


すぐそばの光泉寺の階段を登ってみました。
 

ひととおり、草津温泉の中を歩き回り、
『草津温泉』の雰囲気を知って、味わい、おさえといて、
わたしたちはビールと日本酒の一升瓶「草津節」を購入し、(笑)
静かなペンションでゆっくり過ごすことに。

洋風なペンションだけど、お風呂は和の趣ただよう、
源泉そのままのすてきな雰囲気。

貸切なので、超のんびり極上の時間を過ごしたのでした・・・・♪
お湯は白濁でお肌がキュッキュッで鳴りそうなくらいです。


ゆかたで過ごしたはあたん♪

Dinner


朝の陽光の照らす窓際のテーブルでBreakfast






翌朝、(7月15日)、車で登山口へ向かいました。
ぐるぐると登っていく国道292号線は日本一標高の高いところを通る国道です。

お空に向かっていくみたい。
青空は気分を高めてくれます♪

さらには草津白根山の火山の雰囲気(岩がむきだし硫黄の匂いが漂う)に夫は感嘆していたのでした。笑


わたしは仕事柄、いつも標高の高いところに出かけ、涼しさは
当たり前くらいに思っているけど、
標高2000mが夏なのにひんやり寒いことが、夫には珍しいのです。(下よりマイナス約12℃)

弓池のそばの白根レストハウス駐車場に車を止め、出発です。9:30
たくさんの人です。標高2010m

弓池

高原ぽい開けた気持ちのいい雰囲気。

コースは弓池…逢ノ峰…登山道の最高地点…鏡池…スキー場ロープウェィ山頂駅…弓池駐車場
とぐるっと周回。


昭文社地図より



コケモモ


クロマメノキ



はあたんは・・・


お姉ちゃんが小学校の頃着てた、モンベルのカッパ上下。

大きすぎるので裾や袖を折っています。笑



ビジターセンターの後ろに見える白根山の湯釜方向。

湯釜へも歩いて見に行けます。

草津白根山は、2100m級のいくつかのピークの総称で、遠くから見ても
なだらかに稜線が広がっている山です。


わたしたちはこの反対側へと向かいます。

よく整備された歩きやすい道なので、5才のはあたんにも余裕です。笑

こんなポースや


こんなポーズ


このあとに山頂付近で待ち受けてる強風に泣くことになるのだけど・・・・

赤城山・榛名山


 

本白根スキー場のリフト乗り場が見えてきます。

当然わたしたちはその脇を歩いて登るつもりで見上げていました。10:25


が、・・・
そこに乗っていくほかの子供たちや登山者を見て、「乗りたい」と
パパに訴えるはあたん。笑。こうなるともう動くわけありません。

そこでわたしは歩き、

はあたんとパパは・・・・笑


リフトの上で合流。そんなに時間は変わらなかっけど、
リフトは風があって寒かったそうです。笑

後ろに本白根山山頂が見え、周辺はコマクサの花の群落。10:50


しかしながらここのコマクサの色がきついピンクなのは外来種。コマクサは淡いピンク色なのが可憐ですよね。
 






ここから山頂へ向けてはだんだんと風が強くなりました。



たくさんの登山者で列になっているくらいの人なのですが、みんながはあたんに
「飛ばされないなようにねっ」と声をかけてくれます。

はあたんはカッパ二枚重ねです。

山頂直下のここの稜線(最後の3分)は倒されそうなほどの強風。


パパがおんぶしていきます。


壮絶な風の音で、はあたんは大泣き・・・・
ママの判断により、おんぶして山頂を通り過ぎればいけそうってことと、
そこを通り過ぎないと鏡池にいけないことと、
この風がきついのは山頂を通り過ぎる10分だけってことで・・・・・。

(ちなみに本白根山の山頂は火山ガスで立ち入れないので、最高点は登山道で
入れるところです。展望台、とあります)


展望台。11:15通過。笑

すごい風で、周囲の人はこんな感じ。
 


はあたんには凄まじい風が恐怖だったと思う・・・ゴメンね。

強風のところを通り過ぎ、振り返る。


はあたんは泣いていたけど、パパはその非日常的な強風が楽しかったみたいで、
もう一度戻って、強風を味わっていました。笑
(この日の一番楽しかったところらしいです)

鏡池


池の中には亀甲状の模様が見えるってことですが、この日はなんだかわかりませんでした。
11:55

がんばるはあたん。


道の脇にはゴセンタチバナやツマトリソウがたくさん咲いていました。
不思議なギンリョウソウにも出会い、のぞいていました。



この日、何度も名前を繰り返し教えた花を見て、この花なんだっけ?とクイズすると、
はあたん「タツナミソウ♪」って・・・・答えたり。笑
それは、この前に榛名山に行ったときにはあたんに教えた花の名まえ。
急にこんなところで出てくるなんて不思議な記憶力です。笑

アカモノ

この目の前に再び見えた湯釜を覗いてみたかったけど、
はあたんはもういいって言うので、やめました。笑


無事に下山して(13:30)コマクサソフトを食べるはあたん。

ただしコマクサの成分は含まれていない、て書いてありました。笑
大人のわたしとしては「いかにも観光地なソフトだぜ」って苦笑です。
ここは標高2000mなのに一般の観光客がたくさんで、ミニスカートにハイヒールのお姉さんたちも
ふつうに歩いています。

帰りのドライブ途中、浅間山などもよく見えました。
これは浅間隠山(1757m)と鼻曲山(1655m)


振り返ってみた草津白根山。
さっきまであそこの上にいたんだよ~って。

(群馬県吾妻郡長野原町より)
浅間山(2568m)の北側になり、標高がこのあたりでも500mくらいあります。

このあとは浅間隠山のふもとにある秘境の温泉「鳩ノ湯温泉・三鳩楼(さんきゅうろう)」に行ってきました。
そこまでの峠道ではほとんど車も走っていないステキなドライブでした。



わたしたち以外には誰もいませんでした。



はあたんにとってはまたまた大変な登山だったけど、
のんびりしたい大人にはちょうどな感じの草津の旅でした♪


天国で眠るKさんへ。わたしの仕事の原点です。

2013-07-16 22:24:48 | 彼のこと
今日はわたしの大切な人の命日。

うちのあたりはミンミンゼミが鳴き始め、
夏なんだなあって思わせる、そんな正午前に
わたしは駅に向かって歩きながら
山の遭難事故で亡くなった大切な人のことを思いだし
涙ぐんで空を見上げていた。



2009年7月16日に北海道の山の遭難事故で
亡くなったそのひとは、わたしにとっては
お父さんのようであり
尊敬する大先輩であり、
仲間でもあり
いつも気にかけてもらい
今のわたしをこの仕事に導いてくれたひとだった。
わたしはその人の前では
未熟で
孵化しそうにもないタマゴだったに違いない。

そのひとは
みんなに対して気さくで、愛されていた。
わたしにだけ特別だったのではない。
みんなのことをいつも気にかけて
みんなを喜ばすのが好きだった。

亡くなる1週間前に一緒に飲んで
まさかそれが最後のお別れになるなんて思っていなかったから
わたしはほろ酔いでその人の腕を組み、
歩き、店を出てから
じゃあまた~
なんて笑顔で手を振ったの。

それが最後だとは思わずに。


わたしのその後の崩れようといったら。

遭難事故がどうして起きたとか
なにがいけなかったのか
そういうことについても十分に考えてきたつもり。

今のわたしはただ、
人としての彼のぬくもりにただもういちど
触れたい、それだけと思う。

最後にふざけて腕を組んだときの
あの腕の内側のやわらかさが
その北海道の山の地名を耳にしただけで
絞られるように涙に流れながら思い出されるの。

もらったたくさんの山道具が
いまもわたしの元にある。
彼の使いまわしたそれらは
きっと、彼の『期待』


人がなにかの悲しみを受けたとき、
そのショックの状態はいろんな形で表れるとおもう。

わたしはまだ
その山の地図を見ることはできないし、
震えることなしにその話をすることはできない
仕事中なら
なるべく冷静に踏ん張りながら
なるべく遠巻きにしか触れないようにする

それは美しい山だから
みんなよく口にする
わたしは耳にする

このままではいけないから
いつかはわたしもその道を歩いてたどろうとおもう

そうして乗り越えていくべきだし

わたしはこの仕事をしながら
いつもお客さんと、自分の命を
大切に守らなければいけないのだとおもう

それが彼がわたしに
伝えてくれるメッセージなのだと
思わなければやっていけないし

それが本当に、
そうであるのだとおもう。

悲しみは時間が癒してくれるのか

自分で乗り越えるものなのかはわからない

でも彼の魂はアルプスの山のなかにも

広島の山にも


心にも。


わたしは元気に会いにいき
笑顔を見せたいとおもう。

いつどこにいても
思い出せば涙がポロポロこぼれる

わたしのきもち。この日の。